波打ち際の考察

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波屋山人

「二カ国語放送」は差別語か

2012-01-21 22:35:28 | Weblog
小島剛一著『漂流するトルコ』(旅行人発行、2010年)を読んだ。
著者が以前書いた『トルコのもう一つの顔』もたいへん興味深く一気に読んだことがあるが、
この本も非常におもしろい。
辺境探検ノンフィクション作家、高野秀行さんの推薦する本は外れがない。
2100円するが、350ページの文章の内容と密度を考えると安い。

高野さんも小島さんも大宅荘一ノンフィクション賞受賞レベルを超える作品を残している。
それでも、上原善広さんみたいに差別をテーマにしてちょっと社会的良心をそそるようなテーマのほうが受賞しやすいのだろうか。もったいない。上原さんの本も好きだけど。

『漂流するトルコ』は、方言を含めれば100種以上の言語を解するのではないかと思われる言語学者による、知的でスリリングな冒険談だ。

トルコにおける少数民族の言語調査。
トルコ人やトルコ語以外の存在をなかなか認めようとしない政府。
情報収集員による妨害と監視。
秘密警察や編集協力者のお粗末さ。トルコ政府による国外追放。

著者は政治主張には関わらず、言語学者として堂々と困難に立ち向かう。
小説として読んでしまいそうになるけど、これは現実の話なのだ。

なるほどね、と唸らされる内容も多い。
例えば下記のような記述。

P90
> 言語の数と国の数は一致しないし、言語分布の境界と国境とも重ならないのが普通
> だから、「何カ国語」という数え方は無意味であり、応えようが無い。(略)日本のテレビ
> には時々「二カ国語放送」という文字が流れる。どことどこの二カ国を考えているのか
> 分からないが、どうして単純明快に「○○語と○○語の二言語放送」と言わないのだろう。

そのうち、「二カ国語」という表記は差別的表現だとされてメディアでは「二言語」という表記に書き換えられるかもしれない。
かつて、「母国語」という表現が普通に使われていたけど、「日本語環境で生まれ育った外国籍の人はどうなるんだ。在日韓国人は日本語しか話せなくても母国は韓国だ」などという声もあり、「母語」という表現に言い換えられることになった。

チベット語とウイグル語と中国語を話せる中国人に「三カ国語も話せるんですね」と言うと「チベットもウイグルも中国も一国です。チベットやウイグルの独立は許しません」と怒られるかもしれない。
哲学も信念もないマスコミの人たちはすぐに「三言語」と言い換えるだろう。

また、欄外の注釈が興味深い。ここも、へー、と感じることが多い。豆知識ですね。

P208
> *ティーラ・ミ・スー 
> イタリア語。本来の意味は「私を引っぱり挙げてくれ」。
> 日本での主流の表記は「ティラミス」らしい。

p233
> *民族学上の「民族」と政治用語の「民族」 
> 民族学・文化人類学の研究対象の「民族」は「同一の言語と文化を共有する集団
> (=英語ではethny)」であって、「歴史的、社会的、文化的な共同体意識を共有
> する集団」という意味での「民族(=英語ではnation)」ではない。

P260
> *他人行儀 
> トルコでは、日本などよりも遥かに遅く、1934年6月21日の法令で全国民に姓を
> つけさせることが決まった。そして、トルコ同化政策の一環として、姓はトルコ語
> でなければならないことになった。(略)今でもトルコ国民にとって姓は単なる行政上
> の符号のようなもので、近所付き合いや友人関係では用いない。トルコ語を話す者
> 同士では、知り合った時に互いに下の名前を名乗り、それで呼び合うのが普通である。(略)

それにしても、チェルノブイリ以降、黒海の南に位置するトルコに大量の放射能物質が届いていたとは知らなかった。これはたいへんな惨事だ。
おそらく、福島よりも大きな被害だろう。

P235
> *喉頭ガン 
> チェルノブイリの原発事故以来、トルコの黒海沿岸地方の住民のガンや白血病の診断率は、
> それまでの数十倍に跳ね上がっている。私の知人・友人の間にも、闘病中の人や死亡
> した人、幼な子を白血病で亡くした人が数知れない。

P331
> (略)別れ際に「一カ月ぐらい後で、また来るからね」と努めて朗らかに言った私に、
> 淀みなくこう答えた。
> 「その時ここでお逢いできなかったら、いずれあの世でお待ちしています。黒海の
> 向こうのチェルノブイリの原発事故の翌年にこの村で生まれた子供たちは、ここ一、
> 二年の間に一人残らず白血病で死んじゃったんです。これからが人生の春というときに。
> 隣の爺様も斜向かいの家の爺様も癌で亡くなりました。こうやって死んでいくのは
> 自分一人じゃないと思えば、いくらか気休めにはなります。先日は、ラズ民謡集が
> 立派な本になったのが生きているうちに見られて、とても嬉しかった。今日はラズ語の
> 文法書も完成したんですね。協力者リストの中にウメル・セチェルの名前がある。
> この村に私が生きていてラズ語を話していたという証が残るんですね。どんな立派な
> 墓碑銘を彫ってもらうよりも、この方がずっと嬉しい」

小島さんは言語学について文中で説明している。
雑草という草はないと言ったという昭和天皇を思い出した。
言語学者にとっては見下されて当然の方言、などという存在はない。
すべてを受け入れて、見渡す。そして比較判断するという姿勢は興味深い。

P278
> 植物学では、すべての植物に関する知識が必要です。だからありとあらゆる植物を
> 研究します。基礎研究の対象としては、すべての植物が等価です。一部の植物は食用、
> 薬用、建築用、燃焼用などの役に立ちますが、一見何の役にも立たないような植物で
> あっても、研究しない理由にはなりません。それと同じで、言語学の基礎研究の対象
> としては、すべての言語が等価です。言語学者は、ありとあらゆる言語を研究します。
> 一部の言語が話者数も少なく政治的にも弱小で経済的にも何の役にも立たないように
> 見えたとしても、その言語を研究しないで放置する理由にはなりません。すべての
> 言語に関する知識が必要なのです。


コメント
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