フィンランドが中立政策を止めてNATOに加盟申請、そしてスエーデンも追随する歴史が大転換する事態になった。プーチンのロシアはウクライナ侵攻が驚愕の結果になり、どう対処すべきかうろたえている。
この数年、ヘルシンキ空港は欧州へ最短で到達する玄関口としてデビュー、10時間弱での飛行で、確かに楽だ。私もこの欧州行き直行便はよく利用するが人気が出ているようで、いつも満席の状態だった。ロシアの上空を飛ぶので現在は運行はされてないようだ。
2019年6月、バルト3国をめぐるツアーに参加した時、最初についたフィンランドを観光した。ヘルシンキから50分、ポルボーという小さな港町を訪問した。1809年、フィンランドが長いスエーデンの支配下からロシア帝国支配下に引き継ぐ調印式がこの田舎風大屋根の大聖堂で行われた。それから100年間ロシアの支配が続き、フィンランド苦難の歴史の象徴がこのポルボー大聖堂だ。
その後、ロシア革命でソ連になってから独立するが、侵攻・屈服の歴史を繰り返し、ようやく第2次大戦後、反ソ・反露政策はとらないという条件とソ連の監視を許容するという条件付き中立政策をとることによって民主主義国家フィンランドは独立を保ってきた。1996年EUに加盟することにより、ロシア離れが鮮明になったが、ロシアとの長い国境の存在が中立政策をとることによる安全保障と考えていた。ところが今回の思いも寄らないウクライナ侵攻により、中立政策をかなぐり捨てて、NATOへの加盟による安全保障を選択し歴史的大転換となった。
5月11日、マリン首相がこの大変な時期に来日したことは対ロシアへの協調を確認したかったのだろう。
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