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ヤコブの深い嘆きの中に

2024-09-08 14:14:23 | メッセージ
礼拝宣教   創世記37章1-36節 

今月はヨセフ物語を読んでいく予定です。このヨセフ物語は創世記の37章~50章迄を占め文学的にも大変優れております。本日の1章には「ヤコブの家族」にまつわる出来事が記されています。
ヤコブにはレアとラケルの2人の妻がおりました。レアとの間に、ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イサカル、ゼブルンの5人の息子が与えられました。一方のラケルは子どもができなくて召使いであったジルバをヤコブに与えて、ガドとナフタリの2人の息子を得ます。レアも負けん気が強かったのか、召使いのビルハをヤコブに与えて、ダンとナフタリをさらに得ます。そして、子どもができなかったラケルはヤコブの間に待望の男の子ヨセフが生まれ、さらに高齢になったラケルはベニヤミンを産むのです。
ヤコブは年寄り子でラケルの初めての子ヨセフを溺愛します。上の兄たちとヨセフとの年齢はずいぶん離れていたかが想像できます。よほど可愛かったのでしょう。ヨセフにだけ「袖の長い晴れ着を作ってやった」のです。
兄たちにしてみれば、「自分たちはお父さんの羊の世話をするためにぼろ着しかつけていないのに、なんでまだ働きもしないこの弟だけはこんな立派な着物なんだ」と不満をいいたくなるのもわかる気がします。その根底には家庭環境の中で、兄たちそれぞれが「もっと自分を認めてほしい。私のこともちゃんと見てほしい」という父の愛情への渇きがあったのでありましょう。不満を持ち苦悩する兄たちは素直になれず、弟を強く妬んだのです。信仰の祖である家族でさえそうだったのです。

私たちも人の好き嫌いはあるでしょう。又、力関係が働くこともあるでしょう。相性が良い悪いもあるでしょう。ただそういう時、感情に流されるまま悪く言ったり、それがどういう影響を与えるかお構いなしの言動をしてしまうと、関係は崩れてしまいます。やはりそこに相手の気持ちを思いやる想像力ってほんとうに大切です。家庭であれ職場であれ、教会でありましても、互いのことを思いやり、互いを尊重し、足を洗い合う気持ちで接していくようにと招かれています。

さて、ヨセフの兄たちは不満を直接父に向けるのではなく、ヨセフに向かいうらみしました。父に訴える勇気がなかったのか分かりませんが。そういった兄たちのもやもやとした気持ちをさらに炎上させたのは、ヨセフ自身でもありました。
それはヨセフが兄たちに天真爛漫に語った2つの夢です。
7節「畑でわたしたちが束を結わえていると、いきなりわたしの束が起き上がり、まっすぐに立ったのです。すると、兄さんたちの束が周りに集まって来て、わたしの束にひれ伏しました。」
それを聞いた兄たちはヨセフに、「なに、お前が我々の王になるというのか。お前が我々を支配するのか」と言って、夢とその言葉のためにヨセフを激しく憎むのです。兄たちのねたみと憎しみは、遂に殺意にまでエスカレートします。「ねたみ」は、人をうらやむ、うらやましく思うことから生じます。それがエスカレートすると殺意にまで及ぶのです。恐ろしい事です。

ヨセフは又、別の夢を見て、9節「太陽と月と11の星がわたしにひれ伏した」と言います。
それは、ヨセフの父ヤコブと母ラケルまでもがヨセフを拝むというものでした。これには父ヤコブも「一体どういうことだ、お前が見た夢は。わたしもお母さんも兄さんたちも、お前の前に行って、地面にひれ伏すというのか」と、ヨセフをいさめます。いくら溺愛の息子でも自分を拝まれる対象にするなど許されることではなかったからです。
その上で、聖書は「兄たちはヨセフをねたんだが、父はこのことを心に留めた」(11節)と、伝えるのです。
この「心に留める」と同様のことが新約聖書にも出てまいります。クリスマスのキリスト誕生の折、天使のお告げを受けた羊飼いたちがベツレヘムの家畜小屋を訪れますが。(ルカ2章)羊飼いたちはそれを人々に知らせると、「聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」と記されています。この「心に納めて、思い巡らした」が、ヤコブがヨセフの言葉を「心に留めた」という事と同じ意味なのです。
それは、今すべてそのまま受けとめる事ができなくても、何度も繰り返し重ねて思う。牛が一度口に入れた牧草を胃袋に入れてはまた口に戻して、それを何度も繰り返し反芻(はんすう)して体内に摂り入れていくように。ヤコブもまたマリア同様、神のご計画とお働きと思われる出来事やその言葉を心に留め、反芻していくのであります。
この事は私たちの信仰にも大事なことです。週ごとの礼拝の宣教の言葉や祈祷会でみ言葉に聴き、学び、又、一日一日の聖書日課のみ言葉と黙想、祈りを通して、主が語りかけて下さいます。それを何度も反芻するように心に留め、思い巡らしていく。その時にはわからなくとも、やがてそのみ言葉を体験的に知って、主が生きておられることが確信できるように導かれます。
ヘブライ書11章1節以降に「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められたのです」とありますように、今を生きる私たちも、信仰におけるこうした確信と確信を得、日々を保っていきましょう。

