私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備の国の美女達-6

2007-07-19 10:17:19 | Weblog
 美女シリーズは今回で終わります。
 歴史書に載っている程の美女を一国だけに見付けることが出来るのは相当難しいのですが。吉備の国では、その点は有難い事に6人も見つけることが出来ました。
 今回は、厳密に言えば「吉備の国の美女」のお話ではありません。「細谷川」という吉備の国の川が、一組の美女と美男を結び付けたお話がありますので紹介して、吉備の国の美人シリーズの中に入れさせていただきます。

「細谷川の丸木橋」という余り目に付きにくい小さな石碑が、成親卿の墓を下ったところに、ひっそりと立っています。
 「・・・細谷川の丸木橋 渡ればこわし わたらねば 恋しいお方に・・・・」と、この川は、平安の終わりごろ、「都」での流行り歌になっていたようです。

 この流行り歌を、恋文に取り入れて送った平家の若き公達、平通盛が居ました。相手の人は、禁中第一の美人とうたわれた「小宰相」と言う上西門院の女房です。
 平家物語によると、通盛はこの小宰相を見初めてから3年間も懸想文を送るばかりで、色よい返事は未だかって貰ったことはなかったのです。
 もうこれを最後にしようと出した通盛の恋文を、置き所なく、懐に入れていた小宰相が、偶然に女院の前に落としてしまいます。その恋文に書いてあったのが

   我恋は 細谷川の丸木橋 踏み返されて ぬるる袖かな

 でした。
 この文をご覧なされた女院は、小宰相に、
 「これは逢わぬを恨んだ文だ、あまりにも情が強いのも、かえってあだとなる」
とお諭としになり、ご自分でご返事をあそばれました。
 その歌が
  ただたのめ 細谷川の丸木橋 踏み返しては 落ちざらめやは

 これ以後、二人は深く愛し合うようになり、結婚します。細谷川が仲人となったようなものですから、吉備の美女の中に入れました。

 なお、この二つの歌は、平家物語の別本「長門本」では、

 通盛の歌;
  ふみかえす 谷の浮き橋 うき世ぞと 思い知りても ぬるる袖かな
 女院の御歌;
  谷水の 下に流れて まろきばし 踏みみてあとぞ くやしかりける
 
 となっていて、これも、まあ、読み方からすれば「細谷川」という言葉はありませんが、この歌の背景にある当時の流行り歌、細谷川の浮き橋やまろきばしが、二人を結びつける仲人みたいなものになっているようです。

 私は、どちらかというと、この長門本の歌が好きです。