Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

Nile Rodgers and CHIC 4/18 2nd - 4/21 2nd 2012

2012-04-23 14:14:55 | NILE RODGERS & the CHIC organization
ナイル・ロジャース・ウィークが終わった。
爛漫に花を咲かせたかと思うと、一気に散っていった今年の桜のように、
今回は短い滞在、4日間で去って行った。
それでも年越しのライヴ、12/28~1/2に掛けての来日があるという
嬉しいニュースを残して。

ナイルロジャースに関してはコアなファンがたくさんいらっしゃるので、
詳しい内容はその方達に委ね、私の個人的な感想のみとします。

18日のセカンド、ナイルはバンドのメンバーよりも先に一人で、
ステージへと向かう。
ちょうどナイルの通る位置にいたので、夫と共に挨拶&ハグ。
壇上ではナイルが今日が自分にとって特別な日、
パートナーだったバーナード・エドワーズの命日であること、
だからバンドの皆よりも先にこうやってステージ上で、
そのことを話したかったんだよと。
シックのライヴに初めての人はどれくらいいるかと挙手させる。
手を上げなかった、上げるのをためらった人がいたとしても、
相当なと言うか、ほとんどがリピーターに間違いない。

昨年のようにメンバー達が"Hanging"で登場。
そこからはCHICのヒットメドレーがテンポよく続く。
今年は今までにはなかった"Notorious"もセットリストに加わった。

途中でヴォーカルのキンバリーとフォラミが退場した後、
なかなか戻ってこない。
後で聞いたことによるとキンバリーの衣装が壊れてきてしまい、
修復できそうになかったために1stで着た衣装に二人で着替えて、
戻って来たそうだ。

その間、残ったメンバー達はアース ウィンド&ファイアーの"Sun Goddess"
を演奏し始める。
続いて、なんと同じくEarth Wind & Fire"Fantasy"が始まる。
しかし誰もフィリップ・ベイリーのファルセットのパートが歌いこなせずにいると、
いつの間にか戻ってきたキンバリーとフォラミが二人で最後の部分で加わり、
歌い切った。

その後、サイン会、サイン会終了後、一人づつの記念撮影ありとのことだったが、
時間も遅かったので諦めようかと思い、階上へ上がると、
既にサイン会は始まっていた。
ナイルの著書"Le Freak"にサインを貰いつつ、読んだ感動を話すと、
「良くわかってくれたね、ありがとう。キスしてもいい?」
頬にキスしてくれました。
写真撮影は残念だけど諦めて帰宅。

3日後の土曜、最終日のセカンド。

日本に来てから毎日2時間しか寝ていない、
というナイルのツイートを読み、体調が心配だった。

整理券を取るためにブルーノートの前に行くと、
既に1stが始まっているようで周囲に人はいない。

ブルーノートのスタッフが入り口付近の歩道、隣の店の前に至るまで、
黙々と箒と塵取りで掃除をしている。
この辺りは喫煙場所、煙草の灰が散る。
周りに人がいない時に、こうやってきれいにしてくれていることを知った。

この日は最終日ということもあり、たいへんな混雑。
Mr.Yが作ってくれたお揃いのTシャツを着る仲間たちがたくさん。
今年は昨年にも増して、Tシャツの色、ロゴの色、
いろいろなヴァリエーションに富んでいる。
席はキャッシャー前のカウンターとなる。

この席、終了間際には飲み物も片付けられ、
椅子も撤去せれてしまうものの視界、音響共に中々良かった。

観客や店内の様子もよく見えるが、ブルーノートのスタッフ達が、
飲み物など混雑した店内でぶつからないように注意深く持ち運ぶ様子、
会場の状況に問題ないか巡回してくれていることがよくわかった。

Nile Rodgers、初めて見た赤いスーツを着ている。
思わず「ナイル、赤もとっても素敵!」と言わずにはいられない。
メンバーは白がテーマカラーだが、フォラミとキンバリーは、豹柄+赤。
アーティストの通り道なので全員に挨拶ができた。

さてこの日のメインイベントはギターコンテスト。
以前は毎回だったのが、昨年から映像による予選後、
決勝が一度だけ行われる。

候補者たちは5人。
最後に拍手で優勝者が決まる。
ナイルは気が向くと演奏に加わったり、加勢したり。
ナイルが演奏に入ると空気感がガラッと変わる。
あのキレ味のある独特のカッティング、澄んだ音色がさすがだ。
3番目の男性がテクニック的には勝っていたようだが、
2番目の札幌から来た男性がキャラクター的に人気大で優勝。
ステージに上がった時もアーティスト皆に頭を下げてから、
謙虚に演奏を始め、ナイルと一緒にギターを弾く時もとっても嬉しそう。
優勝が決まると泣き崩れているのをナイルが優しく祝福している。

最後はバンドのメンバーが"Hangin'"で退場した後、
一人残ったナイルのギターソロが炸裂した。
こういう終わり方もいい。
退場する時も前を通ってくれたので「ハグしてもいいですか?」
と聞くとにっこり"Yes"と答えてくれた。
疲れているはずなのに、どこまでも優しい。

最後のサイン会はたいへんな行列だ。
この日は時間に余裕があったのでさばけるまでしばらく待った。
ベースのジェリーが、私の友人のフランス人家族が来ていて、
前夜会ったよ、と話しかけて来てくれた。
彼女たちは最終日2ndに来るつもりでいて満席で諦めたと伝える。
ジェリーは今回の来日では洋服や靴、気に入ったのを見つけて、
ショッピングも楽しんだと早速買った靴を今日履いていると見せてくれる。
フォラミもステージ衣装とはガラッと違えた私服姿が可愛い。
いつもお洒落で素敵だ。

列が少なくなってきたので同じTシャツの仲間たちでナイルと一緒に撮影となる。
翌日、アメリカへと旅立ったナイル、この写真を早速自身のページへと載せてくれた。

昨年は日本も非常時、ナイルロジャースも術後で体調が心配された。
今年、ナイルが少しふっくらとした姿で戻ってきてくれたのは、
ほんとうに嬉しかった。


1996年4月18日、そして「We Are Family」へと

2012-04-18 00:27:05 | NILE RODGERS & the CHIC organization
1996年の4月、日本はまさに桜の季節だった。
春の暖かな陽気の中、まだ残っている美しい桜の時期に自分が間に合ったこと、
"Sakura"は短い期間しか花が咲かず、日本人にとって神聖な意味を持つ、
とナイル・ロジャースは綴っている。

武道館でのコンサートとJTの企画で2時間枠のテレビ番組の収録があること、
ナイルは浮き立つような気分で親しいアーティスト、このコンサートに相応しい人達、
へと声を掛けてメンバーを集めた。
そして新しいCHICのメンバー編成もした。
もちろん昔ながらのパートナー、バーナード・エドワーズも一緒だ。
このことがこれからの新しいCHICへの最初のステップとなる予感もしていた。
今までにない素晴らしい演奏ができるという実感もあった。

事態が悪くなったのはその24時間後だった。
「少し横になりたい。点滴とかできるかな?元気になれるように。」
とバーナードが言った。
プロモーターとエージェントに話すと医師が呼ばれる。
「コンサートはキャンセルして直ちに入院してください。」
と告げられ、ナイルもコンサートを延期して日を改めるようにプロモーターと話す。
しかしバーナードは譲らなかった。「医者と話したい。」
バーナードはコンサートは行うこと、終わり次第病院へ行くと医者を説得し、
点滴を打ってもらった。

プロモーターも延期しても問題ないと言ってはくれたものの、
バーナードが「ここまでわざわざやってきて、寝てろって言うのか?」
"The show must go on"と譲らなかった。

コンサートはダンサーも含め、優秀なアーティストも備え、
舞台装置も完璧なものになる。
普段は感情的にならないバーナードも始まる前に既に感極まり涙していた。

曲の途中でバーナードとアイコンタクトしようとすると彼は舞台にいない。
どうしたのかと思いつつ演奏を続け、もう一度探すとバーナードはステージにいた。

休憩の時にバーナードから「実は気絶してしまったんだ。
そして一旦、舞台の袖に運ばれて、名前を呼ばれて意識を取り戻したから、
また演奏に戻ったんだ。」

その時に自分はただ話を聞いていた。
バーナードの口から具合が悪いとか、弱音は一つも出なかった。
「さあ、残りのショウをがっつり行こうぜ!」と言われて、
「もちろんさ!」とナイルロジャースは答えた。

後半もバーナードはエネルギーに溢れていて、
輝くばかりの演奏を聴かせた。
会場は満員、テレビのカメラも何台も置かれ、
観客もアーティストも何もかも素晴らしかった。

