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教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

最初のクリスマス

2012-12-23 17:43:28 | メッセージ
宣教 マタイ2章1節~12節  降誕祝祭

「メリ―クリスマス、クリスマスおめでとうございます。」全世界に与えられた救いと希望、救い主イエス・キリストのご降誕をこうして皆さまと迎えることができましたことを、心より感謝申し上げます。

①「星と夢に導かれて」
教会といえばどこか堅苦しくて敷居が高いという印象をもたれる方も多いかも知れません。しかし実際に足を運ばれた方からは、「心休まる」「アットホ―ムな雰囲気でした」との感想が多く聞かれます。教会はイエス・キリストの救いにより、神の家族として招かれる場所であるからでしょう。又、教会は主に導かれて集う場所であります。

皆さんは、このクリスマスの礼拝に様々な思いを持っておいでになられたことでしょう。しかし、それは人の側の意志や決定以前に、「神さまの選びと助け」があってこの礼拝の場に導かれた、ということであります。
先程読まれました聖書の東方から来た占星術の学者たち。彼らがヘロデ王から、「メシヤはベツレヘムで生まれる」という預言書の言葉を聞いて出かけると、「東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった」とあります。星が彼らを救い主・キリストのもとへ導いたのです。
さらに、「『ヘロデのところに帰るな』と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った」とありますように、ここでは夢を通して彼らは滅びではなく、救いの道に導かれました。星や夢にちなんだ歌は大変多くありますよね。「星に願いを」「夢の中へ」などなど。よく唄われていますけれども。星も、又人の見る夢も神さまが創り、お与えになったものです。

聖書は人間が意識、無意識如何に拘わらず、自分という存在を超えた大きな存在によって守られ、人知では計り知れない天のご計画のうちにおかれている事を知るように促します。このクリスマスの時が、皆さまそれぞれにとって決して偶然ではなく、天の神さまのご計画のもと、「救い主・キリスト」との出会いへと導かれているのであります。

②「最初のクリスマス」
本日は「最初のクリスマス」と題し、御言葉を聞いていきたいと思いますが。
巷ではもう11月初め頃からデパートや商店などに華やかなクリスマスの飾り付けがなされ、教会より先にクリスマスが来ているようですが。街中のお店などにはサンタのような格好をした人たちがいらっしゃいませ、と声を張り上げ、もはやクリスマスはサンタとセールの看板に乗っ取られたような感がありますが。まあ私たちは一年に一度こうしてクリスマスの本来の意義をあらためて見出し、喜び祝うため集ったのであります。
ともあれそのような喜ばしいクリスマスでありますが、世界で最初のクリスマスは決して華やかさもにぎやかさもなく、何か楽しくうきうきするような中で来たのでもなかったのです。むしろ人々の不安と心の闇の中にその日が訪れたのであります。

3節に、「ユダヤの王がお生まれになったその方を拝みに来た」という学者らの言葉を聞いて、「ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった」と述べられています。これは救い主・キリストの誕生が、ユダヤの王ヘロデやエルサレムの人々には決して喜ばしものではなかった、祝われるべき出来事ではなかった、ということを表しています。  ローマの支配下にあったとはいえ、エルサレムの住民は比較的裕福であり、ヘロデもその地位に満足していました。そこに神の民としての畏れや渇きはありません。
ヘロデ王は自分の地位や権力を揺るがしかねないような存在すべてが、不安の材料なのです。たとえそれが神からの救いの王であっても然りです。
神からの救いの王を喜び迎えたのは、神の救いを祈り求めるユダヤの貧しい羊飼いたちであったことは皆さまご存じのとおりであります。かくして、そのような不安と恐れの中で救い主・キリストはお生まれになられたのです。

先週はヨセフが主の天使から、いいなずけのマリアの胎に「救い主・キリスト」を聖霊によって宿した、とのお告げを聞く場面を読みました。ことの次第を聞かされたヨセフに驚きと恐れが生じ、彼は非常に戸惑いました。けれどもヨセフはヘロデやエルサレムの人々のようにただ不安を抱くのではなく、主の御言葉に聞き従うあゆみへ方向転換されたのです。それを受け入れた時、ヨセフの心は平安を得たのであります。そこに主のご計画のもと、キリストがお生まれになられた、救い主が来られたのです。
私たちは何を喜びとし、それを迎え入れて行くでしょうか?又、何を魂の平安としていくでしょうか? 今この場に集う私たちもまた、問われているのであります。

