例の吉備津神社入り口の案内板にある漫画的吉備津彦の絵柄について、もう少し悪口を書き続けます。
この絵にある頭の部分には、何かは分らないのですがちゃんと冠らしき物が描き込まれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/81/64cc62b874cec75cce60edbbd504f44b.jpg)
この冠について「松の落葉」には、次のように記されています。
『冠は「かかぶる」という用言(動詞)が体言(名詞)になって「かかぶり」に、さらに「かうふり」「かふり」と言われ、神代の昔にもあった。古事記などには伊邪那岐大神も、また、大国主命にも御冠の事が見えるが、本居宣長の「古事記伝」の中では、上古には冠はなかったとされている。あったとしても、正月につける于受(うず)だけで、これは頭巾のようなもので、これを「かふり」と呼んでいた。
なお、推古天皇の時代になると、中国の制度がわが国にも導入されて、冠が使われるようになった』
と。
私事(ひとりごと);
埴輪などにでてくる武人の姿には現在の鉄兜のような戦用の帽子は見ることが出来ますが、ここに見られるような何かわけの分らないような冠は全くのでたらめな想像的なものではと思われます。
ここに描かれている頭巾に何かその上につけているのですが、これはなにを意味するのかは不明ですが、正月に帝が頭に飾られる髻華(うず)を表したのかもしれません。
髻華とは、元日に、時の帝が、頭巾のようなものに「くまかし」の木の葉をつけたものだそうです。
だから、吉備津彦命が孝霊天皇の皇子であったとしても、そんな物をつけるはずがありません。頭巾・冠はなかったとするのがいいようです。
この絵にある頭の部分には、何かは分らないのですがちゃんと冠らしき物が描き込まれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/81/64cc62b874cec75cce60edbbd504f44b.jpg)
この冠について「松の落葉」には、次のように記されています。
『冠は「かかぶる」という用言(動詞)が体言(名詞)になって「かかぶり」に、さらに「かうふり」「かふり」と言われ、神代の昔にもあった。古事記などには伊邪那岐大神も、また、大国主命にも御冠の事が見えるが、本居宣長の「古事記伝」の中では、上古には冠はなかったとされている。あったとしても、正月につける于受(うず)だけで、これは頭巾のようなもので、これを「かふり」と呼んでいた。
なお、推古天皇の時代になると、中国の制度がわが国にも導入されて、冠が使われるようになった』
と。
私事(ひとりごと);
埴輪などにでてくる武人の姿には現在の鉄兜のような戦用の帽子は見ることが出来ますが、ここに見られるような何かわけの分らないような冠は全くのでたらめな想像的なものではと思われます。
ここに描かれている頭巾に何かその上につけているのですが、これはなにを意味するのかは不明ですが、正月に帝が頭に飾られる髻華(うず)を表したのかもしれません。
髻華とは、元日に、時の帝が、頭巾のようなものに「くまかし」の木の葉をつけたものだそうです。
だから、吉備津彦命が孝霊天皇の皇子であったとしても、そんな物をつけるはずがありません。頭巾・冠はなかったとするのがいいようです。