日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

あなたがたに平和

2020-04-19 12:59:51 | メッセージ

礼拝宣教 ヨハネ20・19-29 

先週は主イエスの復活を記念するイースターでありましたが、現状では教会堂には集うことができませんので、礼拝プログラム(週報)と礼拝宣教をメールやFAXで送信させて頂きました。主にあるつながりと励ましを感じるということで、うれしい応答メールも頂いております。メールアドレスのある方には礼拝の音声配信が何とかできるようになりましたので、そちらも必要に応じてご利用下さり、一緒に心を合わせて礼拝を守っていただければと願っております。
この現況下においてすべての教会の方々が礼拝堂に集うことができなくなっている今こそ、この大阪教会のエクレシア、神の家族として共におぼえ合い、祈り合ってまいりましょう。そのように信仰による励まし合いを継続していく中で、心も魂も守られ、より深い福音の恵みの体験が与えられます。

本日はヨハネ20章の記事から「あなたがたに平和」と題し、御言葉を聞いていきます。
先週は主イエスの復活を祝うイースターでした。救いの御業、それは十字架の苦難と死からよみがえられた主イエス・キリスト。
今日のこの箇所は、その主イエスが復活された日から8日目に主イエスが弟子たちにそのお姿を顕わされた場面であります。
19節「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた」とあります。

そこへ、復活の主イエスが姿を現わされ彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われます。
今私たちは週の初めの日曜日に礼拝を守っていますが、主イエスは死さえも打ち破られ復活なさったのがこの週の日の初めである日曜日であったことから、それ以降キリストの教会は世々に亘って、この週の初めの日曜日を「主の日」として復活の主イエスを記念する礼拝を捧げています。
しかし、世界で初めての主の日、弟子たちはユダヤ人たちを恐れ、一つの家に潜み戸には鍵をかけていました。狭い部屋の中にいつも付き従っていた人たちを含むイエスの弟子たちが、いわばすし詰め状態で息を潜めていたのです。
「イエスさまがあんな無残な死を遂げてしまった。なぜこんなことになったのか。これから一体何を信じ、頼りにしていったらいいのか」と、おそらくそこに居た人々の頭の中はぐちゃぐちゃであったことでしょう。
 彼らは「イエスの仲間だ」ということで捕えられてしまうという不安と恐れがありました。それは、主イエスとその教えに敵対する勢力に対する外的な恐れであります。                                又、彼らは、イエスさまを見捨てて逃げた事への後悔や自責の念という内的な恐れにも責め苛まれていました。彼らの心も又、内から鍵をかけ、心閉ざされている状態であったのです。
この主イエスの弟子であるがゆえに襲ってくる恐れ。それは何もこの弟子たちだけに限ったことではありません。
このヨハネ福音書が主イエス・キリストの証言として編纂された時代、ヨハネがつながっていた教会の信徒らも又、熱狂的なユダヤ教徒からの厳しい迫害の中で同様の恐れを抱いていたのであります。
ヨハネはそのような信徒らを励ますように、「主イエスがおびえる弟子たちの真ん中に立たれた」という復活の日の出来事を思い起こしつつ書き記すのです。

「恐れと平和」
先に弟子たちは「恐れ」を抱いて生きざるを得ないような状態であった、ということを申しました。この「恐れ」の対照語は「平和」なのです。イエスさまはおそらくヘブライ語で「シャローム」とおっしゃったのだろうと言われていますが。
それは「平和」という意味とともに、「平安」という意味があるのです。
ユダヤでは一般的なあいさつとして交わされているのですが。彼らにとってシャローム・平和とは、「神が共におられる時のこと」を意味しており、それが人と社会の平和・平安なのです。
イエスさまはここで、不安や恐れ、自責の念にかられる弟子たちに、「なお神はあなたがたと共にいてくださる」と、宣言なさったのです。

「恐れ」ということで思い浮かびますのは、救い主イエスさまご降誕の知らせを聞いたヘロデ王やエルサレムの人々が「不安を抱いた」というくだりです。ヘロデ王は自分の地位や立場が危うくなるという強い恐れをもちました。又、エルサレムの町に住み、世の力の支配にあまんじる人たちは、その安定が揺るがされるのではないかと不安を抱いたのです。
それは、神が共にいてくださる平和、平安を知らない、否、受け入れようとしない、そこから来る恐れであったと言えましょう。
ヘロデ王はそこで無慈悲にも、「ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、皆殺しにさせた」というのです。恐れは時に自分を守ろうとするあまり攻撃的になり人を殺め傷つけます。

