ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

思わず涙が…

2009-10-08 16:54:00 | Weblog
朝日新聞の“声の欄”の75歳のご婦人の投稿に思わず涙がこぼれた。

45年前に体に障害を得て、今はベッドで寝たきり状態らしい。

彼女は花々が大好きで、御主人が生きていられた頃は、野山に連れ出してくれて、体は不自由でも幸福な日々を送っていたそうだ。

今、介護保険と自費で複数のヘルパーさんに世話になりながらの一人の生活。

花々を見に外には出かけられないが、せめてもと鉢花の水やりや、旦那さんの仏前の花の水替えをヘルパーさんに頼んだら、「介護保険の対象ではない」と介護事業所から厳しく叱られ、反省したそうだ。なぜ、彼女が反省しなければならないのか。

そして、もう、花を愛でることは出来ないが、心の中には思い出の花々が輝いている。それだけでも幸せです。と、結んでいる。

花が大好きな老いた母を思い出し、胸が詰まって涙がこぼれた。

介護保険での介護の現場とはこうなのだろうか。現場は全てを事業所に報告し、事業所はマニュアルと照らし合わせて対応するとは、まるでロボットのようなシステムではないか。すべてがそうとは思わないが、たとえ、その日までベッドに寝たきりの毎日であっても、彼や彼女は人間であり痛む心がある。

思いやりとか、情とか、やさしさとか、「友愛」とか、そういう人間の心は、介護対象者に必要無いという事なのだろうか。

まだ、日本に介護保険が無かった頃、TVで日本に介護保険制度の必要性を必死で語っていた樋口恵子さんの言葉に感動した事がある。

私の田舎のように、老夫婦だけで生活している人が沢山いる。ほとんどが子供家族とは離れて生活している。私の所もそうだった。

だからこそ、国民全員でお金を出し合って、住みなれた家で暮らせる為の制度をつくろうと。昔のように嫁や娘に押し付けるのでは無く、又、現実にはそう出来ない世の中になって来ているのだからと。

TVでの介護保険制度導入についての討論会では、自民党の議員が「親の面倒を見るのは子供の役目。それが昔からの日本の家族の良い文化であり美徳だ」と大反対していた。どんなに樋口恵子さんが、説明しても聞く耳持たずで吠えていた。でも、現実にそういう大家族制度は崩れている。

何回か改正はされているけれど、私が聞いた樋口さんの理想とは違う制度になったように思う。

子供が退職して、親の年金で暮らしながら寝たきりの親の面倒をみるのは、樋口さんの理念とはまるっきり違うと思う。保険料は問答無用で取るけど、面倒は子供で見なさいとは、余りにも酷くはないだろうか。

親が亡くなった時、生活費の親の年金が無くなり、自分の年金は無い、職もない、じゃあ、生活保護でとなるのだろうか。

「たすけて下さい」とメモを残して餓死した若者がいる日本。病気や怪我をしても病院に行くお金がない家庭の子が、学校の保健室で寝ているという日本。食事は一日一回の学校の給食という子供がいる日本。子供の貧困率が先進国で突出している日本。

未来に生きる子供に手を差し伸べる事が出来ない日本だもの、まして未来に必要のない寝たきり老人は…。

あまりにも暗く悲しい。

この御婦人の住まいが、私が毎日、水やりと水替えに通える場所にあったならと、思うたびに瞳がうるむ。そして、鳩山総理の唱える「友愛」が社会の暗闇を払拭してくれる事を願ってやまない。


コメント
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