外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

愛弟子

2011-06-22 19:35:55 | 大学野球
今日の東京は、梅雨明けしたのではないかと思うぐらい、暑い1日でした。

オフィスのエアコン設定温度は28度に設定されているのです。
でも、強烈な西日が窓から射す夕方には、私のデスクにある気温計は30度に到達。
机の上や、パソコンのマウスがベタベタするような気がします。

なんだか、長くて暑い夏になりそうな予感です。
(><)
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さて、愛弟子、すなわち目の中に入れても痛くないというぐらい、優秀で気が利く教え子が、ビジネスでもスポーツでもいたりします。

私が新入社員の頃、職場の先輩方からは、こんなふうに言われていました。
「今年の新人は、江川のように理屈っぽい」
「法学部で真面目に勉強した様子は全くないけれど、スポーツや音楽など、仕事に関係のない雑学には妙に詳しい。」

「第一印象は正しいことが多い」との先人の言葉どおりでありまして、職場の先輩方は、私が入社して僅か数日で、私の人となりを正確に把握されていました。
まあ、私の場合、「目の中に入れても痛くない後輩」とは、誰からも思っていただけなかったはずと、自信を持って断言できます。
しょーもない自信です。
(;^_^A

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東京六大学野球で、監督が目の中に入れても痛くない愛弟子といえるような選手というと、私は明治の高田繁選手を真っ先に思い浮かべます。

一昔前の厳しい体育会の世界においても、その熱血指導ぶりでは人後に落ちない明治の闘将・島岡吉郎監督に、四年間で一度も殴られなかったという伝説を持つ優等生が、高田繁さん(浪商)でした。

冒頭の写真で、島岡御大の何とも言えない表情をご覧ください。

高田さんは、一年生の秋のシーズンから7季連続でベストナインを獲得。
そして、最多安打と盗塁のリーグ記録も樹立するという、卓抜したプレーヤーでした。
そして、島岡さんが投手交代で迷った時に、センターを守る高田選手を外野から呼び寄せて、彼の意見を聞いてから判断したという逸話があるぐらいですから、その信頼は群を抜いていました。

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早稲田の野球部で、そんな師弟関係について思いを巡らしてみました。

前任の応武監督にとって「目の中に入れても痛くない選手」が誰だったかというのは考えるまでもないような気がするので、
(;^_^A
野村徹さんの時代を考えてみました。

たくさんの優秀な選手の中で、入学当時から卒業するまで野村さんが一目置いていた選手を、敢えて1人を選ぶとなったら、私は田中浩康くん(尽誠学園)ではないかと。


故障知らずの頑健な身体。
そして、基本に忠実なプレーで一年生の春から正二塁手に定着して四連覇に貢献。
四年生になると主将に選ばれて、強力なリーダーシップを発揮。
加えて、厳しい練習と勉強を両立させて教職課程も修了して、きっちり四年間で卒業。

四連覇時代には、数多くの才能溢れる選手たちがいましたが、あらゆる分野において秀逸な結果を残したという点で、田中くんの右に出る選手はいないように思います。

あの時代、比嘉、鳥谷、青木らが野村さんからコテンパンに叱られている光景を何度も目撃しましたが、そこまで田中くんが叱られている姿を見た記憶がありません。
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一方、スタッフ(学生コーチ、トレーナーなど)でも、ピカピカと輝く人材が目白押し。
強い時代には、それに相応しい人材が揃うものです。
その中から敢えて1人を選ぶとすれば、新人監督の竹内智一くん(鎌倉学園)ではないかと私は思います。


プロを目指すような技量に優れるも個性も強い選手たち、
かたや、野球を愚直に愛する気持ちは人一倍でも、ベンチ入りが難しい選手たち

そんな部員たちを、早朝から深夜まで鍛え抜いた竹内くんを、野村野球の権化だと私は思っています。

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以上が、ネット裏から感じた私見なのですが、当時の部員の皆さんに尋ねたら、「ayさん、それは違いますよ」と言われてしまうかも知れません。

そうであっても
「ビジネスでも、スポーツでも、そして男女関係でも、美しき誤解が、世の中を豊かにするのだ」と、私は思うのであります。
Comments (3)
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