昨今の状況の中で、ヘイトや家庭内暴力(DV)が増加しているという残念なニュースも流れています。その根底には恐れがあり、神不在の恐れや不安があるといえるのではないでしょうか。
私ども自身もその神にいつも立ち返りつつ、隣人や地域社会、そして世界に向けた執り成しの祈りを捧げ続けていきましょう。

さて、主イエスがおっしゃったシャローム、「平和」ですが。今度はギリシャ語で読みますと、「エイレネー」、それは「建てあげる」という意味があります。
これは使徒パウロの手紙Ⅰコリント14章33節でも使われており、そこにはこのように述べられています。
「神は無秩序の神ではなく、『平和』の神である。」神は無秩序の神でなく「建てあげる」神であるというのです。ここには教会の秩序が損なわれていた初代教会の現状があったようです。せっかく福音によって主の教会が誕生したのに、福音本来の神の平安と愛が損なわれている現状。そういう中で使徒パウロは、「神は無秩序の神ではなく、秩序の神である」とはいわないで、「神は無秩序の神ではなく、建てあげる神である」と言っているのです。
大切なのは、「平和の神にあって、違いをもった一人ひとりが大切にされ、互いが神の愛と恵みによって組み合わされ、建てあげられていく」。そこに真の平和、平安という神の御業が実現されていくのです。

「平和の使者として」
さらに、復活のイエスさまは重ねて弟子たちに言われます。
21節「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」
主イエスは十字架と復活の御業によって神との和解と真の平和を建てあげられました。その主イエスが今度は弟子たちに対して、「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」と命じられるのです。
その使命とは、罪のゆるしを得させる神との和解の使者としての務めなのです。
使徒パウロはⅡコリント5章17節~18節で次のように記しています。
「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者です。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。(中略)神は、キリストによって世をご自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をお授けになりました。」

この「和解のために奉仕する任務」と今日の23節の「罪を赦す権能」とは、ともに神の国の平和が実現されていくための大切な働きです。
本来罪を赦すことができるのは、唯神のみです。しかしここで主イエスは御自分の弟子となった者、そして主の教会にその任務をお授けになるのです。
さらにキリスト者とされた私どもすべて、私たち一人ひとりが、キリストにある和解と平和の使者としての務めを主イエスから託されているのです。
そしてここで重要な点は、復活の主イエスがそれに先駆けて、彼ら(弟子たち)に息を吹きかけて「聖霊を受けなさい」と言われていることです。この「聖霊」は、ギリシャ語原語で「パラクレイトス」、助け主です。それは又、弁護者とも訳せます。
この聖霊は復活の主イエスが天に昇られた後、その約束されたとおり主イエスを信じる一人ひとりの信徒とキリストの教会に降臨された聖霊であり、今も私たちの教会をキリストのみ体となすべく神の力とそのお働きをなしておられるお方です。
ヨハネは14章25節以降で、「弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。わたしは平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」
今も変わることなく聖霊は私たちのうちにも臨まれ、お働きくださっています。
今こうして教会の礼拝堂に集まることは出来ませんが、聖霊のお力とお働きによって私たちは神のエクレシア、主に呼び集められた共同体として守られ、恵みに与っているのです。引き続き聖霊の導きを祈り求めてまいりましょう。

さて、今日の箇所のもう一つのメッセージは、24節以降で復活の主イエスがトマスに現れなさる場面であります。
トマスは何らかの理由で初めに他の弟子たちに主イエスが立たれた場面に居合わせることができませんでした。他の弟子たちが興奮気味にその時の様子を報告するのを複雑な思いで聞いていたことでしょう。彼だってイエスさまにもう一度、お会いすることができれば、どんなにうれしいことかと思っていたでしょう。
しかしトマスは、そんなことが本当にあるのだろうかという疑いの心、自分だけがそこに居合わせなかったもどかしさから、こう言います。
26節「あの方の手に釘の跡を見て、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」
トマスは懐疑主義的で実証されないと信じない人物だと言われますが、しかしこういった状況の中で彼の心は、内側から鍵がかかっていたような閉ざされた状態であったのではないでしょうか。
まあ、トマス自身はそういった状態でありましたが、主イエスはそんなトマスを愛し、慈しんでおられます。                             復活されて8日目、第二の週の初めに、主イエスはトマスにも、その復活のお姿を顕わされなさったのです。
それは、神さまが与えて下さった者をひとりも失わないことが、御心であるからです。

