朝マナ

人はパンだけで生きるのではなく、神の御言によって生きる。
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歴代志上 27章

2018年05月15日 | 歴代志

歴代志上27:23 しかしダビデは20歳以下の者は数えなかった。主がかつてイスラエルを天の星のように多くすると言われたからである。


第27章は軍務につく人々の組織(27:1-24)、王の農地や財産を管理する組織(25-31)、王の参謀役(32-34)について記録されています。このようにして王国は組織化され、神の聖なる御国を建てるという目的のもとに整えられました。

「組織」という語彙は無機質で冷ややかな印象を受けます。しかし、聖書でいう「組織」は、各自が適材適所、有機的に組み合わさった「生きた身体」のように結び合わされ、組み合わされるものとして描かれています。

新約聖書では「キリストの身体」として表されています。口と目は全く異なる器官ですが、互いが必要とし協力しあう。足も手も、目も耳も……取り上げるなら枚挙にいとまがありません。

社会の様々な組織が、「身体としての組織」をイメージして組み合わされるなら、如何にいのちに溢れた組織になるでしょうか。しかし、むしろ多くの場合、身体の各器官としてではなく、機械の部品のようにして組み合わさる組織なので、いのちを失います。教会がそのようであってはなりません。

さて、冒頭にあげた聖句は、王国を組織化するに当たり人数を数える際に、20歳以下の者を数えなかったと記されています。

以前にも似たことがありました。ダビデ王が民を数えようとして、それを将軍ヨアブがたしなめたのですが(21:1-4)、今回の場合は、ダビデ王は20歳以下の者を数えないとしながらも、将軍ヨアブは数えようとして、神の御怒りがイスラエルにくだりました(27:24)

どうも、民を数えることに何かと問題がつきまとうようです。数えて良い時もあれば、悪い場合もある。その違いは、「神への信頼」ということにありそうです。

前回は、自分が安心したいが為に数を数えました。これだけの軍事があればイスラエルは安泰だと、安心したかったのです。また、それは自国の軍隊を誇りたいためでもあったのでしょう。それを神は怒られました。

しかし、今回は違います。秩序正しく組織するために数えたのです。数を誇ったり、数で安心を得るためではありません。

私たちは何を数えますか。何のために数えますか。例えば、金銭を聖別して献げるために数えますか。それとも、富を信頼し、富を誇るためですか。「星の数ほどに増やす」といわれた神の約束を信頼して数えるべきです。

つまり、現状を把握するために数えますが、20歳以下の者……それは「未来の領域」です。「神がご存知の領域」です。そこは、神におまかせします。神の御約束を信頼し、人間的な計算で把握しようとはしません。

私の数える数は現実です。5つのパンと2匹の魚という数かも知れません。でも、それをどのように増やされるかは、神の領域です。私たちは、神の領域まで足を踏み入れません。むしろ、神を信頼します。現実の数を数えて、神にゆだねます。(Ω)

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