建国記念の日って?
本日は世間では「建国記念の日」と呼ばれていますが、私たちキリスト教会ではこの日を過去の大戦を深く顧み、悔い改め、祈って過ごす「信教の自由を守る日」として覚えています。
「建国記念の日」が定められたのは1967年、それは2月11日が明治の初めから太平洋戦争の敗戦の時まで、「紀元節」と呼ばれていたことと関係する。紀元節は、日本の国が国として形を整えたのは紀元前660年の神武天皇即位の時からという説に基づいて、1872年(明治5年)に、国の始まり、誕生日と定めたのが紀元節の起こり。それが1967年2月11日に建国記念の日と名前が変わる。新しい主権在民、国の主人公は国民一人ひとりだとする現行の憲法が制定されているのに、主権在君、国の主人公は天皇とする建国記念の日が定められた。殊に、この紀元節は「そろえ」の教育の手段として用いられた。全国民の思想を一つの色にそろえて、アジアへの侵略戦争をやりやすくするために利用した。そこで少しでもはみ出す者は、つらい目にあわせた。それは、嫌なものは嫌と言えない暗い時代だった。紀元節はその時代のシンボルである。そのような時代のにおいがする2月11日だから、新しい日本の誕生日には相応しくない。
現代では、例えば公立の学校でも「そろえの教育」が目立ってきた。新学習指導要領の制定、日の丸・君が代の強制、さらに昨年は「教育基本法」が改悪された。また、「障害者自立支援法」が制定された。そろえの教育の中で一番犠牲になるのは、全体のペースについていけない心や身体に弱さを持っている人たち。お金や時間がかかるから、切り捨てていく。少数意見の人たちの考えは切り捨てられていく。もう一度、立ち止まってこの日のことを考え、祈り、行動していきましょう。
本日は世間では「建国記念の日」と呼ばれていますが、私たちキリスト教会ではこの日を過去の大戦を深く顧み、悔い改め、祈って過ごす「信教の自由を守る日」として覚えています。
「建国記念の日」が定められたのは1967年、それは2月11日が明治の初めから太平洋戦争の敗戦の時まで、「紀元節」と呼ばれていたことと関係する。紀元節は、日本の国が国として形を整えたのは紀元前660年の神武天皇即位の時からという説に基づいて、1872年(明治5年)に、国の始まり、誕生日と定めたのが紀元節の起こり。それが1967年2月11日に建国記念の日と名前が変わる。新しい主権在民、国の主人公は国民一人ひとりだとする現行の憲法が制定されているのに、主権在君、国の主人公は天皇とする建国記念の日が定められた。殊に、この紀元節は「そろえ」の教育の手段として用いられた。全国民の思想を一つの色にそろえて、アジアへの侵略戦争をやりやすくするために利用した。そこで少しでもはみ出す者は、つらい目にあわせた。それは、嫌なものは嫌と言えない暗い時代だった。紀元節はその時代のシンボルである。そのような時代のにおいがする2月11日だから、新しい日本の誕生日には相応しくない。
現代では、例えば公立の学校でも「そろえの教育」が目立ってきた。新学習指導要領の制定、日の丸・君が代の強制、さらに昨年は「教育基本法」が改悪された。また、「障害者自立支援法」が制定された。そろえの教育の中で一番犠牲になるのは、全体のペースについていけない心や身体に弱さを持っている人たち。お金や時間がかかるから、切り捨てていく。少数意見の人たちの考えは切り捨てられていく。もう一度、立ち止まってこの日のことを考え、祈り、行動していきましょう。
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