コンサートは3時間に及んだ。
ホテルへ戻った時に病院へ向かうようにバーナードへ言ったが、
「今は疲れているから、ただ部屋で眠りたい。」
ナイルは食事に出かける時にもう一度バーナードへ電話する。
何かいるものはないのかという質問に「大丈夫だ。横になりたいだけだ。」
とバーナードは答える。

その晩、眠っていたナイルは突然、衝撃を感じて飛び起きる。
時間は1:33だった。
地震かと思ったナイルは一緒に休んでいたパートナーの女性を起こす。
彼女は違うと思うと言ったが、テレビで情報を確認した。
どこにも地震があったというニュースは流れていなかった。

翌朝「バーナードさんのお部屋にモーニングコールを掛けているのですが、
応答がありません。」とフロントから電話があり、
「すぐ近くの部屋だから僕が起こしに行くよ。」とナイルはバーナードの部屋へ向かう。
応答がないので、ハウスキーパーに部屋を開けてもらう。

そこでナイルがみつけたのは、ソファーで横になってつけたままのテレビの前にいる
変わり果てたバーナードの姿だった。
ソックスに凝固した血液の塊がある。
ナイルは駆け寄り、起こそうとする。
しかしバーナードの頬に触るとコーヒーテーブルのように冷たかった。
何が起きたかと理解したナイルは取り乱し泣き崩れる。
ハウスキーパーはなすすべもなく、警察が呼ばれた。
混乱した気持ちの中にもナイルの心の中で「ずっとバーナードの世話になってきた。
今度は自分がその恩を返す番だ。」という覚悟のようなものが定まってきていた。

その時期、当時アメリカ大統領だったビル・クリントンが来日していた。
時が重なったこともあり、事態は複雑になった。
また日本ではエバーミング(遺体の防腐処理)などをしないために、
どのようにしてバーナードの家族へ遺体を渡せるかなどナイルは悩む。

検死が終わり、鑑識から報告が上がってくる。
死亡推定時刻は午前1時から2時と言われて、
ナイルは「地震のあった頃なのか?」と尋ねる。
英語の堪能な刑事に1:33の出来事を話した。
刑事は言った「日本は地震が多いので、小さな地震も細かく観測されています。
その時間には地震はありませんでした。
それはきっとお友達があなたに別れを告げにやって来たのです。」

警察署からホテルへと戻るために駐車場にいた時だった。
刑事がナイルのところへやって来る。
「お友達のところに行ってあげて下さい。」意味が分からないナイルは聞き返す。
「こちらに来て、お友達に会ってあげて下さい。
そして好きなだけ一緒にいてあげて下さい。」

小さな部屋へと案内されるとそこには祭壇が作られていた。
棺に入ったバーナードの様子をガラス越しに見ると、白い着物を着せられていた。
最も悲しかった日、その終焉は荘厳なまでに美しかった。

エピローグ:"We Are Family"

バーナードの死から14年が過ぎた。
いつも彼が一緒にいてくれると感じながら時は過ぎていった。
彼の死は受け入れるすべもなかったけれど、ただひたすら前進あるのみだった。
このような悲劇的な出来事はまた酒へと走らせてしまうというのが通念だ。
しかし、むしろ自分は反対に、バーナードの死を通して、
自分はしっかりしなければいけない、決して飲んではいけないと決意は固かった。

ずっと忙しかった。
貧しいところからスタートして、不自由しない生活ができるまでになった。
自分にとって「生きている」という実感は、音楽抜きには考えられない。

2001年9月11日、シアトルからニューヨークへと嵐の中、ナイルは飛行機で帰宅した。
家に戻ると彼女のナンシーが「たいへんなことが起きている。」とテレビを指した。
犠牲者の中にずっとナイルのポートレイトを撮ってきてくれた親しいカメラウーマンがいた。
ナイルの電話は鳴り続ける。
「"We Are Family"を使ってアメリカ全土を癒してほしい。」と依頼があるが、
あれはシスタースレッジに書いた曲だし、
その時点では自分の中では全くそんな気持ちにはなれなかった。

ダイアナ・ロスを始め、パティー・ラベル、ルーサー・バンドロス、
クイーン・ラティファ、ポインター・シスターズ、そしてシスタースレッジ自身、
多くのアーティスト、俳優、女優からも支持を受け、
"We Are Family"のレコーディングがニューヨークで始まった。
ただアーティストが集まるだけではなく、
愛と平和への願いが込められた作品にしたかった。

引き続きLAでもレコーディングが行われることになり、
飛行機に乗るとその日のクルーたちは皆、
あの嵐の日にナイルが乗った9/11の飛行機の時のメンバーだった。
彼らからあの日以来、初めてのフライトだと聞き、ナイルはそれぞれとハグした。

レコーディングの様子はスパイク・リーが監督したメイキングフィルムに収められた。
その他に子供たちだけのヴァージョンもコマーシャル映像監督に依頼して作成した。
この作品は2002年のサンダンス映画祭でスタンディングオベーションを受けた。
子供たちのヴァージョンも子供番組の三大ネットワークで放映される。

そこから"We Are Family Foundation"がスタートした。
最初は小さなプロジェクトだったが徐々に大きくなり、
アフリカ、中央アメリカ、ネパールなどに学校を17校立ち上げた。
今後も生活物資、基本的に安全な環境、教育環境の充実へと貢献していくつもりだ。

"We Are Family"をSister Sledgeのために作曲した時、
この曲が自分にとってこんなに大きな意味を成す結果になるとは想像もしなかった。
このプロジェクトのお祝いの会を開催した翌週、
自分はローマのコンサートへと旅立つ予定だった。
イタリアへと向かわなければならない日、主治医からナイルは告げられる。
癌がみつかったから治療を優先して欲しいと。
自分にはしなければならない仕事があるとナイルはドクターに話す。

ナイルには94年から座右の銘としているGrim Reaperの言葉がある。
Yesterday's history,
tomorrow's mystery,
today's gift,
that's why they call it the present.

人生は与えれた贈り物だ。感謝で受け止めないと。
「毎日を今日が最後だと思って生きよう」という言葉もスローガンにしている。
だからローマへと向かい、素晴らしいライヴをやってきた。

家に戻った日は空に雲一つない11月の初めて霜が降りた日だった。
寒くてひやっとする空気は身が引き締まる思いでむしろ心地良い。

これから感謝祭を家族で祝うためにラスヴェガスへと向かう。
義父のボビーがいなくなって寂しくなったけれど、家族の集まりは欠かせない。
一時期、家族と離れたこともあったが、こういう時間を大切に思っている。
今年は自分の癌の告知もあり、母に心配を掛けたくないので、
この家族の集まりを中止しようかとさえ思った。
しかしそんなことは問題ではないという結論に達するかもしれないと思い直して、
今年も祝うことにした。

明日は感謝祭だ。

***********************

2001年に9月11日を経験した後、感謝祭で家族で集まることにしたというプロローグから始まり、
翌日の感謝祭を祝うという2010年で"Le Freak"は終わっている。

今日はBernard Edwardsの命日。
そして今日から4日間、ブルーノート東京で8つのショウをNile Rodgersが行う。

Nile Rodgers "Le Freak" part.1 http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20111207

Nile Rodgers "Le Freak" part.2 http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20120306

Nile Rodgers "Le Freak" part.3 http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20120417

Nile Rodgers-Le Freak part.3

2012-04-17 21:28:15 | NILE RODGERS & the CHIC organization
明日からナイル・ロジャース&CHICのライヴがブルーノート東京で始まる。
明日はナイルのパートナー、バーナードが1996年に武道館のライヴを終えた後、
未明にホテルの部屋で亡くなった命日。
多くの本物のナイルファンがこの日をめがけてやってくる。
大切なパートナーを亡くしたナイルが
その後も彼の命日に掛けて来日してくれる感謝の気持ちを表したいから。

そして最終日のセカンドではYouTubeで応募して選考に通った有志達が、
ナイルのギターという賞品を賭けて演奏を競い合うギターコンテストがある。

メンバーが昨年度とほぼ同じというのも感慨深い。
あの余震が続き、次々とアーティストの来日がキャンセルになる中、来てくれた人達。
ナイル達は既に東京へ到着し、明日のライヴへと準備が始まっているだろうか。

ナイルの来日までに彼の著書"Le Freak"を読み終えて、
サインを貰う予定で本の内容や感想もこのブログで紹介してきた。
ライヴの前に駆け足で最後の3章を紹介したい。

チャプター13を開くとそこには死神のような黒いマントを着た男の写真がある。
1982年からナイルは周囲の人の死に度々直面することになる。
ドラッグが原因の人もいれば、病気で亡くなる人、不慮の事故に合う人。

