ふみさんの日々雑感

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ムンク展

2018-11-23 10:14:21 | Weblog

友達とムンク展に行って来た。

丁度、同じ時期にフェルメール展もやっていて、どっちに行こうかと。

どっちも見たいけど、フェルメールの絵は、知っている絵がいろいろある。

でも、ムンクは叫びしか知らない。どこかで見た事はあるかも知れないが、思い浮かべるのは叫びだけ。

それに、ムンク展では、65歳以上が無料の日がある。多分、鑑賞者の混雑を少しでも分散させるためだと思う。

何時ごろに行こうかと話し合い、多分、年配者は早くに出かけるだろうから、お昼をどこかで食べてから行こうという事になり、それは正解だったと思う。混雑情報で、午前中は混んでいると出ていた。

上野公園には、めったに行かない。

でも、暑くもなく寒くもない日に、おしゃべりしながら歩くのは、本当に気持ちいい。

美術館に着いて、行列の後ろに並んだ。

いつのように、音声ガイドを借りて中に入る。

声優の福山潤さんのガイドが耳に心地いい。

今回は、本当に音声ガイドを借りて正解だった。

ムンク自身の事は、ほとんど知らなかったから、絵の説明を聞きながら、そして、その当時の音楽を聴きながら、絵を一枚一枚鑑賞した。

色使い、構図、全てが独特。

見ていて、心が苦しくなる絵もある。まるで、心の洞窟を思わせるように黒く塗りつぶしたような眼。血を流したような赤い空。

お祭りに踊っている人々までが、鬱屈を抱えているように見えてしまう。

多分、絵を書いたころのムンクの状態を知らなければ、早くに亡くなってしまった母や姉たち親族達への強烈な喪失感・思慕を知らなければ、そんなに心に迫っては来なかったかも。

そして、“叫び”は、以前は、絵の中の人物が恐怖に叫んでいるのかと思っていたが、実際は反対だった。周り中に満ちている恐怖を聞きたくなくて、耳を塞いでいたのだ。

ムンクは、何枚も同じ絵を書いている。構図も少しづつ違っていたり、色使いも違っていたり。人に譲る時には、必ず、同じ絵を書いて手元に置いていたそうだ。

“接吻”という絵が何枚もあったが、そのほとんどが二人の人物が溶け合って顔が良く分からない。最後の方は、顔だけでなく体も溶け合って。

それほどまでに愛し合っている二人なのだろうが、見ている私は切なくなってくる。

それに、何と言っても、時々挿入される音楽がいい。

特に終わり近くに聞こえて来た女性の歌が良かった。

音声ガイドを返して外に出る前に、友達に「ごめん、もう一度、あの歌を聞きたい」と言った。

友達も「私も、そう思っていた」と。

友達と、隅の壁際に行き、友達は立って、私は床に座り込んで壁に背を預け、目を閉じてその歌声に聞き入った。

心に染み入るように、感情を揺さぶるように聞こえてくる歌声に、いろんな思いが溢れそうになった。

終わって、立ち上がった時、私達の周りにじっと立ち尽くしてヘッドホンをしている人達がいた。私達と同じようにもう一度、歌声を聞いているのだろうな思った。

帰り、グッズ売り場で何か、記念にと「叫びのジャム」と「キティちゃんの叫びのピンバッジ」を買った。キティちゃんって、何にでも対応しているのだなと笑ってしまう。

夕方の公園を駅の方へ歩きながら、「ムンク良かったね」と話しながら帰った。

家に帰り、ユーチューブで、あの歌を探し聞いた。

多分、「ソルベェーグの歌」だろうと思うけど。セシル・シルシェブーと米良美一の歌声が素敵だ。

 

 

 

 

 

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