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~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

私の中のウクライナ戦争

2023年04月01日 | エッセー
 みんな、ロシアって、プーチンって、ありえないって思っていないだろうか。
 坂本龍太郎さんは、現地で休む暇なく支援し続けている。
 自分は、この戦争を遠くから第三者という他人事でみている。明日は我が身かもしれないとうすうす感じつつも。
 プーチンは、味方だ、あるいは兄弟だと思っていたウクライナが反旗を翻し西欧諸国に鞍替えしそうなのを、どうにか食い止めるために言いがかりをつけて、力づくで奪い返そうとしている。
 くそー。裏切りやがって・・と暴力をふるって、相手を屈服させて従わせようとしている。
 実は、ウクライナから遥か遠くに住む私の心の中も、親・兄弟・友人・職場の同僚や上司、結婚・子どもなどなどとの人間関係で、戦争やら協定やら無意識の勝手に和平条約やら結び、どうにかこうにか生きているんじゃないだろうか。
 さしずめ、プーチンはDV夫か。そして、ウクライナは離婚したくても立地上、どうしても離婚できない、別居もできないから、DV夫と暮らすしか道はない。我慢も限界にきていた。だから、限界突破だ。従順に我慢する道を選ばず、柔道を習うために強く志のある師を国際社会に求め、自分のパワーをつけて闘う道を選んだ。ウクライナの中では、クリミアを奪われた後、西側のドンバス地方はずっと戦争をしていたそう。
  実は、ドンバス地方の人たちの過半数は、ロシアに併合したいと思っているらしい。元々、ロシア語圏でロシアとの往来も多かった。そこに、ロシアから猛攻撃された。大混乱のなか、逃げ遅れた弱者たちに、ウクライナの年金などが届かくなって、食べるものの苦労をするようになって・・・。そこへ、ロシアが月4~5万円くらいの年金を助成してくれるようになった。
 人間、まず、生きることが最優先だ。
 そして、いつのまにか、ロシアが戦争を仕掛けてきたのに、ロシアが町をずたずたにしたのに、ロシアのおかげで、今、食べていけている。ありがたい・・・というような方程式になりつつあるという。
 これも、ロシアの作戦か。

 戦争というものは、腕力だけでなく、頭よくないといけないんだなぁ。
 
 で、DV夫。
 プーチンは、世界のロシアの復活をかけて戦うというロシア帝国のプライドの塊に翻弄されている。
 上げたこぶしは死んでも下げないぞ。
 明石家さんまじゃないけれど、『生きてるだけで丸儲け』なんていう心境には、逆立ちしてもなれないような空虚を抱えていると思う。
 その空虚を埋めるために、ロシア復活劇を心の支えにしているのだろう。
 溺れかけた人の浮き輪が、ロシア復活のようなものなのかもしれない。

 DV夫も、実は、プライドという浮き輪にしがみついて、どうにか生きている。プライドを保つために、妻を虐げる。そして、時々、優しくして、妻は離婚に踏み切れない。でもね。優しいところもあるのよって言って・・・。
 共依存という関係性が築かれていく。
 ロシアのドネツク州で逃げ遅れたウクライナ人への年金施策のように。ロシアから支払われる年金額は月4~5万円だそう。
 
 私の心の中も、なかなかたどり着けない迷路だ。
 打算の塊だ。
 息子たちは、見抜いている。しっかり。

 ロシアを目の敵にする前に、自分の心の中の戦争を整理する必要がありそうだとしみじみする今日という日だ。

 ウクライナだって、賄賂汚職だらけの国だったという。

 ロシアが悪でウクライナが善だなんて言えない。
 
 みな、自分のことは棚に上げて、誰かを批判するもん。

 神さま仏さまぐらいしか批判する権利はないと思うけど、神さま仏さまは批判なんてしない。すべてを受け入れる・・・はず。

 人を批判する心や誰かを恨む気持ちや怠け心や賄賂に弱い心、強いものに抗えない心、忖度する心、保身(自分が傷つかない)のために嘘をついたり、言い訳したりする・・・などなど。私の心の中は、実はとても邪悪である。

 しかし、それでも、私の中の今にも消えそうな良心という灯が、いつも、私の邪悪な心と孤軍奮闘してくれている。

 一人ひとりが、この自分の戦争と闘い、良心を育てていくことこそ、非戦なのではないかと、人生の後半を非戦を唱えた坂本龍一さんの報道を見ていてそう思った。

 坂本龍一さんは、子どもを持つまで、『今』の自分のことだけを考えていたそう。でも、子どもが生まれて、未来を案じるようになれたという。この子達の未来のために自分ができることな何だろうと真剣に考えるようになれた・・・と。

 今、いろんな理由で結婚や子どもに対する価値観が大きく変わりつつある。

 子どもを育てることがマイナスなイメージを抱かれやすい。
 それを払拭するために、異次元の少子化対策という言葉が登場した。

 自分のことだけを考えていた人が、子どもを持つことで地球の未来を真剣に考えるようになるということは、意識が、個人から非個人に変換したというダイナミックなエネルギー変換を果たしたということになる。

 自分のためにの人生から、誰かのためにという人生になってこそ、『生きる』ということのような気がする今日この頃。

 自分のためにから、自分の子のためにを経て、誰かのためにという非個人レベルまで成長できたときに、人生は好転するらしい。

 私は、まだまだ、自分の子のためにすら、ちゃんとできていなさそう。3番目と4番目がそう言ったから、そうなんだろう。一生懸命だったつもりだけれど、彼らには、届いていなかったということを最近、彼らの口から聞いた。
 ショックだった。
 
 彼らは見抜いていた。私の保身から出た上っ面の愛情を。

 身代金を1,000万円用意しろと言われて、邪心なく、即、なけなしの貯金を下ろせるか。足りなかったら、借金をできるか。

 彼らは即決できないと見抜いていた。しないことはないけれど、損得勘定の嵐を経ての結果だと。

 不登校の菜花先生は、子どもを守るためなら、1,000万円も離婚も即決できるのが『愛』だとおっしゃった。

 私は、子どもに試されている。

 子育ては大変だという。
 それは、お金がかかって大変だとか共働きなのに家に帰ったら家事育児で大変だとか反抗期が大変だとか夫が非協力的だから大変だとか、そういう『大変』が世に出回りすぎて危険だなと感じている。
 
 チガウノダ。

 自分が、人間として、本当に愛情ある心の持ち主であるかどうかを子どもから突きつけられるから大変なのだ。
 
 でも、子どもがいないと、なかなか、本物の愛情を突きつけられるチャンスに出逢えない。

 そんなバージョンはそうないと思うけれど、素敵で稼ぎのいいイクメンな夫と優秀で素直な子どもだと、本物の愛情を突きつけられるというチャンスに恵まれない。元々、本物の愛情豊かな女性だったから、突きつけられる必要もなかったのかもしれないけれど。

 わが子への本物の愛情は自分の保身と反比例関係。
 どうやら、わが子により、自分の保身が減って行って、その先に、非個人のために何ができるかという人がこの世に生まれた意味を問う世界が待っているようだ。
 もちろん、最初から、非個人レベルの意識高い人もいらっしゃる。頭が下がる。
 ボランティアなどしつつ子育てをしている方とか、自分の子どもを育てながら里親をされている方とか坂本龍太郎さんとか。

 私は凡人なので、ぼちぼち、この『生きる』という人生の坂を登っていきたい。死ぬときに、7合目くらいまで登れたら嬉しいな。
 
 
 
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