東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

山谷坂

2010年08月21日 | 坂道

前回の記事の霊南坂に行く前に、近くの山谷坂に行った。

右の写真は坂下から撮ったものである。緩やかにほぼ真っ直ぐに上るが、坂上側でちょっと傾斜が大きくなっている。坂上を左折していくと霊南坂である。

山谷坂に坂上側から行く場合、霊南坂からの通りにある「ホーマットプレジデント」というマンション(写真右)の側を下る。谷町側からは、全日空ホテルの左手にある桜坂を上り、道なりに進むと坂下に至る。

坂下は、もとの麻布谷町であるが、それよりむかしは今井山谷町とよばれていたので、山谷坂は、これに由来するものであろうとある(石川)。江戸切絵図を見ると、坂下に今井山谷町というのがある。ちょうど、道源寺の北側に位置している。

「山谷」の由来について『新撰東京名所図会』に次のようにあるとのこと。

「三屋谷 昔、道源寺東北の低地を三屋谷と呼びにき、今、麻布谷町の内にして、万延(1860-61)の江戸切絵図には、今井山谷町と載せたり。新編江戸志に云ふ、三屋谷、谷町の先を云ふ、三ツ屋谷といはず、三ン屋谷と云ふよし、むかしは此所に家三軒ならでなしと、故に名づくとなり。」

左の写真は、坂上から撮ったものである。写真の左上隅に面白い標識が写っている。勾配を示すものらしく、下向きの矢印の下に11%と表示されている。

坂の印象としては、同じ通りから下る御組坂と似ている感じである。

この坂について横関が面白いことを書いている。戦前に、この辺りにきたとき、主婦に坂名を尋ねたところ、最近引っ越してきたばかりでよく知らないが、坂上の町会の案内図に「サンマ坂」と書いてあったという返事だった。その案内図を探し当てて見ると、確かにペンキで「サンマ坂」とあるが、よく見ると、マの上の方がかすれていて、最初に書いたのはマではなく、ヤであることを知った。やはり、この坂はサンヤ坂で、サンマ坂ではなかった。

横関はこの話を「江戸の坂 東京の坂」(中公文庫)の「坂名の変化転訛」の章に書いている。横関によれば、江戸っ子にとって、坂に名をつけることなどは、他人にあだ名をつけるよりもたやすいことであったとし、このため、江戸の坂の名はいつも固定していなかったとしている。坂名の変化転訛を六つに場合分けし、その一つに、誤って呼び違う場合がある。

その例として、永田町の三べ坂、高輪の桂坂をあげ、さらなる例として上記の山谷坂をあげているが、これは、正確には坂名が誤って変化転訛したかもしれない例である。

参考文献
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)

コメント
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