シン・ゴジラを見て来た。
面白かった。
まるで、実際に今起こっている事件をTVで実況中継で見ているみたいだった。
TVのように画面の下に文字が出るし、災害時のように脇や上にも字が出る。今、話しているのが誰で、というように。例えば、総理大臣の誰々、防衛大臣の誰々とか。でも、読む暇がないほどのスピードで画面は切り替わって行く。
最初のゴジラが東京に上陸して行くシーンは、もろに東北大震災を思い出した。
それよりも、何よりも政府や閣僚達がズラッと並んで会議して、どうしたらいいか話し合うが結論が出ない。
東北の震災の時もそうだったが、政府でさえも情報をテレビで得る。そして、初めて今起こっている異常な事が、巨大生物のしわざだとTVの映像で知る。
危機管理として、一番大事なのは、正確な情報だと思うのだが、その情報が政府に上がて来なくて、上がって来ても自分に理解出来る事だけを受け入れる、現実でもそうだろうなと思う。
古い昔ながらの年配の政治家・大臣たち VS 彼らとは別の見方で行動する若い政治家と集められた、何のしがらみのない異能の才能の持ち主たち。
唯一、ゴジラを倒せたのではないかと思われるシーンが最初にあった。
海から上がって来たゴジラは、何かプクプクで顔もホヤホヤで怖くない。そのゴジラに向かって自衛隊のミサイルが発射されるシーン。
総理が発射の指令を出そうとしたその時に、テレビ画面にノンビリと老人をおんぶして歩く人が映った。
「全員、非難したのではないのか」 と悩み、結局攻撃を止めてしまう。
ここまで、暴れまわったゴジラの為に沢山の人が死傷しただろうに、これからも沢山の人々が死傷し都市が破壊されるだろうに、総理には攻撃の指令が出せない。日本中の人々が見ているから、GOサインが出せない。笑ってしまうほど日本的。アメリカなら問答無用でミサイルを打つだろう。
そして、ゴジラは、脱皮(?)するように、凶暴なゴジラとして倍の大きさに立ち上がる。最終的には3倍くらいの大きさになるが。
ゴジラは、どんな兵器でも倒すことは出来なかった。
見てない人のためにあまり詳しくは書けないが、結局、日本の国を守るのは日本人。同盟国としてのアメリカのやり方は、日本人としては絶対に受け入れられない。
ゴジラから採取した情報を極秘にと日本に迫るアメリカ。多分、兵器に利用できるかもと考えての事だろうが、でも、日本はその情報を世界に流して協力をお願いする。
そして、日本が戦後、どこの国とも争わずに平和に接して来たからこそ、日本の強引なお願いを聞き入れて、世界中のスーパーコンピューターを並列につないで(どうするのか私には分からない)膨大な計算を短時間でやりとげ、最終兵器(?)を作りあげられたのだろう。
そして、最終的にゴジラを無力化するのは、結局、日本人の資質である知恵とアイディアと想像力と、与えられた仕事をタイムリミットまでに仕上げる真面目さと技術力、無理な事でも死ぬ気でやり遂げてしまう努力と精神力なんだろうなと思う。
この映画を見た政治家や評論家がTVで、国を守るための安全保障や危機管理・集団的自衛権等を、もっと真剣に考えなければと言っていたが、この映画は、私達の国を守るのは、強力な兵器なのではないと言っているように私には思われた。
ラストのゴジラへの総攻撃は、「え、そこはアナログ?」 って笑うほど人間的で、思わずガンバレ!って心で思ってしまった。
普通、パニック映画では、夫婦とか親子とか恋人とかのセンチメンタルなシーンがあったりするが、そういう所が見事に無くて潔い。だからこそ、よけいに今の日本のあれやこれやを考えてしまう。
未来の日本のトップに立つだろう若い主人公が、「日本は昔からクラッシュアンドビルドで成長して来た。これから、素晴らしい日本を作り上げる」 と言う言葉に映画ながら希望を感じた。
確かに、日本は昔から地震や津波や火山や洪水や土砂崩れや、数々の自然災害にあい、そのたびに人も家も街も無くなり、でも、又同じところに家を建て街を作り生活をし社会活動をして来た。
まさに破壊と創造の繰り返し。
究極のあの戦争で日本中がどうしょうも無いほど破壊された。でも、人々は必死になって働き、今の平和な日本を作り上げた。
どんな試練があっても、柳の枝のように受け流して折れる事は無く生きて行くのかな。
主人公が、「しかし、総理や多くの閣僚が亡くなっても、すぐに総理が決まるんですね」 と言われ 「代わりの人はいっぱいいるよ。それが日本の強みかもしれないね」 と答える。
コロコロ総理大臣が代わって、外国からは揶揄されることがあるが、それが本当は日本の強さなんだと言いたいのだろうか。確かにとんでもない人がトップに何年も君臨するよりはいいのかも。
ストーリーを追う事で一生懸命だったので、もう一度見たい。見逃しただろう細かい所を見たいから。今度、娘と行ってこようかな。
