客船 2014-11-2
横浜に定期航路があれば良いと書いた
が、自分はどれくらい外国航路にに
乗ったのか。記憶の古い順に思い出す
と、上海で生まれて、1歳の頃日本に
帰国したから、最初に上海長崎航路に
乗った筈だが勿論覚えていない。3歳
の時、父が日本に迎えにきて、長崎
から上海に渡った。
1942年だと思うから、日本の船はアメ
リカに撃沈される可能性もあった。船
上で,撃沈に備えての避難訓練があり、
その雰囲気が怖くて私はオイオイ泣い
ていた。私の記憶で一番古いものは、
生まれて初めて自分の家以外で寝た長
崎の旅館とそこで出された枇杷の実が
美味しかったことであり、次はこの
避難訓練である。
その次に船に乗ったのは日本が戦争に
負けて上海から博多に着いた引き上げ
船である。大きな船に引揚者が横に
なれないほどびっしりと座り込んで
いたこと、ひどい麦飯を初めて食べて
下痢をしたこと、博多に上陸したら、
駐留アメリカ兵にDDTを頭から振りかけ
られた事を強烈に覚えている。
次に乗ったのはStockholmからHalsinki
郊外へのフエリーで、1970年頃。2002
年頃、青島から下関まで乗った。2004
年頃、神戸から天津まで行った。中国
人客が多かったこと、船内の自販機が
日本製で500円の缶ビールがすぐ売り
切れになったことを覚えている。
これが私の最後の国際航路か、次はど
こかあるのか。大阪北京、堺港ウラジ
オストック、稚内コルサコフか、横浜
グアムなんてのもあるらしい。どこか
を狙ってみよう。