さて、その父ヤコブですが。ヨセフに「シケムで羊の群を飼っている兄たちのところへお前を遣わしたいのだが」ともちかけます。まあヘブロンの谷からシケムまでは北に77キロもあり、山や坂、谷などあり、険しく危険な道でもあったようですが。ヨセフは「はい、わかりました」とすぐに承知します。ヨセフにとっては親子関係、兄弟関係は何のわだかまりもなかったようです。
次いでヤコブも、「では、早速出かけて、兄さんたちが元気にやっているか、羊の群れも無事か見届けて、様子を知らせてくれないか」と言うのですが。その言葉からも、ヤコブが他の兄息子たちのことを心にかけ、大切に思っていた様子が伝わってきます。ヤコブは確かにヨセフを可愛がっていましたが、どの子も大切なこどもに違いなかったのです。

ちなみにこの「無事かどうかを見届けて」の「無事」は、シャローム(平和・平安)という言葉が用いられています。普通なら安全か、何事もないかを尋ねるでしょうが。ヤコブは「兄弟たちが平和であるか。お互い平安であるか。」それを心にかけ、見とどけて様子を知らせてほしいと言うのです。
先にも申しましたように、ヤコブの家族関係は2人の妻とそれぞれのそばめ2人、そしてその子どもたちというのでありますから、彼らが成長してからことさら父ヤコブは家族の平和、兄弟間のシャロームを心から願っていたということでしょう。
ヨセフは父の思いをくみ、自らも兄たちとの平和・平安を願いつつ出かけて行きます。こうしてヨセフは長く険しい道のりを経て、兄たちがいるシケムに辿り着きます。しかし、ヨセフは兄たちがドタンに行こうといっていた事を人から聞くと、さらに北に25キロも先のドタンの地に向います。
一方、「兄たちは、はるか遠くの方にヨセフの姿を認めます。」(18節)
彼らは父やヨセフの思いも知らず、近づいて来るヨセフを何と、殺してしまおうとたくらみ相談するのです。いや、恐ろしいですね。妬みがうらみ、さらに憎悪となり、のけ者扱いが遂に殺意にまで及んでしまうのです。
しかし、長男のルベンだけはヨセフを彼らの手から助け出して、父のもとへ帰したかったようです。彼は「命まで取るのはよそう」(21節)「血を流してはならない。荒れ野のこの穴に投げ入れよう。手を下してはならない」(22節)と弟たちに訴え、ヨセフは殺されることはなく、命だけは守られるのです。けれども、兄たちはヨセフが着ていた裾の長い晴れ着をはぎ取り、捕えてヨセフを荒れ野の穴に投げ込みました。
そこへ荒れ野を通りかかったミディアン人がヨセフを穴から引き上げると、そこを通りかかったイシュマエル人に銀20枚で売り、ヨセフはイシュマエル人にエジプトへ連れていかれてしまうのです。
この空の穴の第1発見者は長男のルベンでした。早くヨセフを穴から助け出して父のもとへ帰そうと考えて走って行ったのでしょうか。しかしそこにヨセフはいません。相当なショックを受けた彼は「自分の衣を引き裂く」ほど嘆くのです。
そうして途方に暮れたルベンが他の兄弟たちにこのことを伝えるのですが、他の兄弟の反応は冷ややかでルベンとは違いました。彼らはその時にもヨセフが自分たちの目の前からもはやいなくなり、父からも切り離されてしまえばよいと思っていたのです。
人はだれしも自分の存在を肯定してくれる人を必要としています。その始まりは親的な存在であるでしょう。私は少年期に両親の離婚を経験し、母親の手によって育てられました。その頃の自分の心はどこか空洞のようになり、荒れ果てていました。近所の悪がきグループに入り万引きを繰返したりもしました。そんな時でした。ある一人の同級生と草野球のかけをして負けてしまい、連れていかれたのが近所の教会の日曜学校でした。小学校4年の時でした。その後中高生時代は少年少女会に参加するようになり教会の友だち、親友もできました。又、教会の方々もそんな私を温かく迎えてくださいました。いつの間にかキリストの教会が空しい私の心を満たしてくれる居場所・家族になっていったのです。そして高校1年の時に主イエスを信じ、バプテスマを受け、喜びと平安に与かりました。もしあの少年時代の出会がなかったなら、ほんとうに自分はどうなっていたのだろうと思います。

