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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

【AKB48】「AKB48×乃木坂46」戦略を読み解く

2011-07-05 17:53:05 | AKB48

組織にガバナンスを効かすのに有効な方法は、外部との競争です。
宗教的支配のような絶対的基準によるガバナンスを除いて、競争以外の方法でガバナンスの正当性を主張することは難しいです。
ナチスのユダヤ人迫害にしても、日本の鬼畜米英にしても、教室のいじめにしても、全て自分達の外に競争相手を作り出し、内部に統制を効かせるわけですね。
なぜ、外部に競争相手がいるとガバナンスが効くのか、答えは価値基準にあります。

この相対的な宇宙では、全ての価値観は相対的に成らざるを得ません。
(いつもの話をここでももう一度)

「東京タワーは高いか低いか」の答えは相対的です。
「富士山よりも低いが、ランドマークタワーよりも高い。」となります。

組織の中でも同様です。
何かを決断する時、何を基準にして考えるか、まず第一に、基本理念、政策の目的、そして戦略上の合理性となるでしょうけれど、どれに従っても判断できない場合があります。
往々にして、トップマネジメントが決断することを求められますし、ゆえに決断力のあるトップマネジメントというのも求められガチでもあります。

しかし、全てのことについてトップマネジメントが判断していたのでは、トップマネジメントの身体が持ちません。
よって、たいていは、シニア、ミドルマネジメントへ権限が委譲され、現場で判断できるものは現場でなされます。

しかしまた、各層のマネジメントに権限が委譲されても、現場でどう判断すればよいかわからない場面も出てきます。

こんな時です。
外部に競争相手がいると助かります。
競争相手に勝つという価値基準が判断を容易にするからです。
一人ひとりにとっての判断を容易にするというだけではなく、組織の構成員が共通の外敵を持つことで、意思決定の為の合意を得やすくなり、意思決定のスピードを向上させることができるのです。

◆◆◆◆◆◆

この話が、AKB48にどう適応できるか。

今のAKB48に対する批判の原因のほとんどは、AKB48の活動そのものをどう判断したらよいか、その価値基準が存在しないことによるものと考えます。
ここにライバルが現れることで、価値基準が明確になります。
ライバルとの競争によって、AKB48というものが、どういうものか形が明確になっていくということです。
外部からだけではなく、内部からも同様に明確になるのです。
何者であるかということと、進むべき道がはっきりしてくるのです。

これを異なる視点で考えて見ましょう。
もう一つの効果があります。

それはファンまで含めた広い意味でのガバナンスを高める効果を期待できます。
顧客に選択肢があるということが、顧客に自制を促せます。
これが非常に重要です。
今説明するのが面倒なので、また機会を見て語ることにします。

◆◆◆◆◆◆

上で、ライバルが現れることで、AKB48というものが、どういうものか明確になるとお話させて頂きましたが、この考え方に基づくと、ライバルはAKB48と同じタイプではよくありません。

ここは完全に私見ですが、もし仮に私の考えるように乃木坂46がAKB48のライバルとして外部からガバナンスを効かすために存在するのだとすれば、乃木坂46はAB48よりもマス指向の強いアイドルになるはずです。
というより、むしろAKB48がマス方面に拡大路線を展開してしまったことは基本コンセプトを逸脱する戦略上の失敗という認識の下、AKB48はより一層ソーシャルを強める方向へと舵を切り、乃木坂46はマスを強める方向で住み分けをしたいと考えているのではないでしょうか。

場合によっては、AKB48⇔乃木坂46の適材適所での人材交流も視野に入れながら、マスとソーシャルで住み分ける。
とにかく、AKB48としてマスを抑えながらソーシャルもというのは二律背反の問題で、非常に難しく、今後の発展を維持することも不可能と考えます。

これが、私が総選挙前から考えていた今後のAKB48の青写真です。

で、tuneさんから教えてもらったのですが、『AKB48劇場の向かいに「マップ劇場」誕生』というニュースを見ると、余計に確信するものです。
相手がAKB48に照準を定めて攻撃してきている時に、次の手を打ったわけです。
二正面作戦を維持するのは大変なので、AKB48はソーシャルに専念させる。
そして乃木坂46にマスを取らせる。
乃木坂46を一気にマス的存在にするためにAKB48を使う。
どちらでも勝つ。
おそらく、これが戦略。

実に面白い。
新しい情報が入り次第、さらに語っていきたいと思います。

「恋」とは何か? 恋は理屈ではない

2011-07-05 15:53:57 | 恋愛
アイドル・ビジネスについて考える前に、もっと根本的なところについてお話しておきましょう。
当Blogでは何回目かの議論ですが、最近読み始められた方もいらっしゃると思いますので、再度まとめてみます。


さて、男性諸君に質問です。
(女性でもよいですが)

あなたは女性と(意中の人でも妥協でもなんでもよいが)付き合いはじめました。

「私のどこが好き?」という質問に対する完璧な答えがあるだろうか。
(別に「俺のどこが好き?」でもよいのだが、どこか気持ち悪い・・)

あなたならどう答えるだろうか。

「全部」と言うだろうか。
(「え~」とか「もっと具体的に」とか言われるのがオチだ。)

「かわいいところ」とか「性格がいいところ」と言うだろうか。
(「他は?」とか「どこがかわいいの?」とか言われるのがオチだ。)

「目が」とか「スタイル」とか言うだろうか。
(そんな答えで彼女の納得を得ることはないだろう。そもそも、そんなところで人を好きになるか!)


