外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

代々木公園の話題

2014-09-04 21:31:20 | 社会全般
時ならぬデング熱騒動により、代々木公園が全国から注目されています。

この代々木公園一帯には江戸時代、大名や旗本らの下屋敷などが点在していまして、 明治維新後、これらは民有地となり、一面の茶畑・桑畑となっていました。

陸軍省はこの地の買収を進め、1909年(明治42年)7月、陸軍練兵場と衛戍監獄(陸軍刑務所)が設置されました。
この陸軍省用地の範囲は現在の代々木公園よりも広く、南側は現在の渋谷区神南にあるNHK放送センターから、同・宇田川町の渋谷区役所・渋谷公会堂周辺一帯までに及んでいました。
代々木練兵場は博覧会開催のために閉鎖された青山練兵場(現在の明治神宮外苑、55,000坪)の代替地でもあり、麻布、赤坂の歩兵連隊の演習場として使われました。
※青山練兵場については、このブログでも話題にしたことがあります。

神宮外苑の今昔 - 外苑茶房



この地では1910年(明治43年)12月19日、陸軍大尉・徳川好敏が日本で初めての飛行機飛行に成功するという画期的な出来事の舞台でした。

他方、練兵場の南端である現在の渋谷区役所付近に置かれていた陸軍刑務所では、1936年(昭和11年)11月、同年2月に起こった二・二六事件の主謀者15名の死刑(銃殺)がここで執行されるという暗い歴史もあります。

第二次大戦が終わった後、この地にはワシントンハイツと呼ばれる米軍施設が設置されました。
東京都市大学(旧 武蔵工大)のウェブサイトに、ワシントンハイツのある時代(1958年)の地図がありました。

空から見る渋谷の今と昔 | 10年後の渋谷 【東京都市大学 都市生活学部】


1964年の東京五輪を開催するにあたり、このワシントンハイツ敷地は日本に返還され、オリンピック選手村、代々木体育館、渋谷公会堂などが建設されました。

東京五輪閉幕後、そのオリンピック選手村の跡地が整備されて、1967年に一般公開されたのが代々木公園です。

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今年の夏は強風の吹き荒れることが何度もあった東京ですから、「デング熱の感染源である蚊の行動範囲は狭い」という厚労省の当初の説明を私は疑問視していました。

果たして、隣接する明治神宮で蚊に刺された人の中からも感染者が出ました。
あの広大な明治神宮は、都内有数の鳥類生息地でもあり、殺虫剤を大量散布して蚊を駆除することは難しいでしょう。

例えば、蚊の天敵であるトンボを大量に放つなどの奇策が必要となるかも知れません……
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