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恐れ悩みの中で

2016-11-20 14:26:37 | メッセージ
礼拝宣教 ダニエル7章15-28節

本日はダニエル書7章から御言葉を聞いていきたいと思います。
この箇所はダニエル書の黙示(録)といわれる部分にあたります。ダニエル書の1~6章までにおいては、ダニエルがバビロン王のネブカデネツアルの夢を幾度も解き明かしてきたわけですが。この7章からはダニエル自身が幻と夢を見るのです。しかし彼はその幻と夢について自分で解き明かすことができず、「大いに憂い、悩まされた」というのであります。
それは7章初めのところに「天の四方から風が起こって、大海を波立たせ、その海から四頭の大きな獣が現れる、というものでした。第一のものは獅子のようで、第二の獣は熊のようで、第三の獣は豹のようであった。さらに夜の幻で見たのは第四の獣で、ものすごく、恐ろしく、非常に強く、他の獣と異なって、これには十本の角があって、その角を眺めていると、もう一本の小さな角が生えてきて、先の角のうち三本はそのために引き抜かれてしまった。その角には口もあって尊大なことを語っていた」とあります。

何だかこども頃に見たヒーローものの怪獣のようですが。注解書や略解などを読みますと、この4つの獣について、第一の獅子のような獣がバビロン王国とその王で、第二の熊のような獣がメディア王国とその王で、さらに第三の豹のような獣がペルシャ王国とその王で、そして4番目のものすごく、恐ろしく、非常に強い獣とは、ギリシャ王国を指し、特にその中心はシリヤで、10の角は歴代のシリヤの王を指し、「尊大な事を語る」口をもつ小さな角とは、アンティオコス4世であるという説です。
アンティオコス4世の王在位は前175~164年の9年で、それはユダヤ人にとって最悪の暴君でした。彼はギリシャ文化をシリヤばかりかユダヤにも導入し、ユダヤの人々にゼウスやディオニソスといったギリシャの神々を崇拝するように強要しました。前167年にはユダヤ人に対して徹底した宗教弾圧を開始しました。そして最もユダヤ人の人たちが大切にしていたエルサレム神殿内にギリシャの神の像を建てて拝ませ、ユダヤ人たちの伝統的な宗教行事を禁止し、ユダヤ人たちに対して律法への不服従を誓わせようとします。そして、その命令に従わない者たちを処刑したのです。これはイスラエル・ユダヤ民族がそれまでの歴史で体験した最大の宗教迫害だったのです。こうしたことがダニエルの幻と夢とに示されたということですね。そのような最も厳しい迫害の只中においてこのダニエル書は信仰をもって主に忠実に従って生きる人々を、神が励まし希望を与えて、勝利を与えてくださる、とのメッセージを伝えるために編纂されたのです。

本日読みました15節からは、そのダニエルの見た幻と夢を、一人の人が解き明かしていくという箇所ですが。この一人の人とは神に仕える天の使です。この天の使いによれば、「これら四頭の大きな獣は、地上に起ころうとする四人の王である。しかしいと高き者の聖者らが王権を受け、王国をとこしえに治めるであろう」ということでありました。

そこでダニエルは「第四の獣について知りたい」と願ったとあります。
それは彼が見た幻の中でも、非常に恐ろしく、強く、不可解であったからです。
20節に「これは、他の角よりも大きく見えた」。さらに21節「見ていると、この角は聖者らと闘って勝った」とも言われています。それは、神を神としていく信仰を貫いたユダヤの人々の多くが迫害や殉教に遭うようになり、世の悪の権力者が勝利したかのような状況が象徴的に表されています。このことは実際には先ほど申しましたように、獣の十本の角の中からさらに出てきた一本の角すなわち、シリヤの王アンティオコス4世が。真の神を汚す尊大なことを語り、エルサレム神殿にまで偶像の神々を建てて、ユダヤ人たちに偶像礼拝を強要し、ユダヤの祭り事や彼らが神の民として大切に守ってきた律法を彼らから奪うために、実に凄まじい迫害を繰り返してユダヤ人たちを大いに悩まし苦しめていることが語られています。ダニエル自身も王室仕える身でありながらも、その信仰を貫いたがために、ライオン穴に投げ込まれ、あわやとう経験をしたのです。

そのダニエルは恐ろしい幻と夢を見て、大いに憂い、悩みます。
主に従う者がどうしてこのような災いや苦難に遭わなければならないのか。悪の力が勝つというのはなぜなんだろう。それはまさに暗たんたる嘆きの中からの問いであります。

しかし、一方でダニエルは希望ともいえる幻を与えられていました。
9節には「王座」が据えられ、「日の老いたる者」が「そこに座した」。さらに13節には「見よ、人の子のような者が天の雲に乗り、「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み、権威、威光、王権を受けた。諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え、彼の支配はとこしえに続き、その統治は滅びることはない。」