主イエスはトマスに言われます。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者にではなく、信じる者になりなさい。」
その愛と赦しに触れたトマスは、「わたしの主、わたしの神よ」と、その閉ざされた心の扉が開かれ、神との和解とその愛にどっぷりと浸されるような体験をするのですね。
「このお方こそ、私の主、私の神だ」と。実は弟子たちの中で、このようにイエスさまが「わたしの主であり、わたしの神」と、明快にその個人的信仰を初めて表明したのはこのトマスであったのですね。

すると主イエスはトマスに言われます。
「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
弟子たちは、ずっとイエスさまのおそばについて、普段からイエスさまのお姿を見ていたにも拘わらず、彼らはイエスさまが神の子、救い主であることがわからなかった。言ってみれば人間的弱さと痛みを負ったイエスさまに躓いてしまい、恐れのなかで逃げ出してしまったのです。
イエスさまを間近に見ていたから信じられたのではなく、逆に間近に見ていたがゆえに信じられなかったということであります。
イエスさまはここで弟子たちに何をお見せになったかというと、ご自身の受難予告どおり、「十字架の受難と死を通って復活したのだ」ということを明示された、証明されたのですね。

「弟子たちは、主を見て喜んだ」とありますが。その喜びはとても一言では言い表せるものではなかったでしょう。主イエスのゆるしを得、なおその愛の中に招かれていることを知った平安がそこに満ち溢れていた。
閉ざされた心が解放を得、絶望が希望に変えられたのです。それはまさしく復活の主と共に死から命へと移された瞬間であったことでしょう。私たちも又、少なからず主イエスとの出会いと解放によって死から命に移されるような体験を与えられて来たのではないでしょうか。                               主イエスのこの復活の顕現の後も、主は約束の聖霊を遣わしてくださり、パラクレイトス;助け主、慰め主、弁護者として主を信じる私たちの真ん中に立たれ、お働きくださっているのです。
「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
主イエスにある平和を与り頂いている確信と喜びをもって、今日のこの状況の中だからこそ、主に委ねられ託されている祈りと執り成しの務めへと遣わされてまいりましょう。
最後に、ヴィヴィアン・R・リーチさんとおっしゃる方の手紙形態の詩を先週知人を介して知り、読んでみますとハッとさせられたので、翻訳されたH.Kさんのものを読ませていただきます。

Coronavirus Letter To Humanity

The earth whispered but you did not hear.
The earth spoke but you did not listen
The earth screamed but you turned her off.
And so, I was born…
I was not born to punish you …
I was born to awaken you …
The earth cried out for help…
Massive flooding. But you didn’t listen.
Burning fires. But you didn’t listen.
Strong hurricanes. But you didn’t listen.
Terrifying Tornadoes. But you didn’t listen.
You still don’t listen to the earth when.
Ocean animals are dying due to pollutants in the waters.
Glaciers melting at an alarming rate.
Severe drought.
You didn’t listen to how much negativity the earth is receiving.
Non-stop wars.
Non-stop greed.
You just kept going on with your life …
No matter how much hate there was …
No matter how many killings daily …
It was more important to get that latest iPhone 
than worry about what the earth was trying to tell you …
But now I am here.
And Ive made the world stop on its tracks.
I’ve made YOU finally listen.
I’ve made you take refuge.
I’ve made you stop thinking about materialistic things …
Now you are like the earth…
You are only worried about YOUR survival.
How does that feel?
I give you fever … as the fires burn on earth.
I give you respiratory issues … as pollution fill the earth air.
I give you weakness as the earth weakens every day.
I took away your comforts …
Your outings.
The things you would use to forget about the planet and its pain.
And I made the world stop…
And now…
China has better air quality …
 Skies are clear blue because factories are not spewing pollution unto the earth’s air.
The water in Venice is clean and dolphins are being seen.
 Because the gondola boats that pollute the water are not being used.
YOU are having to take time to reflect on what is important in your life.
Again, I am not here to punish you … I am here to Awaken you…
When all this is over and I am gone… Please remember these moments …
Listen to the earth.
Listen to your soul.
Stop Polluting the earth.
Stop Fighting among each other.
Stop caring about materialistic things.
And start loving your neighbors.
Start caring about the earth and all its creatures.
Start believing in a Creator.
Because next time I may come back even stronger….

