波打ち際の考察

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波屋山人

戦争と震災

2011-04-16 10:08:26 | Weblog
ぼくにとって戦争は遠い世界のものだった。現実感はなく、どのようなものか実感がわかなかった。
第二次世界大戦の後から現代日本の歴史が始まっているという印象を持っていた。

ただ、戦後の復興の速さや、戦前の工業の発達や民主主義思想の普及レベルを考えると、戦前と戦後がまったく断絶したものではないとうっすらと感じてはいた。

戦争で痛い目にあった人がもう二度と戦争を体験したくないという気持ちはわかるし、
戦争に負けて自分の考えを全否定された人が反発を感じるのもわかる。

でも、戦後民主主義者も反戦運動家も国粋主義者も、思考や行動のパターンには似たものがあるのかもしれない。表現形式が異なるだけかもしれない。

そんなことをふと思ったのは、今回の震災に、第二次世界大戦との共通点を感じたからだ。

3月11日(金)午後の震災。
人々は突然の災害に振り乱すことなく、状況を受け入れ、粛々と対応した。
抗(あらが)ってもどうしようもないことに対して、感情をあらわにしない。
見たことのない津波の風景をテレビで見ても、どう反応すればいいのか戸惑う。
戦争の時も、淡々とした日常が続いていたのだろうか。

原発施設の復旧に挑む作業員。瓦礫の山に立ち向かう自衛隊員。行方不明者を探す被災者。放射能があることも覚悟して被災地に物資を届けるボランティア。出せるだけの所持金を募金する人。
多くの人が献身的に動いている。
戦争の時も、災害に対応する時のように、人々は出兵していったのだろうか。
身近な人を守るために兵士となった人もいるだろう。
戦争においても、共同体の存続の一大事にあたり献身的に働くという姿勢の人は多かっただろう。
勤労奉仕はボランティア、金物や油の供出は募金のようなものだろうか。

津波が迫ってきても、消防団員は水門を閉めるために堤防に向った。
車で逃げる人は津波が迫ってきてもなかなか渋滞の列から走って逃げようとしなかった。
原発で働く人は放射能が不安でも仕事場に戻った。
戦地に赴(おもむ)いた人も、疎開しないで都心に残っていた人も、死ぬ確率がかなり高いと意識していた人は少なかったかもしれない。

東京電力や政府は、放射能が漏れていても健康に問題がないレベルだと言う。
ごまかす気はないのだろうけど、事を荒げたくないという深層心理を感じる。
無意識に、「推測の情報で人々を不安にさせてはいけないから」「暫定値だし、機器も正常じゃないかもしれないし」「一般の人には不要な情報だろう」などと勝手に理由をつけて情報を選択しているのかもしれない。
大きな損害があっても国民に発表しなかった大本営も、嘘をつく気はなかったのかもしれない。

情報の不足により、デマや風評被害も見られる。
すでに原子炉の底が抜けてコンクリートに落ちていると断言する人。
被災地で泥棒が多発していると言う人。
そういった報道に対し、根拠のないデマが出回っていると言う人がいる。
だけど、原子炉の状況がきちんと把握できるわけではないし、実際に被災地の金庫からお金が取られたり遺体のポケットから財布が抜かれているのを見た人の証言は否定しにくい。

福島や千葉や茨城の農産物が風評被害で売れないというけど、ほんとうに安全なのかどうか、きちんとした計測はされているのだろうか。

何をもって、ある情報がデマや風評なのか、判断することはむずかしい。きちんと根拠を示さなければ、デマや風評で被害を受けている、という発言自体が偽情報になってしまう。

そういえば、関東大震災のときに在日朝鮮人の人が多数殺されてしまった発端は、社会に不満をもっていた朝鮮人がどさくさにまぎれて井戸に毒薬を投げ込んだというデマだった。
だが、完全に根拠のない偽情報だったと証明することは難しい。
戦争中も、デマだデマだといい続けて、それがデマだと認識されることがあったのかもしれない。

政府民主党は、自民党や公明党との大連立を模索した。
その構想を聞いて、第二次世界大戦中の大政翼賛会を想像した人も多いだろう。
共同体の存続をおびやかす一大事においては一致団結して立ち向かう必要があるということなのかもしれないけど、第二次世界大戦中の日本政府もそのように認識していたのかもしれない。

そして、震災の地に天皇が向かった。
その姿に、戦後各地を行幸した昭和天皇の姿と重ね合わせる人もいるだろう。
各地をまわり、人々に姿を見せ、人々のことを認識し、思いを共有する。

打開策を指示したり、弱った人を励ましたりするのは、天皇の仕事ではない。
社会的善悪の判断基準を超え、人々のことを認識し、人々の安寧を願うだけなのかもしれない。

基本的に、天皇は自分の意見を主張しない。
日本の天皇はエンペラーと訳されるけど、実際は祈祷者とか神主とか巫女のトップに近いのかもしれない。
山と平地の境で成立した大和王権の権威は、山地と平地、倭人と渡来人、一般人と被差別民、政治と神事、組織の強化と逸脱、暴力と平穏など、さまざまな境を行き来して存続してきた。
天皇が自分の価値判断基準によって何かを否定したり攻撃することを避け、言葉を選んですべて受け止めようという姿勢には、興味深いものを感じる。

戦時中も現在も主張しない天皇は、組織の強化に努める政府に利用されるだけなのだろうか。
天皇のように、すべての国民、人々、生物、植物などを認識しようとする姿勢に共感する人が増えれば、日本社会における思考や行動のパターンが変化し、政府や経営陣や一般人や、戦後民主主義者や反戦運動家や国粋主義者の姿勢も変わるかもしれない。


コメント (6)
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