CHICのトランぺッターに始まり、一緒に仕事をしてきた多くのアーティストが
亡くなっていく。
死神が自分に近づいてきていると最初は考えもしなかったが、
衝撃的だったのは、1990年のStevie Ray Vaghanだった。
コンサートの後、急いで帰らなければならなかったスティーヴィーに
エリック・クラプトンは自分がチャーターしたヘリの座席を譲った。
ヘリコプターは墜落し、全員が帰らぬ人となった。

その半年後、ナイルは夜明かしのパーティーからアパートメントに戻る。
新しく買ったポルシェをパーキングに停め、ドアマンに挨拶をし、
エレベーターへと向かった。
28階に住んでいたナイルはどういうわけか14階のボタンを押す。
エレベーターの中でナイルは心臓発作を起こす。
14階のドアが開いた時にナイルはロビーへと倒れ込んだ。
そこにはたまたま掃除夫がいて、彼の通報で救急隊が到着。
ナイルは病院のERへと運ばれた。
一度、心停止状態に至ったが奇跡的に心臓の鼓動は甦る。
後に担当医からいかにナイルが危ない状態だったかを聞かされる。
28階で倒れても誰も見つけてくれなかったはず。
なぜ14階を押したのか自分でも分からないとナイルは綴る。

しかし恥ずかしいことにこれでも自分は懲りてなかった、
と告白している。
その後もドラッグ、飲酒が止められずにホノルルからLAのフライトでも、
意識を失い、着陸後病院へと搬送された。
その都度、後悔しながらも薬と酒を断つには至らなかったのだ。

94年の夏にナイルは久しぶりにマドンナと偶然クラブで出会い、
その週末に開かれる彼女のバースデイパーティーへと誘われた。

マイアミに滞在していたナイルは知り合いのアーティストのショウを観に行き、
誘われてステージへと上がる。
翌日、その時の録音を聞かされたナイルが愕然とする。
完璧に自分は正気を失っている、そういう状態でプレイをしていた、
ということを初めて自覚した。

それだけではなかった。
ドラッグはナイルを経済的にも脅かしていることを管財人から告げられる。

マドンナの大切なパーティーの前に腹ごしらえに入った日本料理屋で
ナイルは完璧に出来上がってしまった。
その後行ったマドンナのパーティーで、
数々の失態を演じたらしいが自分では記憶がないそうだ。
マドンナは寛大にも許してくれたが、
ナイルは未だにその日の自分を許せそうにもないと書いている。

とうとうナイルが観念したのは次に続く出来事だった。
マフィアに追われていて脅迫するメッセージが、
留守電に入っていると思い込み、コネというコネを使った結果、
日本刀とピストルをホテルに届けさせた。
そのメッセージが幻聴だと気付き、目の前にある武器を見たナイルは戦慄した。
幻聴があるなら、幻覚でホテルのメイドやスタッフをこの武器を使って傷つけてしまう、
そんなことも起こったかもしれないと。

意を決したナイルはリハビリ施設の門を叩く。
そして退院後もそこで学んだ通りにドラッグや飲酒する環境から
自分を守る生活を8ヶ月続けた。

ドラッグも飲酒も一時的に止めることはできてもそれを継続するのは難しい。
それを成し遂げることができたのは、あの日に聴いた録音の自分の演奏のひどさ、
音楽ができなくなるのは自分にとって仕事も人生も失うに等しいと思ったからだ。

14章は1996年の4月18日へと向かっていく。

この年にナイルはマイケル・ジャクソンに請われて一度会って、
仕事の話をしたらしい。
様々な事情で傷ついていたマイケルとまだドラッグや飲酒に対して警戒心があったナイル。
二人は会見の中で気持ちの通じる瞬間もあったそうだ。
ところがナイルの言葉を誤解してしまったマイケルの表情は急に硬くなり、
最後はハグではなく、握手で別れた。
マイケルの手、繊細なはずの彼の手の感触が意外にごつかったとナイルは締め括っている。

Nile Rodgers- Le Freak part2

2012-03-06 14:22:16 | NILE RODGERS & the CHIC organization
ナイル・ロジャースの自伝"Le Freak"
ナイルの4月の来日までには確実に読み終わる予定が、
ここのところ、本を開かずにいた。
このままではナイルに会った時に完読した感想が言えないと思い、
慌てて追い込みに入った。

実際、作家の書く文章とは違いとても読み易いし、
ナイルの個人史、またアメリカの音楽業界、
セレブの生活も垣間見ることができる面白さがある。
ところがナイルのような人でも、
未だにアメリカで人種的な差別を受けるという葛藤も描かれている。

Chapter 11、マドンナとのエピソードが中心だ。
昨年の来日時にもNHKの番組のインタビューで話していたが、
マドンナと喧嘩になった時のいきさつが詳しく書かれている。

"Like A Virgin"のレコーディングの日、
朝からイライラしていたMadonnaは、
トイレに行こうとしたスタッフへと罵声を浴びせた。
「これは私のレコーディングよ。
私のお金と時間を無駄にしないでちょうだい!」
「そんな言い方を人に対してするもんじゃないよ、マドンナ。」
ナイルは優しく諭そうとするが耳を貸さないマドンナに対してキレ、
スタジオを後にする。
中々来ないエレベーターを待っていると、マドンナが叫ぶ。
「ナイル!それってあなたはもう私のこと、好きじゃないってこと?」
マドンナを見つめるナイル、二人の表情は笑顔から爆笑へ。

マドンナとナイルは良く連れ立って、出掛けていた。
周りには不思議な組み合わせのペアだと思われていたらしい。
レコーディングが続いたある日、スタジオから出ると空は抜けるように青かった。
そこでマドンナがナイルに尋ねる。
「ナイル、あなたは私をセクシーだと思う?」
「マドンナ、それは冗談じゃなくて、本気で聞いてるわけ?」
「もちろんよ。」
「君は僕が今まで会った人の中で誰よりもセクシーだよ。」
「じゃぁ、なぜ私としたくないの?」
「えっ、えーと、それはね、僕が君のプロデューサーだからだよ。」
それを聞くとマドンナはさっさと姿を消してしまった。
あっけにとられたまま、ナイルは取り残される。

マドンナとはその時の会話の真意が何だったのか、
その後話し合うこともなかったが、
自分はこの業界でずっとやってきて一つ決めていることがある、
食べる場所とトイレは別ということ、そんな風にナイルは綴っている。
要するに商品には決して手を出すなということだ。

その後、話はthe Vineyard, Martha's Vineyardに移る。
プレイボーイ誌のファウンダー、ヒュー・ヘフナー、
彼の自家用機のスチュワーデスだった女性とナイルは一度デートした。
彼女から「アフリカ系のリッチな人だったら、絶対にヴィンヤードが気に入るわ。
ほんとうに居心地が良くて素敵なところなのよ。」
ナイルは84年の夏に豪華な別荘をヴィンヤードに借りた。

そこにはモハメド・アリやパム・グリア、アフリカ系の有名人達が集い、
皆でアートやファッション、スポーツや政治に至るまで会話を楽しんだ。
子供時代のような懐かしくて愛おしい時間を過ごすことができた。

ところが飛行機でこの地に降り立った時からの心地良さは、
だんだんと失われていく。
カーリー・サイモンやマドンナ、白人の人が一緒の時は違ったが、
自分一人だとここにおいてもアフリカ系の差別が存在することを感じ始める。

ナイルの義理の弟は母方の白人の祖先の血が濃く出ていてライトスキンだ。
彼は仕事もなく、ドラッグディーラーをしていたりするのに、
ダークスキンのナイルとは差別の受け方が違う。
ダークスキンの自分は夏になると光を吸収して益々色が濃くなる。
自分はリッチで地位もあるはずなのにと納得できない気持ちが書かれてる。

しかしいつもユーモアのセンスを失わないナイル。
この夏、自分のガールフレンドの連れてきた犬がスカンクの攻撃にあってしまい、
犬をまずトマトジュースで洗い、シャンプーで洗い、10枚のタオルで拭いた。
ハウスキーパーがこのタオルをナイル達の洗濯物と一緒に洗ってしまったことから、
悪臭がそこら中に付着してしまう。
最初はその臭いに鼻を曲げていたナイル達もだんだん鈍感になった。
あるパーティーで入場をセキュリティーに拒否されたのは、
人種的なものではなく、自分たちの臭いだったのかもしれないと、
ナイルは笑い話にしている。

さて、その後マドンナの"Like A Virgin"が発売され、
彼女は一気にトップへと上っていく。
ある時、ミック・ジャガーと別の友人とスタジオにいると、
その友人がナイルにこう言った。
「マドンナは見せ掛けだけで内容がない。」
ナイルは言葉を少し荒げて反論する。
「わかってないんだね。ショウビズの世界では見せ掛けが内容そのものなんだよ。」
ミック・ジャガーがそれを聞いて笑って頷いた。