(1)「クリスマスの心」
さて本日の聖書では、救い主・キリストに初めてお会いできたのは、東方の学者たちであったと伝えます。それは王やエルサレムの住民でなく、ユダヤの国境を隔てた遠い東の国に住む異邦人たちでした。ユダヤ人からすれば外国人ということになります。
彼らは東方おそらくペルシャ方面から来たとも言われておりますが、何人いたのかは定かでありません。贈り物が3つだったことから3人だと推測されておりますが、その贈り物からみてかなりの地位があったようですから、多くの供を引き連れての旅であったのかも知れません。
いずれにしても、東方の学者一行は都エルサレムのヘロデ王のもとを訪れ、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちはその方を拝みに来たのです」と、真正面から尋ねたのです。ヘロデ王がどう受け取るかなどあまり考えていなかったのかも知れません。「神の約束であるユダヤの王、待望された王がお生まれになった。是非とも拝みたい」とただその一心で自分たちの見た星を頼りに、遠くから遥々国境を越え、時間も労力も費やしエルサレムにまで足を運び、ヘロデ王のいる王宮を訪ねたのです。

イエスさまは、「だれでも幼子のようにならなければ、神の国に入ることはできない」とおっしゃっていますが。まさに、この東方の学者たちのあり様は、神とその救いを乳飲み子のように求める心のあらわれであったといえます。
対照的にヘロデ王やエルサレムの人々の心は、日常の様々な事どもに心ふさがれ、神の時が訪れても、それに気づくことも受け入れることもできませんでした。
この学者たちの心は、「神の示されるこの特別な王に是非とも会って礼拝したい」という期待に満ちていました。彼らが抱いていた「礼拝したい」、それは又「神の救いに与りたい」という強い願いは、本来神さまが全世界のすべての人たちに等しく与えられたものなのであります。
ところが、多くの人は日常の事どもや思い煩いに心がふさがれて、あの王やルサレムの住民たちのように神の恵みを受け取ることができなくなっているのではないでしょうか。主を信じて生きる私たちも又、神から与えられている恵みに心が鈍くならないよう、この学者たちのように生涯求道心をもって救い主を拝していきたいものです。

(2)「クリスマスの原点」:ひれ伏して幼子を拝み
さあいよいよ、東方の学者たちは星に導かれ、遂に救い主・キリストと出会うのであります。ところがその救い主は、家畜小屋におられ、小さくか弱い幼子の姿であり、そこには王座も王冠もなく、世に言う権力をもつ王としての風貌は何もありません。けれども彼らはこの幼子こそ救い主・キリストであると信じることができたのです。
それはまさに、「見えるものではなく、見えないものに目を注ぐ」とⅡコリント4章18節にありますように、霊的な目を通して、幼子キリストを見ることができたのです。

東方の学者たちは、幼子にひれ伏して礼拝をささげます。
クリスマスとはキリストのミサ。つまり「祝祭」のことです。救い主であるキリストが受肉された、肉の体をとって私たちのところに来られたそのことを、心から祝い、礼拝を捧げる、これがクリスマスの原点であります。私たちもまた、霊の目を開かれ、この救い主、神の御子キリストを真に拝することができますよう、聖霊の助けと導きを切に祈ります。

(3)「宝の箱を開けて」
最後に、東方の学者たちが宝の箱を開けて、彼らの最も大切な宝を「ささげた」というメッセージを共に聞いていきたいと思います。
黄金は、今でも変わらない高価な宝ですね。乳香は、アラビア産の、芳香のある貴重な樹脂であり、礼拝の時にささげる香としてもちいられたようです。没薬も、香料の一種で高価なものでした。
ここに「宝の箱を開けて」とありますように、彼らは幼子キリストを拝んだだけでなく、自分たちにできる最もよいものをささげたのです。
 
喜びあふれる中で、最高のものを幼子イエスさまにプレゼントした東方の学者たち。
しかし、それよりも遥かに優るプレゼントを神さまは私たちに与えてくださいました。
それは神の独り子イエス・キリストです。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」ヨハネ3章16節。私たちがこうして喜びにあふれるため、神さまは御自分の最高の宝を私たちにお与えくださったのです。その独り子イエスさまは、十字架の受難と死にご自身を引き渡され、その命を与えてくださいました。この尊い捧げものによって私たちの救いが実現したのです。そのことによって私たちは今、その救いを見、世のものでは得ることのできない喜びに満たされているのであります。
私たちもまた、その祝福を受けて、東方の学者たちが自ら「宝の箱を開けた」ように、神さまに最高の感謝、最高の讃美、そして分ち合う喜び、又献身という名の最高のささげものを、それぞれお捧げしてまいりましょう。

明日24日も午後6時半よりクリスマス・キャンドルライトサービス;イブ燭火礼拝がもたれます。ぜひ皆さまのご来場をお待ちしています。
神さまの祝福が皆さまの上に豊かにありますよう、お祈りいたします。
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