礼拝宣教 マタイ章16節13-24節
寒い日が続き、天王寺の街にも1日中何がしかのサイレンが鳴り響いています。先月も少しだけ報告しましたが。阪神淡路大震災から30年となる「1.17祈念礼拝」の報告を、宣教やリレーメッセージを語られた方々の言葉を収録したものからおこして作成しました。そのメッセージの一人で震災当時神戸教会の加藤牧師の言葉が改めて心に響きました。
加藤牧師は、「震災直後の1月22日の礼拝で、冷え冷えとした神戸教会礼拝堂で街中に響くサイレントとヘリコプターの音を聞きながらここで礼拝を捧げた時のことが忘れられない。サイレンは助けを求める音、あるいは助けに何とか応えようとする音。そのサイレンに耳を塞いでは聖書を開けない。サイレンを聞きながら聖書を開く、そして神さまが何を語りかけておられるのかを聞け、それが礼拝なんだ。私の教会の周りにもいろんなカタチでのサイレンが響いている。助けを求める音。その助けに何とか応えようとする音。そういうサイレンを聞きながら私たちは聖書を開き、それぞれの教会で礼拝を捧げるように招かれているのではないでしょうか。」と語られました。
この時代の中で私たちはどう神の言葉と招きに応えて生きるのか。今日も聖書を開いてまいりましょう。
さて、本日の聖書箇所は、イエスさまと弟子たち一行がフィリポ・カイザリア地方を訪れた時のエピソードです。かの地はローマ皇帝が崇められ、ギリシャ神話やバアルの偶像であふれ、人々の礼拝の対象となっていました。
そこでイエスさまは弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか?」とご自身についてお尋ねになります。それに対して弟子たちは口々に、「洗礼者ヨハネだ」「エリヤだ」「エレミヤだ」「預言者の一人だ」と言う人たちがいると答えます。それは人々が様々な奇跡の業を行ったイエスさまを旧約の預言者たちと重ねて見ていたということです。
しかし、イエスさまを預言者の一人だと言う者はいても、メシア・救い主であると口にする人はいませんでした。なぜなら民衆が待望していたメシア・救世主とは、政治的に抑圧から解放してくれる権力をもった勇ましい王、そのような指導者だったからです。
するとイエスさまは弟子たちにお尋ねになります。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか?」それは人や世間がどう思うかではなく、あなたにとって「わたしはどういう存在か。」という個人的な問いかけでした。
この日本には多くの人が多神教の信仰観を持ち、木や石、金銀財宝、AIまでも進化してゆく社会ということができます。芸能人のことをアイドルと呼ぶことがありますが。アイドルは偶像という意味ですから、それも人が作りあげた崇拝の対象としている事を現わしているのでしょう。
しかし、そうした社会の中でもキリスト教や聖書に関心を持たれる方は意外と多いのです。たとばミッションスクールで聖書の教えに触れ、本やテレビ、映画やネットで知る機会があります。又、クリスチャンの生きる証が世界や社会に影響を与えることもあります。聖書が世界のベストセラーであるのは、世界中の人がそこに人間にとって欠かすことのできない何か大切なものがあることを感じ、それを求めようとされているからだと思います。しかし、ただイエスという人物について学び、知ることと、イエスと個人的に出会うこととは違います。
話を戻しますが、イエスさまが「あなたはわたしを何ものだと言うのか」という問いかけに対してシモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えます。このペトロは、やがて救いを実現するメシアが民の中から生まれると、旧約の預言者たちが語ったように、「あなたはメシア・救い主であり、生きておられる神の御子であられます」と言い表わしたのです。
それをお聞きになったイエスさまはペトロに、「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。」と祝福なさいます。それは素晴らしく、的を射た答えであったのです。けれどもイエスさまは、「あなたにこのことを現わしたのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。」と言われます。つまりペトロがこのように主告白できたのは、彼の理解力や知性によるのではなく、天の父なる神が、「イエスこそ、生ける神の子・キリストである」という奥義、その覆い隠されていた事を明らかに示された(啓示された)ということです。こうしてペトロは史上初めて「イエスこそ生ける神の子キリストである」との信仰告白をなしたのです。