マドンナは何かとナイルを頼りにしてきて、
ある時、ナイルのレコーディング中にモロッコから電話が掛かり、
マドンナからマネージャーについての愚痴を聞かされる。
レコーディングがはかどっていて、気持ちが乗っている時だったのに、
何でこんな話を聞くために中断しなければならないんだとナイルは思ったりする。

ナイルの彼女だったナンシーはマドンナと親しくなる。
上流階級の出身で高い教育を受けたナンシー。
彼女とマドンナはお互いに相手の自分にないものに惹きつけられた。

85年の結婚祝いにはマドンナのダウンタウンの友人からだけでなく、
ナンシーを通して知り合ったアップタウンの友人からの上品なプレゼントも届いた。
「何よ、これ。アンティークの苺用スプーンのペアだなんて?」
とその時に言ったマドンナ。
何年後かのスティングへのお祝いにMadonnaは同種の物を送り、
イギリス風のアクセントが会話に混ざるようにと変わっていった。

Nile Rodgers-Le Freak

2011-12-07 16:57:45 | NILE RODGERS & the CHIC organization
CHIC、ナイル・ロジャースの自伝"Le Freak"が今秋になって、
出版された。

アメリカの各地の書店で本の販売&サイン会が行なわれたようだが、
ニューヨークで並ぶファン達にサインをしていたナイル、
次の順番の女性を見て驚く。
それはエリック・べネイの身重の妻、マニュエラだった。
もちろん、ナイルはこのサプライズに大喜びで二人で記念撮影をしている。
マニュエラらしい優しい心遣いだ。
こんな素敵な女性がエリックと結婚してくれて良かったと思わずにはいられない。

さて私もこの本を読んでみたいと思い、Nile Rodgers宛てにツイートした。
「ナイル、日本からどうやって買ったらいいの?」
「アマゾンで売ってると思うよ。どうもありがとう。」と返事を貰う。

アマゾンにオーダーすると在庫がありすぐに届いた。
今まで洋書を読み始めて挫折した経験は数知れずだが、
普段、ナイルのブログを読んでいるせいか、
あるいはナイルについての予備知識があるためか、
そしてナイルのファンであるというのが一番の要因かもしれないが、
毎晩少しづつ読んでいる内に三分の二ほどを読み終わった。

『ねえ、ナイル。このままだと私達、私が死ぬまでに後何回会えるかしら?』
とナイルの母親が呟く所から始まる。
それは9/11の8日後でナイルの49歳の誕生日の日だった。
「その時期はアメリカの人々は皆、愛する人と突然の別れがいつ来るかわからない、
そんな思いに取りつかれていた頃だった。
911の後では何もかもが変わってしまった。
それから僕は自分の家族ともっと会う機会を作るようになった。
もちろん義理の父のボビーとも。
母とは既に別れていたけれど母の人生にとって欠かせない人だったから。」

毎年、感謝祭の時期にナイルの家族達は集まることになる。
その後、義理の父の死を迎え、家族全員で集まって散骨する、
そんなプロローグから物語は始まって行く。
ナイルのお母さんはとても綺麗な人で数々の恋人がいたようだが、
それでもボビーはナイルにとって特別な存在だったことがわかる。

まずナイルの家系図を遡るような説明があるが、
ナイルの母方の家系には白人の血が入っていて、それはナイルの母、
そして義理の弟などには濃く出ている、と書かれていた。
昨今ならともかく、何代も前に白人の血が入っているということは、
もちろん正式な結婚ではなく、雇い主の男性と使われたアフリカ系の女性の間の子供、
ということになる。
ナイルは自分以外の親族の家系も書いているが、やはりこのような関係についての
エピソードがあり、あらためてアメリカにおけるアフリカ系の人々の歴史について
考えさせられる。

14才の母から生まれたナイル。
養子に出されるはずだったが、母が彼を手放せずに祖母と育てることにしたこと、
母はボビーと結婚したが最初は夫の浮気、次に仕返しのように母が浮気をし、
家庭が崩壊し、一時、母のことを好きな別の男性の元に身を寄せたこと、
その後、二人は復縁したもの夫婦共にドラッグ漬けになり、
ナイルは子供時代から父方の祖母、母方の祖母、母と義理の父の家庭など、
あちこちに移り住んだ。
しかし住んだ場所がそれぞれニューヨークやLAだったことから、
アーティストとしての感性が磨かれたのかもしれない。
学校をさぼっては良く映画館に入り浸り昔の映画などを観ていた。

まだ物心もつかぬ時期に喘息患者としてリハビリ病院に入れられたこともある。
この時の経験がトラウマになって、暗闇が怖い、不眠症になったかもしれないと
ナイルは綴る。

日本で客死したパートナー、バーナードのこと、
二人でスタジオ54に入れて貰えなかったことから、怒りにまかせて作った曲から、
"Le Freak"が生まれる有名なエピソード。
その当時のスタジオ54は、セレブが集い、流行を発信する特別な場所だったこと。

デビッド・ボウイとの出会いと"Let's Dance"誕生の部分が面白い。
バーで一度偶然会って音楽談義で盛り上がる。
その後、マネージャーから「何度も自分はデビット・ボウイだというおかしなヤツから、
電話が掛かってくるんでずっと断っている。」
バーナードからも「俺のところにお前と勘違いしてデビッドから電話があったから、
お前の電話番号を教えておいたからな。」と連絡がある。
その頃は既にナイルとバーナードはパートナーとして溝が入ってしまっていたそうだ。
そしてやっとデビッドと再会する日がやってくる。

デビッドのスイスの別荘に招待され、
空港まで迎えに来てくれたデビッドボウイが高速で雪道を飛ばしながら
「実は片目が見えないんだ。」と言い、驚きながらも平然を装うナイル。
夜、ナイルの滞在するゲストルームへとギターを持ってやってきたデビッドから、
「今、思いついた曲なんだけど、どうだろう?」と聞かれ、
その場は適当に返事をしたものの、二人の共通の友人に電話して、
「デビットから曲を聴かされたんだけど、ちっとも良いと思えなかった。
これはデビットが僕を試しているのかな?」と尋ねる。
するとその友人は「デビッドはそんな廻りくどいことをする人じゃないよ。」
そして"Let's Dance"が生まれる。

face bookが流行るようになり、ナイルはスタジオ54で自分を追い出した
ドアマンから謝罪のメールを最近貰ったそうだ。

また10代後半、ガールフレンドと歩いていて、
当時は麻薬中毒だった義父の廃人同様の様子をみた。
そのことについて彼女とは話さなかったけれど、どう思ったんだろうと気になっていたら、
彼女は最近になってあの時のボーイフレンドが成長してナイルロジャースになったと知り、
やはりface bookを通して連絡してきた。
そこで父親の一件を「覚えている?」と聞いたら、
彼女の記憶には全くそんな覚えが残っていなかった。

まだいくつかチャプターが残っている。
物語はいよいよ佳境へと入って行く。
じっくりと大切に読んで次回のシックの来日では、
ナイル・ロジャースに、この本にサインをしてもらうつもりだ。
Nile Rodgersの優しさや繊細さ、
数々のヒット曲を生んだ背景が"Le Freak"には描かれている。

ナイル・ロジャースはいつも忙しい?

2011-09-10 10:12:09 | NILE RODGERS & the CHIC organization
画像はナイルの投稿したイギリスの滞在場所の風景。

ナイル・ロジャースのブログ、最近「ちょっと忙しいので後日まとめて」
ということでお休みになっていたがツイ―トだけは続いていた。

昨日、ナイルのツイートを読んで仰天した私は彼のツイートを遡って行く。

まずブログにも書かれていてファンの方々もご存じだったように、
8月初旬に癌の再手術を受けるべきだとドクターに告げられナイルは一晩悩む。
その間、家のガーデニングのことへ思いを巡らしたり、友人と話したり、
これからの仕事のことを計画したり、ナイルは前向きに自分を立て替えようとしているかに見えた。
手術を受ける決心をして、手術に臨み成功し経過は順調と聞き、
祈るような気持ちでいた私も含めファン達は胸を撫で下ろした。

ところがその後、ハリケーンアイリーンがやってきて、
ナイルの家も被害を被る。
ハリケーンが去った後、家のメインテナンスを頼んでいる業者と
どのような修理が必要かとナイルは話合う。
そしてまだ水が引かず、家が浸水した状態の近隣の友人たちの家の写真を、
ブログに載せていた。

8月の終わりにナイルとCHICのメンバーが南米のキュラソー島に向かったと
ツイ―トがある。
手術して10日も経ってなかった時期ではないだろうか。
長旅の上にライブ。
ほんとうに大丈夫なのだろうかと心配していたら、
ここは環境も観客もとても良いところだったようで、
ナイルは「住んでもいいほどだ」と書いている。

