日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

何によって生きるのか。

2010-10-10 07:41:30 | メッセージ
宣 教   ローマ1章8~17節より  

使徒パウロは熱心なユダヤ教徒であった時は、十字架のキリストに敵対し、これを攻撃し、それを福音として伝えていたキリスト教会とその信徒を徹底的に迫害しました。
しかし彼は復活の主イエスと出会い、これまで誇りとしてきた血統、学歴、知識、能力、業績などが、イエス・キリストを知ることの価値の偉大さに比べれば、如何に塵あくたのようなものであるかを思い知らされたのでした。まさに、人の目には愚かと見える福音こそが、信じる者に救いを得させる「神の力」であるということを実体験したのです。

ちょっと話が逸れますが。先日伝道用トラクトのサンプルが届きました。それは阪神タイガースのマートン選手の証しが載っているのですが、とても印象的でしたのでご紹介します。シーズン210安打というイチロー選手の最多安打日本記録を塗り替える新記録を出し大活躍をしているすごい選手でありますが。彼はこんなことを言っているんですね。「罪のないイエスさまが罪を持った人間のため 
先日の特伝で松岡先生が、「ただ100パーセントの神さまの愛を100パーセントあるがままの姿で受け入れることでよい」と福音を語ってくださったのですが。このマートン選手も「たとえ僕が、失敗してしまったとしても、イエスさまはありのままの僕を愛してくださる。そういう確信があるから、大舞台でも落ち着いてプレーできます。僕が試合中に意識しているのは、究極的には観客は一人、神さまだということです。すべてのことを、神さまに栄光をささげるためにさせてください、と祈っています。」といっているんですね。彼の力は、実は福音の力、神の力だったのです。

十字架のキリストを信じ受け入れるということは、自分の弱さをさらけだし、無力であることを告白するということでもあります。それはある意味確かに勇気がいることです。
自分を主にすべて明け渡していくということだからです。けれど「そこに」神の力が働くのです。まさパウロがここで述べていますように、福音の力、神の力によって神の栄光が現わされていくのです。

私たちは生きていく上で、衣食住や健康などいろんなものが必要であります。が、人間を生かしめている根源的な力は何なのかを今日の聖書はパウロを通して語っています。それは目に見えるものではなく、見えないものであり、人の評価や能力によるものではなく、神の力によるのです。
人間は天地万物をお造りになったすべてのいのちの源である主なる神さまを知り、その口から出る一つひとつの言によって真に生きることができます。その神さまは、御子イエス・キリストを世に送り、十字架の救いのみ業を通して死と罪に滅ぶしかない私たちを救い出してくださいました。
このキリストを通して与えられた福音によって、私たちは本当に生きることが出来るのです。この地にあって真に生きる意味を見出し、やがて訪れる終末にも備えて日々生きることができるのです。ハレルヤ、主の御名を賛美します。
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