私どもにとりましては、それはまさに主イエス・キリストの再臨を彷彿とさせる描写でありますが。繰り返し22節には「やがて、『日の老いたる者』が進み出て裁きを行ない、いと高き者の聖者らが勝ち、時が来て王権を受けたのである」とも語られています。
それは天の使いの解釈によれば26節、27節。「やがて裁きの座が開かれ、彼(第四の獣の王権のこと)は、その権威を奪われ、滅ぼされ、絶やされて終わる。天下の全王国の王権、権威、支配の力は、いと高き方の聖なる民に与えられ、その国はとこしえに続き、支配者はすべて、彼らに仕え、彼らに従う」と、そのように示されたということであります。

『日の老いたる者』。それはこの歴史の初めからおられるお方のことです。そのお方こそが真に王座に就くに相応しいお方であり、すべてを裁く権威者であります。その裁き主がやがてまったき裁きを行ない、信仰者を迫害してきた暴君の権威は奪われ、滅ぼされ、絶やされて終わる。さらに、いと高き者の聖者ら、すなわち最期まで、死に至るまで神に忠実に生きようとした信仰者たちが、それらすべての王権、権威、力を神から与えられて、それはとこしえまでも続くという実に壮大なビジョンを、ダニエルは見せられるのですね。

これらのダニエルが見たもの、天の使いから語られた御言葉は、迫害の最も厳しい時代にあった信仰者たちにとって、にわかに受け入れること、又理解できることがらでは決してなかったでしょう。ダニエルでさえ「大層恐れ悩み、顔色も変わるほどであった」と述べられているとおりです。
人は得たいの知れない事、先行きに何が待ち受けているか分からない状況の中で恐れを抱き、不安になります。もしかすると今の時代の私たちも、そのような恐れや不安が増大しているのかも知れません。そんな捉えようのない恐れ悩みの中でダニエルは、それでも28節「しかし、わたしはその言葉を心に留めた」とあります。

もうじきクリスマス、次週はアドベント(待降節)に入りますけれども、その「御言葉を心に留めた」というのは、あの救い主イエスさまの誕生のエピソードにおいて幾度も語られております。
ルカ福音書で救い主がお生まれになったという喜びの知らせが最初に届いたのは、当時ユダヤの社会から疎外され、軽んじられていた羊飼いたちでした。その彼らに天の軍勢が現れ、彼らのために救い主が生まれたという喜びの知らせを天使から聞き、早速赤ん坊の救い主イエスさまをお祝いするために、仕事をおいて聖家族のもとを訪ねて、その喜びの知らせを人々に伝えるのであります。ところがその喜びの知らせを聞いたユダヤの人々は不思議に思った。疑問に思った、疑ったのですね。そこには、羊飼いなんぞにそんな救い主メシアな王がお生まれになったなどという知らせが届けられるものか、という偏見や思い込みが人々のうちにあったからではないでしょうか。
しかし、母マリアは違いました。「これらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」とございます。母マリアは、羊飼いをとおして示された知らせ、メッセージに驚きつつも、それを「心に納め」、何度も何度もそのことを咀嚼し、反芻していったのですね。

まさにこの今日のダニエル書7章28節の「わたしはその言葉を心に留めた」というのは、そういうことであります。現実的には一体どこに救いの徴があるのかといえるような現状でした。目に見えるところでは先も見えず、ただ絶望するしかないような状況であったのです。けれども、すべてを裁かれる神はおられ、やがて必ずその時は訪れるのです。厳しい迫害の中で最期までその神を信じて忠実に生きる一人ひとりを神さまはご存じであり、まったき裁きを行ない、天の御国を与えてくださるのです。「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」(ルカ12:32)
それは今や、救い主イエス・キリストによって私たちの間に実現されていることであり、さらにキリストの再臨における完全な統治に向けて成し遂げられる。その事を、今を生きる私たちもそれぞれの困難な中で、待ち望む者であります。

「信仰とは望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認することである」(ヘブライ11:1)。その信仰がほんとに私たちにも問われている、否、益々問われる時代になってきているように思います。

今日の箇所は非常に難解なところで、それを解釈しようとしても様々な説があり、どれが正しいと人の知恵等では分かりませんが。代々の権力者による悪政と迫害が尽きず、ほんとうに人々が絶望する外ないような状況において見せられ記された、それがこの書であります。
翻って、昨今の政治の混迷、世界の国々、又日本が今後どのような様相を帯びてゆくのかまったく見当がつかない今の世界の状況。ニュースを見、有識者らの見解を聞いても同様に確かなことは分かりません。それはあたかもダニエルの幻のようです。
しかし、唯、確かなのは、そのような不確かな時がいつまでも続くのかという私どもの不安や困難の先には、必ず来たるべき時が訪れ、まったきお方の裁きがなされ、約束の「人の子」による完全な統治が実現される。その希望の約束の言葉を、私たちもダニエルのように「心に留め」ていきたいと切に願います。「主は生きておられます」。今週もここから主の約束を胸に抱き、それぞれの場へと遣わされてまいりましょう。
 
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