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~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

動的平衡  時差ウインウイン 

2020年05月05日 | エッセー
 コロナウイルス時差ウインウインという言葉が、福岡伸一さんの『動的平衡 ウイルスという存在 』という朝日新聞の記事から閃いた。

 時差ウインウイン。

 おそらく、この世は、時差ウインウイン。

 最近読んだ銀色夏生さんの、エッセーに、ぶれない銀色さんの根底に流れる銀色さんの人生観の軸となったある言葉との出会いが語られていた。

 人は、ある出来事が起こった時、反応する。
 酸性アルカリ性のように。
 あるいは、ブランコが前に揺れたら、後ろに揺れるように。
 あるいは、ジャンプする時、かがんで溜めて飛ぶ  ように。

 銀色さんは、反応するときに、中性となる、ブランコが前でも後でもないある地点、ジャンプする直前のある1点を常にみるというように、というか、1点だけがすべてであるというような意識で、この世を見て感じて、そして、存在するようにされてきたという。ある1点だけしか見ないようにするクセが板についてきたため、ぶれなくなったというようなことが、書かれてあった。それは、若い頃に出逢ったある一文によると。銀色さんがずっともあもあして、言語化できなかった思考を、その一文が時空を超えて一気にくっきりと描き出してくれたという。ずっとずっと出逢いたかった言葉。まるで、10年以上もピントが合わなかったカメラが、突然、ピントが合ったような、そんな感じだったのだろうか。
 銀色さんは、なんと、20代の頃から、世の中の出来事、自分にかかわる出来事をすべて、そのカメラで観察してこられた。

 ある1点はどこだ?

 ある1点だけが、すべて。

 ある1点しか興味ない。

 ある1点探しの40年。

 ふと、銀色さんのある1点思考と福岡伸一さんの動的平衡という論は、おそらく同じことを意味するのではないだろうかと繋がった。

 なんだか、とってもすっきりしてきた。
 

 ところで、銀色さんは私より二つ先輩という。夫と高校時代同級生だったというから、今年還暦?

なんということだろう。
私の40年とは大違いだ。
なにもかも反応づくめの40年だった…ような気がする。く~~~~~~~。



 何か出来事があると、反応してしまう。
 悪いことだと、反応してしまい、私の場合、眠れなくなる。頭では、しょうがないじゃない。起こってしまったことはしかたない。別に、死ぬほどのことではないのだから・・と言い聞かせても、気持ちがそれについてイケてないから、眠れない。感情が、酸性とかアルカリ性に染まってしまう。

 ただ、出来事は起こっているだけなのに・・・。

 人間は、生活習慣で作られるという。
 心もカラダも。
 ひとっとびになんて、そんな美味しい話はない。
 日々、一日一日の積み重ね、集大成が、今の私なんだから。

 仕方ない。
 出逢ったときが吉日だ。
 
問題が起こった時、ある1点を探すという生活習慣をゲットするぞ!

おそらく、ある1点は時空を超えて存在すると思う。
その時は最悪だと思われていたことが、時を経て、あの事があったから今の私がある・・・みたいな。

なんだか、気持ちが楽になってきた。

そう。最悪なことが起こっている時も、ある1点はどこだ思考という心のクセ(生活習慣病)をゲットできたら、希望しかないじゃない。

 ある1点一眼レフカメラを片手に、私の周りで起こるひきこもごもを観ている・・・・というイメージが湧いてきた。
 イメージは大切だからね。


ネットニュースに、コロナの現場で孤軍奮闘している医療従事者の英雄化とのその医療従事者が家庭に帰ったら感染源呼ばわりして排除せんとする風潮への警鐘記事が掲載されていた。

ある1点がここにもあった。

英雄化するのでもなく、排除するのでもなく。
英雄化しないでただただ感謝することはできそうだ。
しかし、実際、隣にいたら、どうだろう?頭では排除しないと思うようにしても、感情は?少し、怖いってやっぱり思うんじゃないだろうか。

プラスマイナスで、マイナス的な気持ちは厄介だ。
ということが、判明した。

感謝はできても、うつったらどうしようという一抹の不安はぬぐえない。

きっと、そこが福島伸一さん的進化論を受け入れて、なるようになるさって人生で起こる全てを受け入れて対処することに専念するだけという境地に至ることなしに、不安を払拭することなんて高尚なことはできないだろうなぁ。
マザーテレサくらいの人間力?神様力?じゃないと不安を吹き飛ばすことなんてできやしない。きっと。
マザーテレサは、インドでらい病の患者さんに素手でケアしていらしたけれど、感染されなかったっていう。

もしくは、感謝の気持ちが不安を凌駕するほどに溢れていたら、一抹の不安がスーッと消えて、ある1点に到達するのかなぁ?

ふと、子育てで、褒めて育てましょうというフレーズが浮かんできた。

 あれって、褒めることを自分の思い通りにする手段として利用しているとしたら、英雄化っぽい。
 逆に、我が子・・・が自分の思い通りにならないと、自分の思い通りにしようとして叱る、下手をすると感情が抑えきれずに怒鳴る、手を出すっていうのは、排除っぽい。

 いずれにせよ、自分の支配下に置こうとしていることに変わりない。
 ひょっとして、ひょっとして、ぶれないってことは、人を支配しようと思わないことが大前提?
 意外と支配しちゃっているんじゃないかなって、まじ。一瞬、銀色さんからビームされたような気がした。

 子育ての、ある1点とはどこだろう?
 感情的にならずに、子どもを英雄化せず、かといって排除しない・・・ある1点。

 それこそ、子どもはただ生きていてくれさえすればいいというほどに、感謝の気持ちで溢れていたら、一見、大人から見たらわがままという風にしか見えない自己主張に腹が立たないのかなぁ?

