今日は、友人のピアニストSくんの仕事を手伝いに行きました。
場所は北鎌倉の円應寺。
国宝の閻魔さまを前にした、ピアノ、琴、三味線、笛のコラボレーションという企画でした。
Sくんとは、目黒区立六中-都立青山高-早稲田大学と、ずっと一緒ですから、もう四十年来のつきあいとなります。
特に高校3年間、一緒にジャズをやった濃~い仲間です。
高校に入るまでは、キース・エマーソンのようなロック系のピアノを好んでいた彼ですが、私がジャズに勧誘した後は、ビル・エバンスやスティーブ・キューンなどに通じるような白人っぽいジャズ・ピアノを弾くようになりました。
中学時代は、中間や期末の試験のたびに、彼の答案用紙が模範解答として校舎の廊下に張り出されるような秀才。
高校に進学してからは音大を目指していたSくんでしたが、なぜか私と一緒に早稲田に進学。
卒業して一旦サラリーマンになったのですが、いつの間にかピアノと編曲で身を立てるようになりました。
高校や大学の授業は極限までサボる一方で、音楽に関することだけはマメで熱心だったSくん。
邦楽を絡めた編曲を行うために、三味線、琴、尺八、日本舞踊を習って、それぞれの間合いを掴み、和楽器ごとに固有の様式である譜面を読みこなせるようになったそうです。
各和楽器の譜面を読み取って五線譜で全体を編曲し、それを各々の楽器固有の譜面に落として各奏者に演奏させるのだといいますから大したものです。
音楽以外のことについて、そんな努力や工夫をする彼の姿を一度も見たことかありませんから、やはり彼は勤め人には向いていませんでした。
(;^_^A
朝から楽器の運搬とセッティング、音合わせなどを手伝い、合間で交わす音楽談義。
かつて、Sくんと過ごしたバンド小僧時代の雰囲気にどっぷり浸かった、幸せな1日でありました。
場所は北鎌倉の円應寺。
国宝の閻魔さまを前にした、ピアノ、琴、三味線、笛のコラボレーションという企画でした。
Sくんとは、目黒区立六中-都立青山高-早稲田大学と、ずっと一緒ですから、もう四十年来のつきあいとなります。
特に高校3年間、一緒にジャズをやった濃~い仲間です。
高校に入るまでは、キース・エマーソンのようなロック系のピアノを好んでいた彼ですが、私がジャズに勧誘した後は、ビル・エバンスやスティーブ・キューンなどに通じるような白人っぽいジャズ・ピアノを弾くようになりました。
中学時代は、中間や期末の試験のたびに、彼の答案用紙が模範解答として校舎の廊下に張り出されるような秀才。
高校に進学してからは音大を目指していたSくんでしたが、なぜか私と一緒に早稲田に進学。
卒業して一旦サラリーマンになったのですが、いつの間にかピアノと編曲で身を立てるようになりました。
高校や大学の授業は極限までサボる一方で、音楽に関することだけはマメで熱心だったSくん。
邦楽を絡めた編曲を行うために、三味線、琴、尺八、日本舞踊を習って、それぞれの間合いを掴み、和楽器ごとに固有の様式である譜面を読みこなせるようになったそうです。
各和楽器の譜面を読み取って五線譜で全体を編曲し、それを各々の楽器固有の譜面に落として各奏者に演奏させるのだといいますから大したものです。
音楽以外のことについて、そんな努力や工夫をする彼の姿を一度も見たことかありませんから、やはり彼は勤め人には向いていませんでした。
(;^_^A
朝から楽器の運搬とセッティング、音合わせなどを手伝い、合間で交わす音楽談義。
かつて、Sくんと過ごしたバンド小僧時代の雰囲気にどっぷり浸かった、幸せな1日でありました。