Aruiのスペース

自分の身の回りで起こったことの記録であったり、横浜での生活日記であったり・・・です。

猫に小判・騒動

2006-09-04 10:46:41 | Weblog
猫に小判・騒動              2006-09-03

今日は、青島に来て最初の日曜日。私が日本語教師になって
最初の日曜日でもあります。金、土と初授業を終えて、ほっ
としています。ここまでで、3つのクラスに同じこと、第一課
の前半を教えました。その第一印象ですが、生徒達は、概し
て真面目で、熱心に勉強するようです。

生徒に関しての印象は、これからも折りに触れて取り上てい
きたいと思います。今回は教科書についてです。外国人が
日本語を学ぶための教科書つくりは難しいと思います。如何
に興味を持たせ、効果的に日本語を習得させるか、苦心する
ことでしょう。研究社の中級から学ぶ日本語、第一課は、
「たとえる」です。どこの国の言葉においても、ある事柄を
説明するのに、判り易くするために、あるいは、印象深く説
明するために、いろいろな例えを用います。

その例えが、長い年月に渡って人々に用いられ、人々に愛用
され、尚且つ、その例えが簡明で語呂が良くて覚え易い場合は、
諺として定着するのでしょう。そして我が教科書は、いろいろ
な例えの中から「猫の手も借りたい」と「猫の額」と「猫に小
判」を取り上げたのです。この中で、生徒達がすんなりと理解
したのは、額でした。狭い庭のことを、猫の額ほどの庭と言い
ます、というのは、判り易かったようです。次に理解できた
(と思える)のは、猫の手でした。最後が小判です。

それについて、私が生徒に質問したことがあります。「この
中で、猫を飼っている人、手を挙げて」。なんと3クラスを
通じて一人でした。つまり中国人は猫を知らないのです。猫
そのものは知っていますが、猫とはどんな生き物なのか、意見
を言える程は知らないのです。これは私に取っても発見であり、
驚きでした。教科書の設問1.中国では猫はどんな動物だと
言われていますか。設問2.猫のような人と言われたら、どん
な人を想像しますか、については、会場石として声無しでした。
彼らは答えがあれば、手を挙げて答える答えないは別にして、
皆でわいわい話し合います。これで、私の最初の授業が、如何
に進めるのが難しかったか想像して頂けますでしょうか。

さて、猫に小判ですが、これが難物でした。正しい理解は、
猫に小判⇒猫に小判をあげること⇒小判の価値の全く判らない
猫に高価な小判をあげること⇒なんと愚かな、無駄な、無意味
な、不似合いなこと・・・というふうに進む訳です。ところが、
生徒達は、猫に小判⇒猫に小判をあげること、この展開が出来
なかったようです。そのことに私が気付くのも遅れました。
まさか、ここでstopしてるとは思いも寄らなかったからです。

生徒達の理解は、猫に小判・・・天に星、地に花・・・的に捕らえた
ようです。従って、それ以上の展開が無く、愚かなこと、無駄
なことにたどり着かないようでした。教科書には、「高い辞書
を持っていても、全然使わずに本棚に並べておくだけの人に、
『猫に小判』だねと言うのです」とあります。日本人ならこれ
で充分納得・理解できると思うのですが。さて、来週もう1
クラス、猫に小判の説明が残っています。どうなることやら、
楽しみです。

最後に教科書には、猫の例だけ載っていましたが、私が、犬猿
の仲とか猿真似とか、猫以外も教えておきました。猫に小判と
同じ意味の例えで、中国で使われるものを教えて欲しい(教科
書でもそう聞いてる)と言いましたら、「対牛弾琴」が2クラ
スから返ってきました。私のパソコンの中の日中辞書にある
投珠与豚(豚に真珠)については、3クラス全員、そんな言葉
は知らないとのことでした。

日本の諺で何か知っているものありますか?と聞いたところ、
猿も木から落ちると回答があり、一安心です。