私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備の国の美女達-2

2007-07-15 17:19:39 | Weblog
兄媛と黒媛は大変な美女で、時の天皇が恋して已まなかったのですが、今日の美女は、時代的に言えば,それよりも200年も前のお話になります。十二代景行天皇の時代です。
 この景行天皇の皇后になられたのが、若日子建吉備津日子命の媛の播磨稲目大郎媛と言われたお方です。この媛もこれまた、言い伝えによりますと、天下を騒がすにたる絶世の美女だったということです。
 歴史書には何も書いてはないのですが、彼女の息子が、あの日本武尊です。書紀の中で、尊のことを、次のように書いています。

 「尊が16歳の時に、九州の熊襲が、大和に反旗を翻して反乱を起します。その熊襲征伐に日本武尊を遣わします。その熊襲の長「取石鹿文(とりいしがや)」亦の名を川上梟帥(かわかみのたける)と言います。この敵将を討ち取るために、尊は、自らの髪を解き、人々がはっとするほど美しい童女になり、川上梟帥の宴席に侍ります。川上梟帥は、童女の容姿を感(め)で、手を携えて席を同じくし、杯を挙げて酒を飲ましつつ、戯れて弄る(まさぐる)。そのうち、その席から人もだんだんにいなくなったのを見計らって、尊は袂に隠し持っていた刀で、川上梟帥を殺します」
 と。
 
 それぐらい見目麗しい美しい女姿に変身できるのですから、その母の、稲目大郎媛も、どんなに美しかったことだろうかと、ぞくぞくしたくなるようなその姿が目に浮びます。
 吉備にはこんなに美しい人が、天皇から愛されるような絶世の美女が過去にも沢山いたようです。楽しい話ですね。
 もう2、3人、「吉備」に関係がある美女のお話をさせていただきます。