 昨日も、四男に器が小さいと言われてしまった。「てめぇは50年も生きているのに、俺と同じレベルじゃんか・・・。」と。

く~~~~~~。

ほんと、そうだよなぁ。
60を前にして、15歳の息子と同じ怒りの温度で自己主張しちゃっているんだから。我ながら、残念。

結局、私の想い通りになんか、桁外れレベルでなっていないガキな我が子に、もっと、人のせいにしないで自分という人間に責任をもって生きてほしいという支配意識がどこかにあるんだろうなぁ。もう、目の前のことしか考えていないようにしか見えないから。

 我が子とのある1点はどこだ?

四男は、私とは話ができないと絶望していると思う。
四男は、「今の問いに答えよ。」と、ただただ、それだけを切に願っている。
一方、私はと言うと、その問いに至った経緯が芋づる式に記憶によみがえってきて、「はぁ~~?」ってなる。
過去がめっちゃ邪魔して、素直に、今の問いに答えられない。

だから言ったじゃない。あの時に、〇〇って言ったよね。あなたが〇〇したいって言ったよね。だから、〇〇した方がいいよって言ったのに、その時にしなかったからこうなったんだよね。いっつもそうじゃない。

そして、言わなくてもいいのに、親子断絶の言葉を発してしまう。
もう、15歳だよね。15歳なんだから、もっと、自分の言ったことに責任をもってよ。お兄ちゃんたちは15歳の時、ここまでわがままじゃなかったよ。

と。

いけない。
私が、言わないと決めていた

“あなたメッセージ”

  と

“いっつもそう″

   と

“比較する言葉”

    の人間関係断絶の三つのマイナスワード

を四男にはバンバン言ってしまう。だって、本当に小学校低学年の男の子といるようなんだもの。いい加減にせぇ~ってなっちゃう。

でも、こんなことを言われた暁には、母を信用するはずもないよなぁ~。

まだまだ、人間失格だわなぁ~。は~~~。

ていうか、私の中には、しっかり、人と比較するというか損得勘定で世の中をみてしまいがちといういやらしい気持ちが根雪のように存在している。それは、重々わかっている。だから、せめて、我が子にだけはそうしまいと心に誓って子育てをしてきたのに。四男は、そのボロをいとも簡単にはがしてくれる。

人のせいにしないで生きる。

そんな人間であってほしい。
と願って子育てしてきた。

人のせいとか、〇〇のせい思考の持ち主は、幸せになれないように見える。
認知症レースをしている義理と私の母が如実にそれを語っている。

義理母は、今が一番幸せと言う。
義理母は、こどもに離婚を反対されて、45歳で家を飛び出し、大阪の病院で家政婦みたいな仕事をして20年くらい自由気ままに生きてきた。

一方、母は、死にたい死にたい・・としか言わない。
私がこうなったのは、お父さんが、私に何もさせなかったから・・・とか、会社勤めでもまれなかったから・・・とか、結婚して周りからひどいいじめにあったからとしか言わない。

誰かの星人は、生きるのがしんどい。

我が子に生きるのがしんどい人にはなってほしくない。

自分で決めたのだから、起こる全てを引き受けるという覚悟のある人生は、しんどいけれど、溺れるてしまうようなしんどさとは違うしんどさで生きられる。

だから、15歳にもなって・・・と彼を責める、傷つける言葉を怒りの感情とともに発してしまう。

相手が自分の期待通りにならないときに、怒りの感情が噴出するのだそう。

ほらほら、支配しようとしているじゃん。

我が子は、遅咲きの花なのだ。チューリップでもなく、ゆりでもなく、バラでもなく。
こども時代がかなり長期化しているけれど、それは、根っこを深く長く伸ばしているから。
そう思うことにした。

彼が、小学校低学年の男の子みたいな自己主張をするたびに、根っこをイメージしよう。

鍛えられるなぁ~。四男には。

ふと、これって、私の心の細胞が、私の進化のために、四男を引き寄せているのだろうか・・・と。

福岡伸一さんのコロナウイルス進化論じゃないけれど、子どもって存在は、おそらく、夫という存在も、私の中に根雪のように存在する損得勘定打破のために、私の元にやってきてくれたのかなぁ?

ひとまず、四男が叫びながら私に訴えた 「今の質問にシンプルに答えてよ。」の気持ちに寄り添おう。

と決めた。



追伸、
母は、アルコール・女性大好きの祖父と喧嘩の絶えない祖母の家に育ち、アルコールを飲まない父を選び、絶対、子どもの前ではけんかをしない、祖母のような母親にはなるまいと決めて生きてきた。
反対を生きる。
えてして、あーなるまいとかあーはなりたくないという生き方をしてしまいがち。
それは、自分の人生を生きていないってことになる。









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