Signed,

Coronavirus

(Written by: Vivienne R Reich)

コロナウイルスから人類への手紙

地球は囁いたけれど、あなたには聞こえなかった。
地球は話したけれど、あなたは聞かなかった。
地球は叫んだけれど、あなたは聞くことを拒んだ。
それで、私は生まれた・・・
私はあなたを罰するために生まれたのではない・・・
私はあなたの目を覚ますために生まれた・・・
地球は助けを求めて叫んだ・・・
大規模な洪水。でもあなたは聞かなかった。
厳酷な火災。でもあなたは聞かなかった。
猛烈なハリケーン。でもあなたは聞かなかった。
恐ろしい竜巻。でもあなたは聞かなかった。
海の生き物が、水中の汚染物質によって死んでいっている。
異常な速さで溶けていっている氷河。
厳しい干ばつ。
それでもまだ、あなたは地球の声を聞こうとしない。
どれだけ地球がひどい扱いを受けているのか、あなたは聞こうとしなかった。
次々と続く戦争。
次々と続く貪欲。
あなたはただ自分の生活を続けるだけだった・・・
どれだけ憎しみがあろうが・・・
毎日どれだけ殺害があろうが・・・
地球があなたに伝えようとしていることを心配するより、
最新のiPhoneを手に入れることのほうがもっと大事だった。
だけど今ここに、私がいる。
そして、私は世界を一気にストップさせた。
やっと私はあなたに耳を傾けさせた。
私はあなたに庇護を求めさせた。
私はあなたが物質本位に考えるのをやめさせた・・・
今、あなたは地球のようになっている・・・
あなたはただ自分が生き残れるか心配しているだけだ。
どう感じますか?
私はあなたに熱を与える。地球で起きる火災のように・・・
私はあなたに呼吸器障害を与える。地球の大気汚染のように・・・
私はあなたに衰弱を与える、地球が日に日に衰弱していっているように。
私はあなたの安楽を奪った・・・
あなたの外出。
あなたが使う、地球のことや、地球が感じている痛みのことを忘れさせるような物。
そして私は世界をストップさせた・・・
そして今・・・
中国の大気質が改善した・・・工場が地球の大気に汚染を吐き出さなくなったことにより、空が澄んだ青色だ。 
ベニスの水が澄んでイルカが見られる。水を汚染するゴンドラを使っていないからだ。
あなたは時間をとって自分の人生で何か大切なのか深く考えなければならなくなっている。
もう一度言う。私はあなたを罰しているのではない・・・私はあなたの目を覚まさせるために来たのだ・・・
これが全て終わり私がいなくなったら・・・どうかこれらの時を忘れないように・・・
地球の声を聞きなさい。
あなたの魂の声を聞きなさい。
地球を汚染するのをやめなさい。
鬩ぎ合いをやめなさい。 
物質的なものに関心を持つのをやめなさい。
そして、あなたの隣人を愛し始めなさい。
地球と、その全ての生き物を大切にし始めなさい。
創造神を信じ始めなさい。
なぜなら、次の時には、私はもっと強力になって帰ってくるかもしれないから・・・

コロナウイルスより(作者:ヴィヴィアン・R・リーチ)

祈ります。
天地万物を創造し、今もすべ治めておられる主なる神さま、今日のあなたの命の言葉をありがとうございます。
今の現況ににあって、私たちに与えられている恵みと平和をおぼえつつ、主が私たちに
託されているあなたとの和解、平和のために祈り、執り成し続け、主の御心に適う歩みがどうかできますよう導き、又その体と心と魂とが健やかであるように守ってください。
あなたの御心を求め、救い主イエスの御名で祈ります。

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