ペトロはまだイエスさまが実際どのような形でメシアとしての御業を成し遂げられるのか、それを知るよしもありませんでした。この時のペトロにとってのメシア像も又、ユダヤの民をあらゆる抑圧から解放する世の権力的存在への期待として強く持っていたのです。ですから彼はイエスさまがご自身の受難とその死について語り始めた時、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」とイエスさまを自分の方に引きよせて、いさめ始めたのです。ペトロにとってもユダヤの民にとってもそれは決してあってはならないことであり、自分たちの描く理想的社会の実現を否定するものであったのです。
イエスさまは振り向いてそのペテロに、「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず。人間のことを思っている」と言い放ちます。それはペトロにとってどれ程衝撃的な事であったでしょう。
ペトロといえば確かにイエスさまの愛弟子であり、又筆頭格の弟子でありました。けれどもその彼のあゆみを福音書から辿ってみますと、彼の弱さや優柔不断さ、失敗や挫折が赤裸々に容赦なく聖書に記録されています。それは後の人たち、私たちにしてみれば教訓であり、気づくと励ましであるわけですが。そのようなペトロを主イエスは時に厳しくも深い愛で、主の救いの福音を証しし、伝える存在へと育くまれるのです。
後にイエスさまが捕らえられた時、ペトロは「そんな人は知らない」と3度も否みます。イエスさまの十字架を前にしてペトロはほんとうに自分の無力さ、優柔不断さ、弱さを痛感しました。けれどもイエスさまは、彼が立ち直ったら他の弟子たちを力づけ福音のために力強く働く者となるようにと望み、信じ、とりなし祈られていたのです。そうして復活された主イエスは、このペトロを責めるのではなく、「わたしの羊を飼いなさい」と、キリストの使徒の働きへと招かれました。
ペトロはこの時になって初めて、神のご計画による救い、イエスさまがメシアとして来られた本当の意義、その神の奥義を知ることになるのです。彼はその主の招きに応え、主の御言葉どおり信徒らを導き、その群を養う者とされていくのであります。このペトロの新しいあゆみは、まさに主イエスの十字架上のゆるしと執り成しによる愛に支えられたものでありました。イエスさまは実にそのようなゆるしと執り成しと、自らを捧げる愛によって神の救いをもたらされたのであります。それこそが、私たちの救い主(メシア):キリストのお姿なのであります。
本日の箇所はペトロの信仰告白だけであればハッピーのようですが、実はその後のイエスの受難予告をそのペトロが見事に否定して、イエスに厳しく咎められる記事と一緒に読んでこそ、聖書が語るメッセージの深みを読み取ることができます。
さて今日の個所に戻りますが。イエスさまはペトロに「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と言われました。「ペトロ」はイエスさまから「ケパ」とも言われていました。それは岩という意味です。けれどもペトロは先程申しましたように、メシアがどのような形で父の神の救いを成就されるのか分かりませんでしたから、イエスさまの受難告知に躓いたのです。
そう考えますと、ペトロの信仰はペトロが立派な者であったからではなく、彼はむしろ不完全なものであったと言えるでしょう。口でいくら立派な主告白をしても、人の思いが優先し神さまの御心を受けとめられない的外れな過ちを繰り返すようなペトロ、弟子たち。時にその延長線に私たちもいるのではないでしょうか。
けれども、イエスさまはそのようなペトロをご存じの上で、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と言われるのです。主は人の不完全さ弱さを十分ご存じのうえで、「わたしはこの岩、その父の神によってなされた信仰告白の上に教会を建てる」とおっしゃるのです。それは主のいつくしみ、救いの恵みという以外ありません。
私たち一人ひとりもゆるされて、不完全ながらもその信仰を言い表すことによって主に受け入れられ、愛の中で建てあげられていくのであります。教会は主の恵みとゆるしに気づいた一人ひとりが、心から悔い改めて主に立ち帰って生きる、そこに人ではなく、神の業が起こされていくのです。そのように教会は主イエスの救いを世の人々に語り伝え、2000年以上証が立てられてきたのです。
最後に、24節でイエスさまは、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と言われます。
「自分の十字架を背負いなさい」と言われると何か頑張って背負わないといけないといった悲壮感が漂う気がするかも知れません。しかし、それは自分の頑張りによってではなく、神の御心、神のご計画に聞き、信頼をもって従うことであるのです。
この主イエスに倣って生きる者とされてまいりましょう。