面白かった。
まるで、実際に今起こっている事件をTVで実況中継で見ているみたいだった。
TVのように画面の下に文字が出るし、災害時のように脇や上にも字が出る。今、話しているのが誰で、というように。例えば、総理大臣の誰々、防衛大臣の誰々とか。でも、読む暇がないほどのスピードで画面は切り替わって行く。
最初のゴジラが東京に上陸して行くシーンは、もろに東北大震災を思い出した。
それよりも、何よりも政府や閣僚達がズラッと並んで会議して、どうしたらいいか話し合うが結論が出ない。
東北の震災の時もそうだったが、政府でさえも情報をテレビで得る。そして、初めて今起こっている異常な事が、巨大生物のしわざだとTVの映像で知る。
危機管理として、一番大事なのは、正確な情報だと思うのだが、その情報が政府に上がて来なくて、上がって来ても自分に理解出来る事だけを受け入れる、現実でもそうだろうなと思う。
古い昔ながらの年配の政治家・大臣たち VS 彼らとは別の見方で行動する若い政治家と集められた、何のしがらみのない異能の才能の持ち主たち。
唯一、ゴジラを倒せたのではないかと思われるシーンが最初にあった。
海から上がって来たゴジラは、何かプクプクで顔もホヤホヤで怖くない。そのゴジラに向かって自衛隊のミサイルが発射されるシーン。
総理が発射の指令を出そうとしたその時に、テレビ画面にノンビリと老人をおんぶして歩く人が映った。
「全員、非難したのではないのか」 と悩み、結局攻撃を止めてしまう。
ここまで、暴れまわったゴジラの為に沢山の人が死傷しただろうに、これからも沢山の人々が死傷し都市が破壊されるだろうに、総理には攻撃の指令が出せない。日本中の人々が見ているから、GOサインが出せない。笑ってしまうほど日本的。アメリカなら問答無用でミサイルを打つだろう。
そして、ゴジラは、脱皮(?)するように、凶暴なゴジラとして倍の大きさに立ち上がる。最終的には3倍くらいの大きさになるが。
ゴジラは、どんな兵器でも倒すことは出来なかった。
見てない人のためにあまり詳しくは書けないが、結局、日本の国を守るのは日本人。同盟国としてのアメリカのやり方は、日本人としては絶対に受け入れられない。
ゴジラから採取した情報を極秘にと日本に迫るアメリカ。多分、兵器に利用できるかもと考えての事だろうが、でも、日本はその情報を世界に流して協力をお願いする。
そして、日本が戦後、どこの国とも争わずに平和に接して来たからこそ、日本の強引なお願いを聞き入れて、世界中のスーパーコンピューターを並列につないで(どうするのか私には分からない)膨大な計算を短時間でやりとげ、最終兵器(?)を作りあげられたのだろう。
そして、最終的にゴジラを無力化するのは、結局、日本人の資質である知恵とアイディアと想像力と、与えられた仕事をタイムリミットまでに仕上げる真面目さと技術力、無理な事でも死ぬ気でやり遂げてしまう努力と精神力なんだろうなと思う。
この映画を見た政治家や評論家がTVで、国を守るための安全保障や危機管理・集団的自衛権等を、もっと真剣に考えなければと言っていたが、この映画は、私達の国を守るのは、強力な兵器なのではないと言っているように私には思われた。
ラストのゴジラへの総攻撃は、「え、そこはアナログ?」 って笑うほど人間的で、思わずガンバレ!って心で思ってしまった。
普通、パニック映画では、夫婦とか親子とか恋人とかのセンチメンタルなシーンがあったりするが、そういう所が見事に無くて潔い。だからこそ、よけいに今の日本のあれやこれやを考えてしまう。
未来の日本のトップに立つだろう若い主人公が、「日本は昔からクラッシュアンドビルドで成長して来た。これから、素晴らしい日本を作り上げる」 と言う言葉に映画ながら希望を感じた。
確かに、日本は昔から地震や津波や火山や洪水や土砂崩れや、数々の自然災害にあい、そのたびに人も家も街も無くなり、でも、又同じところに家を建て街を作り生活をし社会活動をして来た。
まさに破壊と創造の繰り返し。
究極のあの戦争で日本中がどうしょうも無いほど破壊された。でも、人々は必死になって働き、今の平和な日本を作り上げた。
どんな試練があっても、柳の枝のように受け流して折れる事は無く生きて行くのかな。
主人公が、「しかし、総理や多くの閣僚が亡くなっても、すぐに総理が決まるんですね」 と言われ 「代わりの人はいっぱいいるよ。それが日本の強みかもしれないね」 と答える。
コロコロ総理大臣が代わって、外国からは揶揄されることがあるが、それが本当は日本の強さなんだと言いたいのだろうか。確かにとんでもない人がトップに何年も君臨するよりはいいのかも。
ストーリーを追う事で一生懸命だったので、もう一度見たい。見逃しただろう細かい所を見たいから。今度、娘と行ってこようかな。