では、そろそろ私の見解を述べるとします。

この質問に答えはありません。
いや、答えはなくても、お互いに納得する解を見出すことには意味があるかもしれません。
私はその行為を否定しませんので、どうぞお好きなようになさってください。

ただ、確かなことを言えば、答えはありません。

恋は理屈ではない。
恋とは、まだ人が人になる以前のずっと原始的な生物だった時代から続く情動だから。

よって、「説明できる恋」はなどというものは、「恋」ではありません。
「俺は○○だから彼女が好き」とか「私は△△だから彼氏が好き」などという話を聞いたら100%嘘だと思ってください。
(ただ、信仰は個人の自由なので、心の中でそっと思っておけばよいです。)

恋に理由があるのだとしたら、それは「後付バイアス」によるものです。
後付バイアスとは、人が持って生まれた習性のようなもので、後から理由をとってつける癖のことです。
後付バイアスは素晴らしい機能であり、また同時に人に災悪をもたらすもので、ガラスの剣です。
後付バイアスにとって、その理由が正しいかどうかは関係ないからです。
その人が、その理由で事象を解釈し納得するのに十分かどうかだけが問題です。
なので、後付バイアスによって付けられる理由の程度は、人によって異なります。
単純な理由で納得する人と、ちょっとやそっとじゃ納得できない人では変わるのです。

なぜ、後付バイアスなるものが存在するのか。
大雑把に言えば、人は「不知」に耐えられるほど強くないということです。

不知は「不安」を生み出します。
不安に溢れた人生が楽しいものではないことは、多くの人が想像できるものだと思います。
生物として生存していくために、どうなるかわからない状況は避けたいものです。
どうすれば不安をかき消すことができるでしょうか。
単純に、「不知」を「可知」に変えればよいでしょう。
過去に起きた事象を理解可能なものにし、未来を予知可能なものにする。
(科学技術の発展がこの動機によるものですがね)
これが後付バイアスの最大の機能です。

説明するまでもないことですが、上記の説明をなぞるように、脳の進化もなされました。
脳は進化の過程で温泉旅館のように増築を繰り返して、今の形になっています。
中央によるほど原始的な機能を司る部分があり、外側に行くほど人間らしい理性的な機能を司る部分があります。
脳はちぐはぐな設計のためCPU(中央演算装置)のような司令塔をもちません。
ちぐはぐなコンポーネントを高次に結合して統合性を生み出しているのです。
その統合性を保つために生み出された概念が「人格」だという説もあります。
だから人のように複雑に進化した生物は、人格なしに統合性を発揮できない。
(「私とは何か?」という議論につながるわけですね。)

で、恋の話に戻ります。
もうわかっておられると思いますが、恋は中央から発せられる感情です。
感情には理由という便利なラベルはついていないのです。

だから「恋は理屈じゃない。」のです。

それを外側で解釈して理由をつけようとします。
「なぜ私はあの人のことを好きなのだろう。整合的な理由が欲しい。」と思うのです。
しかし、論理的で整合的な理由なんてつけることはできません。

すると、統合性を生み出す人格が崩れます。
理屈ではない恋という感情が強ければ強いほど、一貫性と整合性と論理性を持つ人格を保つことができない。
人格が破綻しそうになり、悩むのです。
人によっては、自分のことが嫌いになるかもしれませんし、自分のことがよくわからなくなるかもしれません。
普段は理論整然とする人が、恋をした途端に人格が破綻するかもしれません。

そうです。
当Blogがなぜ「恋愛」にこだわるのか、その理由です。

恋は人の人格を揺さぶるのです。
凝り固まった論理性や整合性を破壊し尽すもの、それが「恋」。
人生における最大のファクターです。

恋なくして成長豊かな人生は有り得ないし、恋を語れない人が人生の何を語ってもつまらないのです。
(語れる力のある人は、恋愛というものがよくわかっている人でしょう?)
恋一つできなくて、人の何がわかるか。

ちょっと長くなったのでそろそろ閉めましょう。

上記で述べたことを総覧すれば、恋の仕方を一つとってもみても、完璧な答えなんて存在しないことはわかります。
アイドル・ビジネスにおいて、この恋というファクターをどう喚起し、どう制御できるか、これを考えていく必要があるでしょう。

つづきは・・あるかな?