前回の記事のように北沢川緑道を歩いた後、京王線上北沢駅に行くが、近くに中華料理店があったので入ってビールと餃子を注文する。暑かったので冷たいビールがおいしい。飲みながら携帯地図を見て、ここから浜田山駅まで歩くことに決める。
北側に歩き、甲州街道と高速の下を横断し、少し歩くと、緑道がある。ここは玉川上水の跡のようである。
地図では、ここから少し下流側が玉川上水第二公園となっているが、左の写真からもわかるように、よくある緑道のスタイルである。
地図を見ると、高速北側に高速に沿って玉川上水第三公園が永福のあたりまで続いている。さらに京王線代田橋駅の北側に短いが玉川上水の跡らしきものがあり、代田橋駅の東南から環七通りを横断して笹塚駅まで延び、そこから南下して井の頭通りの近くまで延び、ふたたび北側に向かってから高速に沿って新宿へと延びている。いつか歩いてみたい。
玉川上水公園がいったん鎌倉街道で途切れるが、ここを左折し鎌倉街道を道なりに進む。神田川に近づくと下り坂になるが、その手前から塚山公園に入る。
中は樹木で鬱蒼としている。右の写真は公園内の池である。
塚山公園は、中沢新一が「アースダイバー」(講談社)の始めに神田川沿いの散策の途中にあった縄文時代の住居跡のある公園として紹介している。
中沢は、縄文海進期とよばれる時代に、東京地方は複雑な地形をしたフィヨドル状の海岸地形であったことを明らかにし、そのときの地形が現代にも至るところに残っているとしている。
神田川にもそのときのフィヨドル状の地形の影響が及んでいる。これは神田川だけでなく、善福寺川、妙正寺川、目黒川、呑川など、さらに現在緑道となっている川も含め、すべてそのようである。
神田川を渡り、上流側の堂の下橋の近くから柏の宮公園の南側に行く。
ここには、左の写真のように、狭いながらも田圃があるからである。稲が青々としている。田舎育ちのわたしにとってなつかしい風景である。
昭和40年代まで田舎にいたが、この夏の時期、よく思い出すことは蛙のなき声である。夜になると近くの田圃からすさまじいなき声が聞こえてきたものである。小さい頃から聞き慣れていたので別にうるさいとは思わなかったが、このなき声はいまでも耳の奥に残っている。
近くに立ててあった説明文によると、この田圃は「冬期湛水不耕起栽培」の田んぼであるという。これは、耕耘機で耕さない、化学肥料、殺虫剤、除草剤を使わない、米ぬか、オカラなど自然の肥料だけを使う、稲刈り後は冬の間も田圃に水をためておく、刈り取られた稲株もそのままにしておく、という栽培法らしい。
昭和40年代までこのあたりの神田川沿いに広がっていた田圃を再現したものらしく、田植えができるようになるまでかなり苦労したとのことである。説明文の隣には稲作カレンダーも貼りつけてある。秋の稲刈りが待ち遠しいことであろう。
柏の宮公園の坂(写真の左奥側)を上り公園内を通って浜田山駅へ。
携帯による総歩行距離は16.3km。
参考文献
東京23区市街図2005年版(東京地図出版)