アメトリンの日々

ちょっとした空想話です。^^

新しいエネルギーのルートへのったひとたち

2021年05月26日 12時39分58秒 | 日記
 今日はくもっています。

   ところで、波長の合うせかいに同調するとか、よくいわれていましたが、次元上昇では、地球で生活していても、波長のちがいで、感応する世界がかわってくるようでした。

   これは、コロナの世界でも合うような感じの話で、ワクチンをうつひとと、うたないひとと、ワクチンのことで、よくないことがでるひとと、大丈夫なひとに、個人のエネルギーでわかれるような感じがしたのでした。


     なにか、このところは、経過中の空白の感じがして、物事が動かない、新たな展開がない空白地帯、停滞している感じがあったのですが、これは、これまでも、たまにある期間だったのでした。

  
    なにを聞いても、琴線にふれないというのは、ブログをかくこともないということろで、意識や波長が上がったのか、新しいニュースのある、進行した世界に移行したようでした。


     次元上昇では、エネルギーがかわったと感じると、波長が合う世界がかわった感じかなというところですが、新しい良い傾向のニュースや記事が出たり、昨日までの、悲観的だったニュースが、誤報でしたとか、状態が良くなったという、ニュースにかわったりということは、これまでもよくあったことだったのでした。


     これは、よくないひとたちが、大丈夫で、平気なように見えていた世界から、一気にダメになっていく、落ちていくニュースがでるという感じで、私にとっては吉報のように思うのですが、エネルギーや、波長が上の、上がったせかいでは、よくないひとたちは、弱るしかないという、感じになっていくのかなと、思ったのでした。


    これは、以前におもしろい結果として、みたのですが、よくないエネルギーのひとが、こちらの部屋にはいってくると、それまで、エネルギーの良い、ほのぼのとした、明るい画面だったテレビのコーナーがかわって、あるいはニュースの、ほのぼのコーナーがおわって、暗い画面のよくないニュースに切り替わったということが、ほとんど法則のように、何回もあったのでした。


     そのひとが見る、テレビの画面は、結果、良くないニュースの画面や、荒いエネルギーを放っている画面ばかりになって、このひとが偶然のようにしてみるのは、こういった、世界ばかりになるのかなと、思ったのでした。


     このひとは、荒いエネルギーの場所に引かれるとか、物でも本でも、映画でも、荒いものをみるのを好むのですが、波長が自分と同じ世界に合っているというのは、こういうことかも、しれないなと、思ったのでした。


     このひとは、よくないニュースの荒いエネルギーの画面などをみて、そういうのを見るのが好きで、好みなので、くいいるように見つめて、世の中というのは、こういうものなのだという、情報を、自分の中で、満足と照合と蓄積している感じがしましたが、自身の波長を上げないと、そのひとが、みる、感応する世界は、いつまでたっても、その荒い世界だろうと、思ったのでした。


    今は、荒いところと、良いエネルギーが混合しているせかいの感じがしていますが、どちらのせかいに合わせるかは、潜在意識もふくめて、そのひとの意識しだいだと、思ったのでした。


    この法則は、合っているようで、暗いニュースをこのむひとたちは、それが、自身の真実になってしまうということは、バシャールが、いっていましたが、人間は、自身の見る世界をマトリックスの映画のような感じで創造できるので、この法則に当てはまるのだろうと、思ったのでした。


       これを、よくないひとたちが、これまで利用した感じのことは、精神世界の情報にはいったひとは、まず、最初のほうで、知る知識だと、思いましたが、人間は、外からの、外部からの刺激に影響されるもので、それで、せかいを創造できるものとして、良くないエネルギーの音楽や歌詞や、映画やテレビの番組、暗いニュースなどを、朝から流す理由も、これまでのせかいでは、これだというところは、精神世界の最初のほうで、知る知識だったりしたのでした。

     

      バシャールは、ほどよく、かみ砕いた表現で、支配したいエネルギーがないまま、ブログなどでこれの仕組みを表現してくれていますが、そういう、シンプルなつくりで、この世界は、これまであったようでした。


    これが、次元上昇がはじまった結果、地球と人々のエネルギーが上昇した結果、意識もかわったのですが、これらの、荒いエネルギーのせかいに感応するひとが、少なくなってきて、そのへんが、暴力的な映画が好まれない、ヒーリング的なやすらぎの空間が好まれる、音楽も、ヒーリングのような、歌い手さんが、まるでヒーラーのようなひとが好まれると、テレビは、もう、若者はみていないと、いう上昇した世界に、なったのかなと、思ったのでした。


     よく、音階にたとえられますが、オクターブが上がった世界は、良くないエネルギーは薄く、消えていくようになっていって、物質のような、重い存在感が、希薄になっていくようでした。


     水にぬらした、重たいジーンズを、日に干すと、軽くなって存在感もぬれている時の、感じよりもはるかに乾いているほうが、軽くなっていますが、あの感じに似ていて、よくないひとたちは、音階が、オクターブやキーが上がるたびに、乾燥して、物質としての存在感が軽く、薄くなっていくのでした。

  イカを干した時の感じにも、似ていると思ったのでした。


       ところで、ひとの、見た目で思ったのですが、エネルギーの観点からですが、黒や、濁った色の服を組み合わせて着ているひとというのは、オーラも、自身の洋服の趣味と同じように、にごったり、くすんだりしていると、思ったのでした。


       お店でも、この傾向はあって、黒い壁に、わざとしているお店や、洋服屋さんでも、個人の美容室でもそうですが、そこにいるひとのエネルギーは、そのひとの趣味と個性とエネルギーに合っていて、にごっている、クリアではないことが多いのに、ほとんど合っていることに、気づいたのでした。

    洞穴のような、昼間でも暗い、店内のスナックとかも、よくあったりしますが、これも、同じような、感じであったのでした。


       東京の、オリンピックの関係のひととか、えらいひとたちは、これに似ていて、くすんだ群青とか、濁った灰色とかに、ずっと、みえていたのでした。


   このままのエネルギーで、いきたいようなので、キーの高くなった、上がったせかいでは、これから、合わせられないひとたちかなと、思ったのでした。