日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

主のみ守り

2010-10-03 08:18:54 | メッセージ
宣教より 詩編121編

詩編121編は「都に上る歌」となっておりますように、それは聖地エルサレムの都を目指した巡礼者の歌であります。エルサレムの都へ至るその道のりを思いますとき、パレスチナの山々は険しく、自然の環境は大変厳しいといえます。当時のことですからむろん車も鉄道もありませんし、おいはぎが出ることもあったでしょう。エルサレムの都を目指す巡礼者は、その旅路において険しい山々を越え、厳しい自然環境にも耐えしのばなければならなかったのであります。険しい山々を前にして、巡礼の期待と共に、大きな不安を抱く、そんな巡礼者の様子が想像できます。

121編は神に礼拝を捧げるための旅であります。わたしたちも又、一週間の旅路を主に守られて、それぞれの場所からこの主の日の礼拝に集っています。過ぐる一週を皆さま恐らく祈りつつ、主に頼みつつ、歩んで来られたことでしょう。けれどもそこには、見えざるところでの兄弟姉妹の執り成しの祈りがあったことを忘れるわけにはいきません。

私たちもまた、自分だけの意志や力だけで人生の旅路を続けているのではなく、主の招きと共に兄弟姉妹のとりなしによって導かれているということを覚え、私も又執り成し祈る者となることを心に留めたいと思います。教会には本当にこの世にはない神の救いの力が秘められていると信じます。その中で何よりも素晴らしいのは、十字架と復活の主イエスの御名によって、互いに執り成し、祈り合うという豊かな恵みが与えられているということです。その主イエスの御名で祈り合い、執り成し合う中で、本当に人知では計り知れない奇跡やいやしの出来事も起こされます。御独り子を十字架に引き渡して犠牲にしてまで、私たちの魂を滅びから救い出す道を選ばれた主のご愛のもとから、私たちは「主に見守られている」者として、互いに執り成し合い、祈るという素晴らしい主のみ業に参与してまいりたいと願うものです。
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