地元の薬局まで案内してくれた通りすがりの親切な女性、
彼女はナイルのことを知らなかった。
ナイルはその女性と家族を自分のライブへと招待する。
そこで彼女は自分がたいへんなスターを助けてあげたことを知り、
びっくりしたに違いない。

ここまではブログでも書かれていた。

突然、ナイルとそのクルーたちがロンドンに向かっている、
そんなツイ―トやfacebookの書き込みがある。
ナイルから「もう公式にはマスコミの発表でもあったから、
僕も書いてもいいかと思う。
体調不良のライオネル・リッチーに代わり、
ロンドンのハイドパークでのコンサートに出ることになったんだ。」

ところが、そこから先がツイ―トを読んでいて、
これは私の読み間違いか?と思うほど波乱万丈だった。
まずロンドンへ向かうための準備をするため帰宅途中で交通事故に遭う。
怪我はなかったようだが、車がダメージを受けた写真が掲載されていた。

その後、ロンドンに向かった飛行機がボストンに緊急着陸したとある。
理由は何なのかナイルも知らされてなかったらしく、
憶測のツイ―トが続いていた。
乗客の一人が化学物質を所持していたか、あるいは体内に隠していたか、
その辺は良く分からないが、セキュリティーとドクターにより、
隔離されたと書かれていた。
自爆テロの可能性があると乗員に判断されてのことだろうか。

今朝起きて、ナイルのページを見ると、
「イギリスで寛いでいるよ。これからぐっすり眠るつもり」
とゴルフコースのような緑に囲まれた場所の写真を出していた。
良かった。無事にロンドンに着き、日曜日のコンサートには間に合いそうだ。

それにしても、ナイルの人生ってとてもドラマチック、
そしてナイルロジャースって本当に強い人だなと頭が下がる思いだった。

ナイル・ロジャース&CHIC ブルーノートライブ、WOWOWにて放映

2011-07-12 18:46:37 | NILE RODGERS & the CHIC organization
昨夜、というか本日未明、1時半から3時にWOWOWで
4/18にブルーノート東京で撮影されたCHICの映像が放映された。
録画予約してあったので最初はオンタイムで観るつもりではなかった。

家に帰ってきたのは10時半頃。
テレビでWOWOWをつけていると12時からジョン・レジェンド、その後はCHIC、
とコマーシャルをやっている。

もう勢いでそのまま観ることに。
ジョン・レジェンド、通して観るのは初めて。
部分的な映像で観るのとは違い、
曲ごとに表情が変わり、ピアノも弾くのでステージにメリハリがある。
けっこうジョンの曲の中に好きな曲があったんだなと思いながら観ているが、
だんだん眠くなってきた。
後もう少しでNile Rodgers、頑張って起きてなくちゃと、夫が冷蔵庫に隠し持っていた
ハーゲンダッツの新作をみつけて食べながら待つことしばし。

Nile Rodgers and CHIC organization、4/18 1stの映像が程なく始まる。
この日はナイルのパートナー、バーナードの命日。
最前列にはお馴染みの知っているファン達が見える。
この日、私たちはセカンドを観ていた。

先ほどの眠気は吹き飛んだ。
あの日の感動が蘇る。
キンバリーの"Sukiyaki"「上を向いて歩こう」から"I Want Your Love"へと続くところ、
"Soup For One"も"Chic Chears""Thinking Of You"も何もかも懐かしい。
"Up Side Down"は恥ずかしながら夜中に一人で立ち上がって、
キンバリーとフォラミの振りに合わせて、踊ってしまった。

"Dance Dance Dance"では皆で一緒に鼻を抑えて"Yowsah, yowsah, yowsah!"
"We Are Family"や"Le Freak"、"Let's Dance"でも座っていられない。
時間が時間なのでボリュームを抑えて観ていたが、
後日改めて音量を上げて観直したい。
メンバー達、それぞれの良さが満遍なく撮れていて、編集もしっかりした
良い映像だった。

ライブを観た時と同じで興奮さめやらず終わった後もすぐには眠れない。
ナイル・ロジャースが懐かしくなり、「今、テレビの前で25:30~27:00まで歌って踊っていた。
それはあなたのせいよ!I miss you! また早く日本に戻ってきてね!」とツイートする。

一昨日も睡眠時間が少なかったのに、昨日もこんな状態で今朝はもう朦朧としていた。
「ありがとう。僕とシック、そして(亡くなった)バーナードから。」
とナイルの私宛のツイートを発見。
私だけでなく、他の起きて観ていた日本のファン達、それぞれをナイルは労ってくれていた。
ナイルってほんとうにいい人だ。
また、あの時のメンバーで来日してくれる日が待ち遠しい。
Nile Rodgers, thanks for "Good Times"!!!

CHIC and Nile Rodgers in Paris

2011-07-07 17:07:24 | NILE RODGERS & the CHIC organization
ナイル・ロジャースは自伝の出版へと向け、最後の構成に入っている。
日本でも出版されるのだろうか。
原書もぜひ入手して読んでみたい。

さて、chanparaさんから教えていただいたとっておきの爆笑映像。
フランス、パリ公演で"Le Freak"のChicのステージに白いスーツの男性が上り、
旧トラボルタ風のダンスを始める。
ナイルは面白がって見ている。
ベースのジェリーがみんなで一緒にダンスを始める時、彼の振りが違っているよと目で促す。
わかっていないその男性にボーカルのキンバリーが「あなた、こうやるのよ。」と教えている。
素直に従ったその男性、ステージでデジカメを取り出し、自分の姿を撮り始める。

気がつくと大人ばかりか子供達までステージへと上がっている。
スタンドマイクの前でバックコーラスをする二人組。
子供達も飛び跳ねている。
ナイルと一緒に歌う人もいる。
フランス人ってこんなに明るかったの?と思わず噴き出したくなる映像。
シック、パリ公演の盛り上がりが伝わってくる。

chanparaさん、教えて下さってありがとうございました!

この動画やその他、ベルギー、ブラジルなどの映像、たくさん上がってきているが、
ボーカルのキンバリーとフォラミ、毎回違う服装で、
しかも二人の着ている物がそれぞれにとっても良く似合っていて、
それでいて二人のバランスが取れている。
これは個人ではここまでできないから、きっとナイルがスタイリストをつけて、
毎回のショウの服装や髪型まで決めていることと思う。

先週のブルースアレイのフィリップ・ウ―のバースデイコンサート、
ナイル・ロジャースのライブを通して知り合った方達が何人かいらしていた。
こうやって同じ音楽が好きな人の輪ができるのはやはりナイルの人柄かな?
"We Are Family"のコンセプトがナイルの音楽を通して大きく広がっている。

CHIC & Nile Rodgers in Paris | 10 | Le Freak + signing autographs

Nile Rodgers and Chic ベルギーのギターコンテスト

2011-06-22 16:57:28 | NILE RODGERS & the CHIC organization
ナイル・ロジャース&シックのヨーロッパツアー、
どの会場でも盛況でそれぞれ違ったサプライズや感動があったらしい。
ナイルが「東京で今回のライブを終えた時、これ以上のものはもうできないと思ったが、
ヨーロッパでそれが実現した。」
またツアーが始まるまでは体調の不安などもよぎったそうだが、
今回の東京、大阪、ニュージャージー、マカオ、東京、ストックホルム、ブリュッセル、
アムステルダム、パリのツアーを終えて、
ナイルは達成感と共に充実した休日を家で過ごしているようだ。

さてベルギー、ブリュッセルにおけるギターコンテスト、
どのような様子だったのかと気になっていたところ、映像をみつけた。

「ギターコンテストは東京で始めて大好評だった。そこでブリュッセルでもやってみよう、
そう思ったんだ。」
会場はブルーノート東京よりも10倍くらい(私の主観だが)ありそうな場所。
すでにデモテープと映像のオーディションで選ばれた5人が登場する。
これだけの会場でいきなり弾くというのはそうとう緊張しそうだ。

私は東京の昨年度の予選のみで本選を観たことがない。
今年は東京もやはりデモで選ばれた人のみの決勝が1つのショウでだけ行なわれた。
映像でブリュッセルの5人を見て思ったのは、
東京の方がマニアックでギターのプロに近い人がいた。もちろん一般人の微笑ましい演奏も。
ベルギーの5人は粒が揃っているが、特徴として東京よりもみんな、表情が豊かで面白い。

ナイルは上手な人にはそのまま、演奏がちょっと弱い人には一緒に弾いたり、
ギターの状態が悪い人は調整してあげたりしている。
司会者は英語、フランス語、フラマンで喋っているが、少々段取りが悪い。
進行を把握していないらしくナイルに訂正されたりしている。

最後、5人を並べて拍手の数で決める。
東京では出てきた順にちゃんと並べたのにベルギーではごちゃ混ぜ。
これでわかっただろうか。
拍手の最も多かった二人、その二人の演奏ではなく拍手対決になる。
選ばれた二人は握手。
優勝者が決まり、ナイルのギターをプレゼントされた。

ギターコンテストの楽しさをこの映像を通して、再び思い出した。
ライブを観ているだけでなく、自分の国の人達がシックと一緒にプレイする。
それを共有することで自分達にとってライブが身近でぐっとくだけたものになっていく。
東京同様、ステージ上で演奏する候補者たちは緊張の中にも、
とっても嬉しそうな様子が伝わってくる。
これだけのバンドと一緒に大きな舞台で演奏する、
そんな最高の一時をそれぞれが楽しんでいる。

Chic "Le Freak" guitar contest final, AB, Brussels.

