「自治体の役割とは?」 伊東 秀真
今回は、パラグアイの首都アスンシオン近郊のゴミ集積地区、バニャード・デ・アスンシオン(Bañado de Asunción)を取り上げたい。この地区は、パラグアイ川沿いの湿地帯で雨季のたび氾濫に悩まされる劣悪な土地である。ここには、追いやられた貧しい人々によってスラムが形成されている。この背景には、1950年代、地方から農民が流入した際に、首都の住宅需要が拡大した結果、貧しい人にも医療を提供する病院があったために、この地が選ばれた。彼らは、風が吹くたびに小さなゴミが飛来し、鼻をつく有害物質の匂いと濁った水たまりと共に今日も生きている。主な収入源は、ゴミ山から日々ゴミを分別し、金属やプラスチックを見つける仕事である。実際に住んでいる方のお話を聞く機会が得たが、彼らは、少ない収入から貯蓄ができるたび、レンガを買い自分の土地を嵩上げするそうだ。そうすることで、洪水被害から自分の家財などを守ろうとしている。厳しい生活環境にありながらも逞しく生きる彼らの自助の精神に、私は感動した。また、以前洪水が起こった際は、地区中が冠水したそうだ。有害物質やゴミが水とともに拡散するので衛生環境が極めて悪化する。そこで地区で活動するNGO団体がボートを出して水の来ない高台に避難させたという。パラグアイで最も貧しい地区のひとつで、コミュニティ内での助け合いによって支え合って生きている共助の姿に、日本では見られない姿であると感じた。
ここで考えたいのが、自治体の役割である。先程の例を用いると、もちろん、彼らは不法占拠をしている。おそらく、払うべき税も払ってないだろう。それでも、彼らがバニャードに生まれ落ち、育ったのが誤りであったとして切り捨てるのはナンセンスだ。カテウラ地区の出身者は、差別の対象であり肩身の狭い思いをしている。それなのに、なぜ毎年のように人々を苦しめる水害に対して行政は手を拱いているのか。自己責任の名義のもと、人々の自助・共助に甘んじているように私の目には写った。
困っている人がいる前で、手を差し伸べられない自治体とは、なんのために存在しているのか。このテーマは講義内で紹介された豊島の廃棄物処理事件の例にも通じるところがある。豊島開発は、当初の名目であった「ミミズによる土壌改良」を早々に破り、堂々と定期フェリーに産業廃棄物を満載し、狭隘な島内の道路に撒き散らした。香川県は、再三に渡る豊島島民からの豊島開発への指導要請を退け、形式だけの立入検査を繰り返していた。愛すべき島の大気・水・海が汚される苦しみ、養殖が廃業になる苦しみ、ゴミの島と風評被害を受ける苦しみ。香川県の対応は、そんな島民らの苦しみに一瞥もくれないものであった。弱者に寄り添うことこそが、公共に任された役割である。自助・共助・公助と語られるが、公助は最後の要、セーフティネットである。必要な人に支援が行き届くよう公助が出し惜しみされることなく、拡充されることを祈る。
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