Scarving 1979 : Always Look on the Bright Side of Life

1979年生な視点でちょっと明るく世の中を見てみようかと思います。

2006年10月22日の服装

2006年10月22日 23時33分16秒 | 服装
シンプルで古典的な配色ながらも、
襟を立てたり、少しの工夫で印象も変わるわけです。

午前中は家で、小説「ゲームの名は誘拐」を読んで、
映画『g@me』を観て、なんて東野圭吾祭開催。

原作を端折りつつ、結末を変えてしまうと、
それぞれが物足りなくなってしまう恐ろしさを感じつつ、
どちらも面白く観賞。

…とかしてて、愛する人への朝の連絡が滞っていたら、
愛する人から心配メールが届く。

申し訳ない気持ちと同時に嬉しい気持ちで心いっぱいに。
ごめんなさい、ありがとう。うるうる。

もっとしっかり愛する人と向き合わなければ。

残念ながら夢を叶えられない人の方が多い世の中ですが、
夢は叶えることよりも、持ち続けることの方が大切だと気付いたら、
なんとなく、ほんのり大人って呼べるような気もします。

失くした後に気付く場合が多いからこそ、
大人は大人になり、夢を持つ子供を羨ましがるのかもしれませんけどね。

夢の代わりに叶えられる、ホンの小さな願いたちを、
こっそりと叶えて、幸せを温めていきたいものです。

とはいえ、その願いがわからなければ、
叶えることも出来ません。

叶えたい願いを自分と別の存在から貰おうとしたら、
いつしか願いを知ることが願いになっていくわけで。

願いがほしい、つまりはより素直な言葉がほしいと、
言葉が多くなってしまったり、言葉を失ってしまったり。。。

そんな状態で願いを得ると、
なによりも嬉しく、そしてどうしても叶えたい、と、
必死に走り回ってしまう。

それこそが恋心な気がします。

ということで午後、愛する人が望む女性誌を探しに、
関内駅下車で伊勢佐木町へ。

この商店街はどれだけ長いのだろう。
終点を探して、往路で20分以上歩けた。

が、どの書店も女性誌は見つからず。

いつ来ても思うけれど伊勢佐木町はとっても昭和だ。
現代なチェーン店が多数出店してても昭和。

全くスマートでなく、ぬったりしてて、
ギターの意ではない、アコギとかいう言葉が永遠に似合いそう。



折り返して復路終点間際、あまりに当たり前に通り過ぎてて、
ゆずの記念碑撮ったことなかったので記念に。



そして、そのまま歩き続けて馬車道を抜けてみなとみらい。
普通の人ならまずしない、恐ろしい歩き方だ。

女性誌はやはりなかったものの、せっかく来たので、と、
横浜美術館で「アイドル!」という展覧会を見てみる。



といっても、いわゆるアイドルではなくて、
アイドルオタクは行って損するような芸術方面なもので。

蜷川実花の色彩はよいな、とか思いつつ、
私にとって大切な勉強は机上にないものだよなとかなんとか。

結局女性誌を見つけられず、のだめを16巻まで買って、
続きが気になる状態に。ぎゃー。


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