ナイル・ロジャース、ベルギーでもギターコンテスト

2011-06-13 13:26:46 | NILE RODGERS & the CHIC organization
現在、ヨーロッパツアー中のNile Rodgers。
今日、行なわれるベルギー、ブリュッセルでのコンサートでも、
ギターコンテストを開催するそうだ。

ギターコンテストの説明として、これはグリーンデイがコンサートで行なっていて、
そこからヒントを得たナイルが東京ブルーノートでやってみたところ、
観客からギター奏者が出てたいへん盛り上がり、恒例となったと説明している。

毎回のライブごとに最もファンキーだった勝者が最終日セカンドで対決していたが、
今回はデモ審査で合格した候補者に絞られて、4月の最終日前日のセカンドのみ行なわれた。
見逃してしまったのが、残念。
ベルギーのライブでも多くの参加者が出て、盛り上がるのでは。

4月18日のナイル・ロジャース &CHIC ブルーノート東京でのライブ、
1st、2nd共にテレビカメラが入っていたが、その放送日が決まった。
WOWOWにて7/11(月)深夜1:30より。
あの日のライブの感動が蘇る。
放映が楽しみ。

CHIC CHEERS!

2011-06-01 12:42:10 | NILE RODGERS & the CHIC organization
5/29のブルーノート、1st&2ndを通しで観たNILE RODGERS and the CHIC organization、
大勢の方が撮った写真をNile Rodgersやその他のメンバー達のページへと送っている。
他の方達の撮った写真を見るのもまた楽しや。

そしてメンバー達もこうやって送られてくる写真がとっても嬉しいようだ。
chanparaさんは素晴らしいショットをたくさん決めていて、
ボーカルのフォラミはプロフィールを彼の撮ってくれた写真に変えたほどだ。

我が家の夫は映像で撮っていた。
観客達が自然に"We are family"と歌い出してナイルが微笑んでいるところ。
We are family


ボーカルのキンバリーとラルフがお誕生日だったので、ケーキのサプライズ、
フォラミが二人にバースデイソングを歌うところ。
この映像、ほとんどフォラミは映っていなくて、キムとラルフ、ナイルが中心なのに、
キンバリーばかりかフォラミもとても喜んでいて、
キムからもお礼のコメント、フォラミは夫にお礼のメッセージとともに、
自分のオフィシャルページにも張り込んでいる。
Happy Birthday

これを観たフォラミと親しい人だろうか「こんな大物達に囲まれて、歌っているだなんて。
あなたを誇りに思う。」
海外にツアーで行くと聞いていても、どんなことをしているか身近な人にははっきりわからない。
こうやって写真や映像が出ると本人も周りの人に自分が遠い日本で頑張ってきたこと、
どれだけ歓迎されていたかを伝えられる。

ナイルもほんとうにファンに対してマメで今朝もお礼のメッセージが来ていた。
ほんの一言なんだけど、朝起きてこういうメールを見つけるとすごく嬉しい。
私だけではなく多くの方達にナイルは同じようにしていると思う。
日本のファンをとっても大切にしてくれるナイル・ロジャース。

昨日、真面目な表情で沈黙していなければいけない場で、
突然、頭の中で"Thinking Of You"が始まってしまい、
自然と口角が上がってきそうになってしまい、慌ててつくろった。

今回のシック・オーガニゼーションのメンバー達は素晴らしい。
やはりたいへんな時の日本にナイルと共にやってきたからこそ、
独特の連帯が生まれたのだろうか。
またこのメンバーでぜひ日本に来て欲しい。

NILE RODGERS and CHIC @Blue Note Tokyo 5/29 1st and 2nd

2011-05-30 17:25:24 | NILE RODGERS & the CHIC organization
4月の来日の時にブルーノートのステージで「来月もまた来るよ。」とナイルが話し、
最初は「これたらいいね。」位の気持ちを示してくれたのかと思ったら、
最終日に「決定した」と宣言した。

マカオでショウをやるのでその帰りに寄って一日だけのライブを行うと言う。
その後、ブルーノートのスケジュールにも発表になり、
ファンの間では、例え会員であっても予約が殺到して取れないのではないか、
と話題になっていた。
一日だけのライブならと迷いもなく通しで2ショウを予約。

ナイル・ロジャースのライブで何回か顔を合わせ、
またZAPPでもお会いしたYさんから「ナイルのTシャツを作ることにした。」
と仲間に入れていただき、当日はみんなでこのTシャツを着ることに。

昨日は私が習い事が夕方まであり、ブルーノート着予定は5時半頃になるので、
夫に4時半までにはブルーノートに行き整理券を確保して貰うように頼む。
通しで予約している人がかなりいるはずなので、
ゆっくり行くと1stはおろか2ndも前方に座れないかと思ったのだ。

朝から大雨。
出先が駅から遠いのだが帰りには更に雨足が強くなり、傘をさしていても雨に打たれる。
表参道に着く頃には台風のようになり、徒歩は諦めタクシーに乗る。
着いたのは5時半頃。
ロビーには人が溢れている。熱気が凄い。
入り口で煙草を吸っていた夫とは会えたが、
その他の待ち合わせをした方、初対面の方達と会えるかと心配になる。

facebookで知り合ったフランス人の女性Nさんは、
お嬢さん二人も連れてご主人やお友達とみえていて、
家族の写真も見ていたのですぐわかった。
ナイルのライブは毎回、全員で来るという素敵なご一家。
ライブ中も家族揃って楽しく踊っている様子が見えた。

Eさんもお友達といらしていて、夫が既に見つけてお話していた。
Tシャツを作ったYさん、その奥様やナイルのファンで同じTシャツを着た人達が何人もいる。
TH(chanpara)さんも私達をみつけて声を掛けに来て下さった。
整理番号の順番が20番代後半で、THさん、私達、Eさんたち、と連なっていて笑える。

そして3番を取ったYさん、朝8時に来たと聞いてびっくり。
1番はなんと5時、2番は6時だったそうだ。
うーん、エリックのファンの人にここまでする人達はいない。
やはりナイルはほんとうに日本で良いファン達に愛されている。
そして本人もそのことを良く知っている。

夫が仲良く話している人がいるので「知り合いなの?」と聞いたら、
「そのTシャツ買いたいんですけど、フロントで売っているんですか?」
と話しかけてきて待ち時間を一緒に過ごす内に親しくなったそうだ。
ナイルのショウにはブルーノートの初回から来ているそうだが、
だんだんと人が増えていると言っていた。
やはり一度観た人はもう一度観たい、また自信を持って人を誘える、
それだけの素晴らしいショウを毎回やってくれるからに違いない。

開場も30分遅れショウ開始は10分遅れだろうか。

Hanging
Everboday Dance
Dance Dance Dance
Sukiyaki(上を向いて歩こう)→I Want Your Love
I'm Coming Out
Upside Down
Greatest Dancer
We Are Family
Soup For One
Like A Virgin
Chic Cheer
Forbidden Lover
Thinking Of You
Let's Dance
Le Freak
Good Times

こんなたくさんの曲のセットリスト、とても覚えられません。
ステージ上にあったセトリを写メールしました。

前回の時と同様に"Hanging"で入場が始まり、"Hanging"で退場していく。
この中で新曲の"I Wanna Dance"の披露と写真撮影タイムがあったが、
それがどこで入ったか思い出さない。

みんな、マカオからその日に着いてほとんど寝てない状態で、
ライブをしているらしい。
それなのに少しも疲れを感じさせない。
バンドがずっと組んで周っているせいか、以前よりも更にタイトになり、
クルーたちの信頼関係も深まって、それぞれが伸び伸びとパーフォームしているように見えた。
キンバリーの歌が輝きを増している。
フォラミもパーフォーマンスが自信に満ちている。
ベースのジェリーも特にセカンドでフリープレイが炸裂した。
観客も1日だけのショウ、ほんとうのファン達が集結した。
すべての曲にお約束の正しい反応を返す。

