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進化する魂

フリートーク
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ノルウェー爆発・乱射事件

2011-07-23 23:58:55 | 社会
ノルウェー首都郊外の乱射事件、死者少なくとも80人に(ロイター)
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-22338720110723

ノルウェー爆発・乱射事件、その動機は:識者こうみる
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-22339320110723

犯人については、極右組織とのつながり、アルカイダとの関連性、そしてTwitterでのつぶやきから思想の偏りなどが指摘されているか、まだ全容ははっきりしていない。

ノルウェーで一体何が起きたのか。
それが伝わってこない。

いや、逆かもしれない。
視点を間違えると、モノの見え方も不確かなものになる。

殺戮能力だけを考えれば、単独犯でも武器さえあれば大量殺戮は可能だ。
実際、戦争のように戦略目的を達成するために敵を殺すことが評価される状況では、一人で何十人も、多ければ数百人も殺すことだってある。
(その一方で全く戦闘行為で銃の引き金を全く引かない兵士も多くの割合いるが)

にも関わらず、大量殺戮行為が稀にしか起きないのは、人、家族、友人、学校や会社、地域といった社会を構成するものの中に、それを抑止する社会規範や文化、宗教、そして愛といったものが内包されているからなのではないか。
つまり、人間社会は、社会構造として大量殺戮が発生しにくくなるメカニズムを持っている。

人は大量殺戮が可能となる能力を有しているが、それを抑止するメカニズムのある社会に生きているので、大量殺戮を行わないのだ。
よって、今回の件で考えるべきは、「何が起きたのか」ではなく、「何が起きなかったのか」なのではないか。

ノルウェーで一体何が起きなかったのか、何が起きなくなっていたのか。
この観点での考察が重要だ。

単純な原理主義的なテロと結びつけるのは問題を簡単化してくれるが、それが真実を語ることになるのかは疑わしい。
この事件の背景にある時代の流れとは何か、我々はそれを捉えることができるか。