ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

母に会いに行く

2011-07-17 08:41:09 | Weblog
夫の49日が終わったので、お義兄さんや姉の長男に挨拶を兼ね、母に会いに行った。

何回、姉の家に行く為に新幹線に乗った事だろうか。姉に会い、一杯おしゃべりが出来る楽しみと、母に会う事を思いながら流れる景色を眺めていた数え切れない日々。

でも、今回は、見なれた風景が涙に滲んだ。目をつむれば、姉の笑顔が、夫の思い出が浮かび、涙が頬を伝う。

姉の家に着き、姉の遺影に、「ああ、やっぱり、ここには姉はいないんだ」 と。庭に目をやれば、あんなに庭一杯に色彩豊かに花々が咲き乱れていたのに、緑色しかない。涙が溢れ、嗚咽がこみ上げる。

「ふみちゃんも大変だったね」 と、優しくて朴訥なお義兄さんが、夫の事を悼んでくれる。

去年の今頃は、二人とも元気一杯だったのに、一年後の今、二人にそれぞれのパートナーがいない。想像も出来ない事だった。

本当に、人生なんて分からない。いつ何が起こるのか、人間の想像を超えている。

残された私達も、先の事は分からない。いつどんな状態で、先に逝った人達の所に行くのか。誰もが、必ず逝くべき時が来る。その時までの残された人生を悔いなく一生懸命に生きて行く事しか出来ない。

特養にお世話になっている母は、私の顔を見た瞬間に、泣きだした。

「ふみちゃん、来てくれたんだ。もう、死ぬまで会えないと思っていた。」 二人で手を取り合って泣いた。

姉が亡くなった事を知らない母は 「はっちゃんが来てくれない。どうしたんだろう」 と。「姉ちゃんは、身体を壊して入院してるんだよ」 と。とても、姉の死を伝えられない。

そして、母の大好きな私の夫の事を 「元気にしてる?」 と聞いてくるが 彼が亡くなった事を言えない。

姉が、夫が亡くなった事を伝えれば、もしかしたら生きる気力を無くしてしまうかも知れない。残された人生を泣きながら暮らす姿を思えば、可哀想で言えない。

もっと、近ければ、頻繁に会いに来れるのだが…。

10月に姉の一周忌法要がある。その時に、また母に会いに行く。

すっかり頼もしくなった、姉の長男とこれからの事を打ち合わせて、帰って来た。

もう、当分、辛い事が起こりませんように、と思いながら、帰りの新幹線に乗った。




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