ただブルーノートでの機材のミキシング、1stでは音合わせが間に合わなかったのか、
セランやジェリーがステージ周りのクルーに指示を出している様子がみられた。
同じメンバーでも会場が変わると調整が必要になってくるのだろう。

1stの方がナイルは饒舌だったかもしれない。
ダイアナ・ロスとの"I'm Cominig"誕生のエピソードなどをダイアナの物真似を入れて、
たっぷり聞かせてくれた。
最初はこの曲は自分らしくなくて歌いたくないと言っていたのに、
今では自分のコンサートの最初に、この曲で登場していると。
ダイアナに後になってからそれを言うと「あら~、私そんなこと言った?」
ダイアナの曲を書く頃にはナイルも経験を積んでいたから、
「契約書に歌うという事項が定まっている。」と強気に出たことなど。

ライブ中に腕時計をふと見たナイル「香港タイムからまだ日本時間に合わせてないな。」
前日と言うかマカオのショウは夜中まであるので、ナイルの話からすると、
同じ日にマカオと日本でライブをしたことになる。
ショウが終わって3時過ぎにはホテルからマカオのジェットフェリー乗り場へ。
マカオから香港へと船、そこから香港の空港へ行き、搭乗を待ちながら、
「今日、東京でライブやるなんて信じられないね。」なんてクルーたちと、
話していて、そして東京へ。
気がつくと成田空港内を歩いていた(ナイルは成田と言ったが、
羽田に着いたのではと言う説もあり)
外に出ると大雨が降っていてやれやれ。
ホテルに着いたナイルは部屋で一瞬寝てしまい、電話で起こされたと話していた。
「でも僕たちは元気いっぱいだし、ここは僕のホームタウン、we are familyだからね。
皆とまた今月も会えて嬉しいよ、来月もまた来ちゃおうかな。
いや東京に住んで毎週、毎日だってやってもいい。」
「体の半分はニューヨーク、マカオにも残っていてそして今は東京、
渾然としている状態だけど、心は東京だよ。」

2ndでは"I Want Your Love"が1st通りに終わった後に
ナイルのギターのソロが中心の演奏で、反復された。
これが予定外だったのかクルーたちが微笑みながら聴き入っている。
この哀愁を帯びたギターの調べがとても美しかった。
"Sukiyaki"、ナイルは「全米トップ1を取るってたいへんなことなんだ。
それを成し遂げた日本の歌があるなんて誇りに思って欲しい。」と紹介。
前半も素晴らしかったが、後半ではキンバリーも大泣き、ナイルも貰い泣き、
観客も直立不動で聴き入る。

キンバリー、いろいろな不安のある中、4月にナイルと一緒に東京にやってきた。
facebookには家族や友達の彼女を心配するコメントが載っていた。
それでもそんな中で日本で歌い通したことで彼女の歌に凄みが加わった。
歌詞にアドリブが入る。
雨が降っても辛い時でも上を向いて歩こう、たいへんな時の日本に来てくれた彼女だからこそ、
この曲に特別な意味を添えられる。
「歌で人々に喜びを与えられる。こんな幸せなことはない。」と4月の来日中にコメントしていた。

1stで一瞬、停電かと思える瞬間があり、ナイルのギターの音が出なくなってしまう。
そこを鼻歌から歌に、それに音が付き、ナイルがニコニコと笑顔を絶やさずに、
楽しんでいるようにさえ見えたので、誰も不安に思わなかった。
そしてギターの電源は回復。

"Like A Virgin"の前にナイルはフォラミを「彼女はこの曲にぴったりなんだ。
そしてこの曲を歌うためにヴァージンカラー、白を着ている。」と紹介。
フォラミ、チューブトップの白のドレスに翡翠色にも水色にも見えるネックレスが映える。
水色のアイシャドーも良く似合っている。
「フォラミは前に誘った時は断られたけど、今回のツアーでは参加してくれた。」
ナイルの言葉に控えめに微笑むフォラミ。
シンガー、アクトレス、モデル、そしてヘアスタイリストの肩書もあり。
表情豊かでチャーミング、ガンガン歌うキンバリーとスタイリッシュで所作が決まるフォラミ。
二人のコンビネーション、歌の役割分担がショウに彩りを添えている。

ドラムスのラルフは1stでも「最近、デビッド・ボウイと良く間違えられるんだ。
携帯の着信メロディーもこの曲にしている。」
などと言いながら"Let's Dance"を歌いだしたが、
2ndでは、更に悪ノリして別の曲も。
そしてキング牧師の演説、アーノルド・シュワルツネガ―の真似まで始めた。
ナイルも笑っている。

セカンド、"I Wanna Dance"の最初の掛け声、ラルフが始めるはずなのに黙っている。
振り返って見るナイルに「何かナイルがサインを出してくれてから始めるかと思ったんだ(笑)」
仕切り直しだが、ラルフはまた吹いてしまい、もう一度やり直しになる。
この辺りがとても和やかな雰囲気だ。

"I Wanna Dance"前回の来日では一日だけ演奏されたようだ。
今回の来日でみんなが楽しみにしていた曲。
ナイル曰く、クール&ギャングのメンバーとは従兄で子供の頃からカッコイイと思って、
真似したりしていた。
一度、一緒に組んでみたいと思っていたが、自分が癌になったりしたために、
実現が遅れた。

ナイルがセカンドでは"Everybody Dance"のアルバムを女性にプレゼントして、
彼女に向かって"Bonita・・・"と名前をもじるとキーボードのセランがその言葉に反応して、
チラッと関連曲のリフを弾く。
このCD、大勢の大物アーティストがシックのCDにナイルの書いた自分名義の曲を提供している、
そんなこともナイルは紹介。

セラン、facebookのステータスを読むとクラシックピアノからスタートしたようだ。
母の日に「お母さんは僕が三歳の時、手で目隠しをして譜面を見ないで弾けるように
ピアノを教えてくれた。」とか「ラフマニノフが自分の原点。」と書いてあった。
今回のツアーはベースのジェリーの誘いで応じた。
参加してみてとても勉強になりいろいろな体験ができたと綴っていた。

1stはキチッとセカンドはくだけてリラックスした雰囲気だった。
ラルフとキンバリーがお誕生日、ケーキのサプライズがあったが、
これはやはり1stの時にはキンバリーもラルフもほんとうに予想外だったようで、
びっくり、うるうるの表情でキャンドルを吹き消していた。
2ndには花束を用意して来ている人達もいて今回の4月に続く5月、
一連の来日の最終回でもあり盛り上がる。
ナイルもクルーも感慨深げだ。
客席から"We are family, I got all my sisters with me~"の合唱が始まる。
声が小さめになってくるとナイル「それいいね。やめないで続けて。」
とすごく喜んでいる。

1stの終了が30分伸びたので、セカンドは30分遅れて始まる。
ロビーの熱気は1stの前とは較べものにならない。
その中でYuriさんやお友達とも会えた。
Kaoruさんとこの中で会えるかなぁと思っていたら彼女もナイルTシャツを着ていて発見。
nkmrakikoさんも仕事場から駆け付けてきたが、ショウが遅れたお陰で充分間に合った。

2ndの終わったのは12時10分前位。
1ショウに1時間45分位掛けてくれている。
しかしさすがに2ショウとも、しょっぱなからオールスタンディングゆえにけっこう体力は消耗した。
また頭の中も混乱していて、それぞれのショウの様子の区別がつかなくなっている。
観ているだけでもこうなんだから、ショウをやっているシックのメンバー達はほんとうに凄い。

夫の仕事も朝早いので残念ながらサイン会はパスして帰宅することに。
出口付近にいたベースのジェリーと話すと「二日間寝ていない。へとへとだ。」
と言いながらも観客が集まるロビーにいて皆と写真撮影や歓談を楽しんでいる。

家に帰ってからパソコンを開くともう帰宅した方が写真をアップしていたり、
メールや書き込みがあるので、レスを付けたりしていると既に午前2時を廻る。
そこでナイル・ロジャースのツイッタ―を見るとナイルも部屋に戻ってツイートしているようで、
ナイル宛てに感謝と感激を書き込むと早速DMでお返事を頂く。

他の方達もみんな、どんどんツイートしているようで、
ナイルから「みんな、午前3時だよ。今日はこれくらいにして寝よう。」とツイートあり。
ナイルさまのお達しに従い「はい、お休みなさい」(笑)
ライブで感動したりすると興奮さめやらず体は疲れていても眠れない。
その上、観に行ったアーティストがツイートしていたら、ナイルが起きている間は、
一緒に起きていたいとファンなら思うはずだ。

