外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

週ベ今週号

2009-12-08 22:56:24 | 大学野球
週刊ベースボール今週号は、藤井、江尻、和田、鳥谷、細山田、川口(準硬式)ら、早稲田OBに関する記事が目白押しなのですが、私のイチオシは、東大出身のプロ入り第一号(1965年)の新治伸治(にいはり・しんじ゛)さんの記事。

プロ入りといっても、ドラフト会議のない時代。
新治さんは、大洋漁業に今でいう総合職の正社員で入社されて、直ちに大洋ホエールズに出向されてプレーされたのですから、社会人野球の選手みたいな立場でした。

添付したのは、ホエールズの合宿所で食事されている写真。
ジャンパーの胸に付いたマルハのマークが時代を感じます。

さすが岡江昇三郎さん(大内さん)。
良い材料を探してこられます。


出向社員とはいいながらプロでも9勝されている新治さんは、都立小石川高校から東大に進み、エース投手として四年間フル回転して、通算8勝43敗(!!)

負け数は今でもリーグ記録ですが、それよりも何よりも、新治さんが体を張ってマウンドを守ったことを、この8勝43敗という途方も無い数字が雄弁に物語っています。


さて、2004年春の六大学リーグ開幕戦で忘れられない思い出があります。

ネット裏で、私は隣席のmytochigiotokoさんと雑談していました。
始球式が始まろうとしていたのですが、雑談に気をとられて、始球式で誰が投げるのか場内アナウンスを聞き逃していました。
マウンド上に立った初老の紳士の姿をチラリと見ても、「東大の先生でも出てきたのかな」と。

ところが、次の瞬間に、その紳士が、ズバーン!と快速球をキャッチャーに投げ込んだのでビックリ仰天。
今思い出しても、凄い球でした。

誰だ、誰だ、誰なんだとキョロキョロして、スコアボードの表示を見て、やっと新治さんだと分かりました。
mytochigiotokoさんは「さすが新治さんだ!」と興奮気味でした。

ところが、その始球式の1ヶ月後の五月に、新治さんは62歳の若さで急死されたのです。

大洋漁業で関係会社の社長などを歴任されていた新治さんは、お亡くなりになる前日にゴルフを楽しまれ、自宅で就寝され、その翌朝に、布団の中で冷たくなっていらしたと聞きました。

今でも、新治さんと聞けば、あの始球式での快速球を鮮明に思い出します
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