私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備の国の美女達-5

2007-07-18 11:15:29 | Weblog
吉備の美女のお話も、後2つになりました。歴史書に載るということは、稀なることだともいます。「小野小町」も吉備の国で生まれたとされる説もありますが、諸説ぷんぷんで確証がありませんので、この記事では取り上げません。

 さて、今日取り上げる美女は、万葉集にある歌です。217に、“吉備津采女が死にし時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首并せて短歌”としてあります。

 『秋山の したえる妹 なよ竹の とをよる児らは いかさまに 思い居れか 栲縄(たくなわ)の 長き命を 露こそば 朝に置きて 夕には 消ゆといへ 霧こそば 夕に立ちて 朝には 失すといへ 梓弓 音聞く我も 凡(おほ)に見し
こと悔しきを しきたへの 手枕まきて 剣太刀(つるぎたち) 身に副へ寝けむ
 若草の その夫(つま)の子は さぶしみか 思ひて寝らむ 悔しみか 思い恋ふらむ 時ならず 過ぎにし児らが 朝露のごと 夕霧のごと』

 「したえる」とは優雅で大変美しいと、言う意味だそうです。また「とおよる」とは、しなやかな、たおやかなと、いう意味です。
 万葉時代の、人目につく吉備津出身の美女の一人であったのではないでしょうか。人麻呂が歌に詠むぐらいなのですから。

 まあ、1、300年前にも、人に噂されながら、きっと恋のためだろうと推察される自からの命を絶った、たおやかな美しい乙女が居たと言う事を心に描きながら、是非、声に出して読んでください。なんとも言われない爽やかな気分にしたる事が出来ますよ。

 もう一度載せておきます。

 『秋山の したえる妹 なよ竹の とをよる児らは いかさまに 思い居れか 栲縄(たくなわ)の 長き命を 露こそば 朝に置きて 夕には 消ゆといへ 霧こそば 夕に立ちて 朝には 失すといへ 梓弓 音聞く我も  凡(おほ)に見し こと悔しきを しきたへの 手枕まきて 剣太刀(つるぎたち) 身に副へ寝けむ 若草の その夫(つま)の子は さぶしみか 思ひて寝らむ 悔しみか 思い恋ふらむ 時ならず 過ぎにし児らが 朝露のごと 夕霧のごと』