通しで観る、ニューオリンズのエッセンスのエリックべネイ以来、日本では初めての経験だった。
今は疲れたとか言っていてもまた懲りずにやってしまいそうだ。
いろいろな違い、メンバー達の様子や観客の反応を含めて、すべて興味深かった。
そしてネットを通して知り合った同じ趣味を持つ方達とお会いできたことも嬉しかった。

ナイル・ロジャースのギターの行方は・・・

2011-04-30 21:29:47 | NILE RODGERS & the CHIC organization
ナイル ロジャース / Nile Rodgers


ナイル・ロジャースが東日本大震災への寄付として
自分のフェンダーギターをヤフーのオークションへと
出展した。

これを買ったのは、なんと夫の仕事の取引先の人物だった。
入札価格は20万円とか。
ナイルのファンで5/29のライブにもやってくるそうだ。
ギターを見せて欲しい、触らせて欲しいという夫の申し出は却下されたようだが、
まだ現物は届いていないようだ。

話によるとナイルのサインがなくてもその値段で買えるようなギターではないとか。
29日に会った時に詳しく話を聞きたいと思っている。

しかし世間は狭い。
まさか知り合いに落札者が出るとは思わなかった。
今回、ナイルのライブに行ったことで何人かの方達とその後連絡を取ったり、
facebookで繋がったりしている。
また私のブログを読んでナイル・ロジャースのライブにいらして下さった方々もある。
やはりナイルの唱える"We are family"のスピリットが多くの人を引き寄せているに違いない。


Nile Rodgersが再び東京へやって来る!

2011-04-26 16:19:19 | NILE RODGERS & the CHIC organization
4月12日のコットンクラブに始まり、4月18日のブルーノート、そして二日後の大阪と、
無事に来日を終え帰国したナイル・ロジャース。
6月にはブルーノート最終日の映像もWOWOWで放映されるとのこと。
そのヴィデオを観て、ナイル自身も今回のCHIC、自分のバンドのタイトさに、
素晴らしいメンバーに恵まれたと感慨深かったそうだ。
大阪は数年振りだったこともあり、大阪の観客の熱さもナイルを喜ばせた。
"I Wanna Dance"も演奏したとかで羨ましい限り。

来日中にブルーノートの公演後半になった頃、ナイル・ロジャースから、
「5/29にまた戻ってくるよ。」と話が出たが半心半疑だった。
BNのスタッフも「まだ決まりではない。」と言っていたからだ。
それが最終日には確かになり、その後BNのスケジュールにも発表された。

会員予約は本日、26日から。
会員でない方から一緒に予約して欲しいと頼まれ安請け合いしてしまった。
ところが先日、ZAPPでお会いしたナイルのコアなファンの方から、
「取れるかどうか心配。」と言われた。
前回行った人、ナイルのファンの人達がたった一日のライブに殺到する可能性大と。
自由席が取れなかった場合のBプランとしてアリーナソファー指定席も視野に入れた。

さて11時ジャストから電話を始めるがやはりしばらくはお話中。
しかし10分ほどだろうか。
電話は程なく通じ1st、2ndを通しで予約することができた。

Nile Rodgers & Chicはこの前日、マカオでショウをやっている。
その帰りに来日アーティストのキャンセルが続く東京で、
通り道だしライブをやってあげよう、という話が来日中にまとまった。
この日はドラムスのラルフの誕生日、その前後の日はボーカルのキンバリーの誕生日も重なる。
日本でお祝いをしてあげたいとナイルは言ってくれている。

画像はアメリカに帰り、日本でプレゼントされた手ぬぐいを鉢巻きに日課のウォーキングをするナイル。
帰って早々はさすがに疲れたようだったが、今はもう次のプロジェクトへと様々な構想を練り始めている。

ナイル・ロジャース@ブルーノート東京 4/18 2nd

2011-04-19 14:09:54 | NILE RODGERS & the CHIC organization
一昨日の晩にブルーノートに予約の電話を入れると、
休日の電話受付時間は既に終了していた。
予約画面を見ると自由席はまだ△。

翌日の朝、受け付け時間から電話を始めるが全然通じない。
そして自由席は×マークが。
×でも電話すれば対応してくれてOKの時もある。
しかし依然として電話は通じない。
予約画面ではアリーナソファーシートのステージに向かって左、L席は×。
右、R席は△。アーティストの通るL席の方が当然人気がある。
迷っている内にどの席も取れなくなってはと指定席Rをネット購入した。
すると画面上でR席も×になる。

コットンやビルボードに較べると、ブルーノートの指定席の位置は分が悪い。
しかしこの日に指定席を取ったのは正解だった。
休み明けでもあり、かなり疲れていたこともあり、
開演前までに行けば良い指定席なら気持ちに余裕が持てる。
そこまでしてなぜナイルのライブに行こうとしているのか。
それはこの日がナイルのパートナー、バーナードの命日、15周年忌にあたり、
また土曜日のライブでナイルがとても疲れているように見えたので、
最終日のセカンドでリラックスして弾ける姿をどうしても目に焼き付けたかった。

1stが終わるのを待っていたら、このブログを読んで下さっているお二人の方と、
お会いすることができた。
お二人からいろいろと励ましや労いの言葉を頂き、お会いできたことも感檄。
そのことはまた後日のブログで。

指定席は自由席よりも早く入場できる。
ソファー席からは意外に会場全体を見回すこともできる。
運ばれていく深紅、朱赤、涼しげなエメラルドグリーン、色鮮やかなカクテル達。
メニューにないものもリクエストしている人がいる。
ライブの始まる前の観客達の様子を眺めるのもまた楽し。

コットン、ブルーノート土曜日と連続でお会いしている方達がある。
お一人は今日は1stから通し。
バーナードの写真を用意してテーブルに置いたらナイルが感激してくれたそうだ。
この日はWOWOWの撮影も入り、カメラが4ヶ所ほどだろうか、設置されている。

ショウは20分ほど定刻を遅れて始まった。
Hanging
Everybody Dance
Dance Dance Dance
Sukiyaki
I Want Your Love
I'm Coming Out
Up Side Down
We Are Family
Soup For One
He Is The Greatest Dancer
Like A Virgin
Thinking Of You
Chic Cheer
My Forbidden Lover
Let's Dance
Le Freak
Good Times

セットリスト、真ん中辺りの記憶が飛んでいます。
何しろほとんどノンストップでスタンディングが続きますので。

土曜のセカンドとは多少、途中の順番が変わった。
東京の最終日、最終回でもあり、ナイルもクルーたちも最後の力を出し切る。
「東京に行くことに反対した人もいたけど、東京の人はみんな、頑張っているんだよね。
だから僕が来るのは危ないわけじゃないんだ。
こういう時にアーティストは何をするべきか。
音楽活動をすることで経済を支える手伝いをする、音楽を演奏することでみんなを元気づける、
そういうことだと自分は思っている。」

コットンクラブは中央、前回のブルーノートは左寄りから観たので、
今回の右寄り、また違った角度で観て聴くことが新鮮だ。
ナイルもクルーたちも寛いで演奏し、途中仲間内のギャグなども入り、
ナイルの笑顔もたくさん観ることができた。

三回ライブに行って家でもCDを聴いていると好みの曲が少しづつ変わる。
ずっと好きな曲もあるけど生で聴いて新たに好きになった曲もある。
"Thinking Of You""Hanging Out""Chic Chears""My Forbiden Lover""Soup For One"等々。
ちょっと苦手な曲だった"Like A Virgin"さえ、生で聴くと刻まれるリズムと
客席のノリのユーモラスな様子が楽しい。

5月29日にドラムスのラルフの誕生日、中国ツアーのついでに日本に寄って、
ブルーノートでライブしようという話もまとまったようだ。
その分、予想はしていたがその時期に来日するはずのLedisiのライブはキャンセルになった。

終了後、ボーカルのFolamiとKim、ベースのJerryが思った通りロビーに出ている。
そしてまさかのサイン会、ナイルも中央で行なっている。
感謝の言葉はたくさんあるけど、列は長いし慌てていつも要件だけになる。
サインをバッグにして貰う。
4/12のコットンに始まり、昨日のブルーノートまで
一週間の内に三回のナイル・ロジャース&Chicのライブを観ることができた。
この一週間でナイルからほんとうに元気を貰った。
このまま、しばらく会えないと思うと本来なら寂しい気持ちになる。
でもまた来月に会えると思うとそれを楽しみに頑張れる。

ショウの最後、ステージから離れて行くナイルの後ろ姿を見ながら思った。
ナイルはChicそのもの、ほんとうに粋で素敵な人だ。