聖書に戻りますが。
31節「兄弟たちはヨセフの着物を拾い上げ、雄山羊を殺してその血に着物を浸した。彼らはそれから、裾の長い晴れ着を父のもとへ送り届け、『これをみつけましたが、あなたの息子の着物かどうか、お調べになってください』と言わせた。」
その間長男のルベンは責任を感じて茫然自失になっていたのでしょうか。どうしてイシマエル人の商人の一団を追跡してヨセフを取り戻す行動がとれなかったのか。また、何とか他の兄弟たちの行為を思いとどまらせ、正直に父ヤコブにヨセフが売られていったことを話すことができなかったのか、とも思いますが。ルベンは自分たちがヨセフになしたことを、洗いざらい父に明らかにしなければならないと思うと、恐れが先立ってしまったのでしょうか。他の9人の弟たちの行為を黙認する外なかったのです。
彼は結局、父ヤコブのもとに雄山羊の血のついたヨセフの晴れ着を届けさせた責めを、ずっと負っていくことになるのです。

33節「父は、それを調べて言った。『あの子の着物だ。野獣に食われたのだ。ああ、ヨセフはかみ裂かれてしまったのだ。』ヤコブは自分の衣を引き裂き、粗布を腰にまとい、幾日もその子のために嘆き悲しんだ。息子や娘たちが皆やって来て、慰めようとしたが、ヤコブは慰められることを拒んだ。『ああ、わたしもあの子のところへ、嘆きながら陰府へ下って行こう。』父はこう言って、ヨセフのために泣いた。」
息子ヨセフを亡くしたヤコブの落胆と嘆きは、あまりにも深く誰の慰めも寄せつけません。兄息子たちは、ヨセフを排除することで父の愛を自分たちに引き寄せようと結託しました。「ヨセフは野獣に殺された。もういないんだ。」そのように見せかけたのも、父の愛をヨセフから自分たちに向けさせるためでした。彼らは「今こそ悲しみ心痛める父ヤコブを自分たちが慰めて、父からの愛を得よう。」そう考えたのではないでしょうか。が、しかし兄息子たちの偽りの慰めは何ら父の心には届かず、そのもくろみは完全に失敗します。それは、ただ父ヤコブを絶望と悲しみのどん底へ突き落とす結果にしかならなかったのです。
ヨセフの兄たちは確かにヨセフに直接手をかけて殺害したわけではありません。けれどそれはヨセフを見殺しにしたも同然でした。父に対して正直に「ヨセフが商人の一団に連れていかれた」と一言打ち明けていたなら、父が悲しむことはあっても、まだ父は希望がもてたはずです。しかし、兄息子たちは「ヨセフが死んだ」と思いこませ、父の心まで死ぬほどに苦しませたのです。
先に申しましたように、父ヤコブがヨセフを兄たちのもとに送ったのは、家族のシャローム、平和、そして和解のためでした。ヨセフもまた、その父の思いを受けて兄たちのもとを自ら進んで訪ねて行ったのです。けれど兄たちはそれを理解できず、反ってヨセフを憎しみ、亡き者にしようとしたのです。
注目すべきことに13節には、父ヤコブの名が「イスラエル」の名で記されています。それは神から受けた祝福の名です。その子らもイスラエルの12部族の祖となっていくのです。ヤコブはその家族のシャローム、平和、平安だけでなく、後々受け継がれてゆくであろう12部族のシャローム、平和、平安の願いでもあることをここで伺い知ることができます。
そして新約の時代に時至って、神は12部族を超え、地上のすべての人々の平和と和解、シャロームを実現するために、独り子イエス・キリストを救い主としてこの世界にお遣わしになりました。
そのイエス・キリストは、罪を認めようとせず、うそ偽りで塗り固め、自己正当化する人間の罪によって妬みを受け、殺されてしまうのです。けれど不思議にも、そのイエス・キリストの十字架を通してすべての人の罪はあがなわれ、神さまとの和解と平和、救い、シャロームの道が拓かれていったのです。
ヨセフの兄たちもまた不思議にも、ヨセフの受難を通して最後には罪の滅びから救われ、ヨセフ、そして父ヤコブとの真の和解と平和に与ることになります。ヨセフ物語は全世界に向けた神の偉大なシャローム、平和と和解のご計画の先取りであり、それは今やイエス・キリストによって実現されているのです。
今日私たちはこのヨセフの受難と父ヤコブの深い嘆きの中に、キリストの受難と父なる神の深い愛を思い起こしながら、心新たにその恵みを覚えつつ、神さまの愛に立ち返って生きる者とされたいと願います。
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