またたびダイアリ

結局、食べることが好きなんだ

新田次郎 「槍ヶ岳開山」 を読む

2005-05-01 | 未分類
山の魅力を私は知らない。
小説として楽しむだけで、出向くほどの情熱もない。

しかし「孤高の人」「芙蓉の人」に続いてこの本も一気に
読み終えてしまった。

孤高の人の加藤文太郎は、当時、貴族の趣味とされていた
登山を、ただの勤め人が取り入れることになる最初の人
という位置づけだったのだが、この「槍ヶ岳開山」はそれを
遡ること百数十年。

山岳信仰の祖として播隆上人(ばんりゅうしょうにん)が、
前人未到の槍ヶ岳を登攀する。

読み終わってからネットで初めて槍ヶ岳の画像を見た。

想像はしていたものの、風雪に削られたゴツゴツの岩肌が
まさに槍の穂先である。昔の人はうまいこと名をつけたものだ
などと感心する以前に、「猿さえ登らぬ」という描写が決して
誇張ではなかったことを思う。

見上げるだけでため息がでる。あんなところに生身の
人間が登ることができるものかと。

「世に人の恐るる嶺の槍の穂も やがて登らん我に初めて」
「極楽の花の台か槍が岳 のぼりてみれば見えぬ里なし」
(両句とも播隆上人による)

こちらのサイトの写真が美しい。【The Cape of Good Hope】
荘厳で胸をうたれる。

新田は播隆上人を徹底して1人の人間として描いた。
単なる偉人伝に仕立て上げなかったところが、興味深く
読めた理由の1つかもしれない。

私は登山をしないけれど、一定の速度で歩き続けると、
心のうちに抱えていた、さまざまなことどもが溶解して
いくカタルシスを知っている。

古来の日本人のように、山頂に神が宿るとは思わないまでも、
大自然の中で畏敬の念にかられる経験をしてみるのも
悪くないだろう。