週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#86-’07. 飛ばし屋の心理

2007年04月11日 22時41分02秒 | 
 寝ぼけた勝手な戯言と聞き流し、いや読み流しの程。

友人の飛ばし屋さんの心理を。
 一般道でも高速道路でも、運転者自身が無意識に設定する巡航速度がある。道路状況・安全状況や公安委員会指定の最高速度などを勘案して自然にアクセルを踏んでいる。山道など前方の視界が閉ざされていて、コナーがきつければ速度は落ちるし、前方の視界がよく、左右から交差する道が無ければ速度が上がる。運転者各自が走りたい速度が各々異なるのは自然の結果である。
貴方はいつも街道筋などを先頭切って走っていませんか。レース場で先頭を切って走っているのは、早い証拠ですが、一般道や高速道路で先頭を走って後ろに車をつなげているのは、遅い証拠です。貴方の速度が遅いから、車の流れに蓋をする格好になっているに過ぎません。だからと言って一般道では早く走れと言う気はありません。運転者それぞれの技量も異なれば、感覚も異なりますから。
高速道路の指定最高速度だからだと言って、追い越し車線をユックリ走っている方が居ます。指定最高速度80キロのところを100キロで走っているから良いのだと言って、追い越し車線を走っている人。追い越し車線を走るその車の後ろに沢山の車を引き連れて。走行車線と同じ流れの速度で走っていながら、追い越し車線から走行車線に戻らない人。お年を召された遵法精神旺盛な男性の方に多く見受けられる。追い越し車線を飛ばして走ってきた御仁は、遅いその車(最高制限速度を越えて走って居ても)が、飛ばし屋の走りたい速度と異なるのです。飛ばす事(飛ばさない事)が良いとか悪いとか、モラルが無いとか有るとかの問題ではないのです。感情なのです。飛ばし屋の心理なのです。遅い人にスピードを出して追い越し車線を走れといっている訳ではありません。早く走らないのなら、走行車線に戻るべきだと言っているのです。制限速度を守るのが法治国家だとか、遵法精神とかの話ではないのです。ただの感情であり、心理なのです。飛ばし屋でも何時も神経をギンギラギンに研ぎ澄ませて、カット飛んでいるわけではありません。ユッタリ、ノンビリと走りたい時もあるはずです。何時も何時もアドレナリンが血中を駆け回り続ける事は出来ないからです。

 一般道で追い越しをかけた時は、追い越した車の視界から速やかに消えるべきです。次の信号で追いつかれる程度の速さでは、追い越すべきではありません。ただ単に、走行する順番が変わっただけです。走行の順番を変えるだけの事なら追い越す必要はありません。追い越しをかける時は、絶対的な速度差を持って一気に抜くべきです。抜かれた人も、呆れるほどの速度で抜くことにより競争心が起こらず、その車の中で、「あの車はいつか事故るよ」と言わせるぐらい。

 ノンビリモードで走っているとき後方からカットンだ車が来た時は、周りの道路状況が許す所で、先に行って頂きます。早く走りたい車は先にやり、ノンビリ走るのも時には良いものです。譲ることが、飛ばし屋さんより運転技能が劣っているわけではありません。心のゆとりがあるから、大きな心で先を譲る事が出来るのです。

と、カットビ屋の友人が言っていました。高速で160を越えれば殆ど付いて来ないと。高速道路でただ単にスピードを出すだけならば、根性だけの問題で、運転技量の問題ではありません。

こんな特異な価値観・倫理観・感情を持った人間も居る事を脳裏の片隅にもご記憶あれ。

 

画像は我が家のデッキから撮影した三日月を。
満月を見て、体中に毛が生えてきて犬歯が大きくなり遠吠えする友人。
ステアリング・ホィールを持つと性格が変わる友人。







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