進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

AKB48と自分のモノという意識の深い関係 ~所有意識~

2012-07-10 19:39:19 | AKB48_行動原理系
今日は『所有意識』について語りたいと思います。


◆◆◆◆◆◆


さて、ニワカな知識でAKB48について語るシリーズの続編です。
当初の予定からどんどん、どんどん解離していってます・・。


「変化」も重要だが、本質的な「絶対量」を忘れてはいけない。いつだって基本が大事。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdf7548f7139201858d41566e5880152


指原莉乃が背負ったカルマ ~優越性ルールの侵害~ [途中] ←途中のままだ・・
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/85e5b4bb6e4a707ea700e555bca5051c


人はおとりに釣られる。 相対性の前では全てが錯覚。 ~おとり効果~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/7fc79b658340efabf6fb9461cbf8231d


如何にして顧客の日常となり得るか ~ 「ゼロの力」とググタスの未来 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/4c9821ec2aceb2416ab5aa3af807c062


エンターテイメントが感動を求めてやまない理由 ~ピーク・エンドの法則~ [作成中]
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1437ce8f735583fa0634880965a7d219


今回も参考図書はダン・アリエリー『予想通りに不合理(増補版)』です。




◆◆◆◆◆◆



■高価な所有意識


なぜ人は、自分の持っているものを過大評価するのか?


■保有効果


あるバスケットボールの試合の観戦チケットにまつわる実験の話。
(話を短くするためにかなり単純化しているのは予めご了承いただきたい。)


この観戦チケットを手に入れるためには、列を作って並んだ上に抽選で当選しなければならない。
つまり、とても苦労するものだと思ってほしい。


・実験1
「チケットを勝ち取った学生」と「チケットを勝ち取れなかった学生」の間で、どちらがよりチケットを高く評価するだろうか?



実際のやりとりが次だ。
ウィリアムはチケットを持っていない。

「やぁ、ウィリアム。チケットは外れてしまったそうだね?」

「ええ、そうですけど」

「一枚、手配できるかもしれないよ?」

「やった!」

「1枚にいくらなら払ってもいいと思う?」

「1万円でどうでしょう?」

「それじゃぁ安すぎるよ。もっと出さないと!」

「1万5千円とか?」

「もっとだな」

ウィリアムはしばらく考えて
「1万7千5百円かな」

「たったそれだけか?」

「ええ、それ以上は1円も出せません」

「わかった。待機者リストに載せておこう。また連絡するよ。」
「ところで、どうやって1万7千5百円に辿り着いたんだい?」

「1万7千5百円あれば、スポーツバーに行って酒を飲みながら試合を見て、少し買い物できるくらいのお金が残ると思うから」

ウィリアムは、チケットに対して1万7千5百円は高額だと認識している。


--------------


次の電話の相手はジョーゼフだ。
ジョーゼフはチケットを持っている。

「やぁ、ジョーゼフ。いい話があるんだが、チケットを売る気はないかい?」
「最低額を聴かせてくれよ。」

「最低額なんて知りませんよ」

あるパチーノ風に言う
「大金を積まれれば誰だってなびくもんだぜ?」

「30万円なら売ろう。」

「おいおい、それはいくらなんでも高すぎるだろう。」
「常識的に考えてくれよ。もっと安くしてくれないか?」

「わかりました。じゃぁ24万円で。」

「そんなにもするのかい?」

「これ以上は下げられません」

「わかった。その値段で買いたいと言う人がいたら連絡するよ。」
「ところで、どうやってその値段に行きついたんだい?」

ジョーゼフは熱く語る。
「自分の人生にとって意義深いことなんだ」
「子供や孫たちにも話してあげるいい経験になる」
「なのにどうして値段をつけろっていうんです?」
「思い出に値段なんてつけられると思いますか?」



--------------


というようなやりとりを100人以上に行った結果、チケットがはずれた人は平均して1万7千円を支払う意志を見せた。
みな1万7千円という値段の理由をウィリアムの場合と同じように、「お金の他の使い道」によって調整されていた。


一方、チケットが当たった学生は、1枚のチケットに平均して24万円を要求した。
こちらは、ジョーゼフと同じように、この経験が重要で、生涯忘れえない思い出になるだろうことを価格の理由にした。


驚くべきことは、100人以上に実験したのに、買う側が支払ってもいいと思う金額でチケットを売ろうという人は1人もいなかった。


これは一体どういうことだろう?


抽選の結果が出る前は、喉から手が出るほどチケットを欲しがっている人々の一群があった。
ところが、結果が出た途端に、2つのグループに分かれたのだ。


チケットの「所有者」「非所有者」だ。


試合の素晴らしさを想像する人たちと、チケットの代金で買える他のものを想像する人々の間に、感情の隔たりが生じた。
それも、約14倍もの隔たりだ。

ランダムな抽選によって「チケットの価値」が、これほどまでに劇的に変わってしまったのはなぜだろう?


■私たちの生活全体に浸透する所有意識


所有意識は、私たちの生活を奇妙な形で方向づけている。
人間性の中にある3つの不合理な癖のせいだという。


[1] 自分の持っているものに惚れ込んでしまう

恋のキューピット役がうまいと言われる人々がいる。
適した異性を紹介するのがうまいのだ。
だが、組み合わせを完璧にするのはその人の才能ではなく、何かを手にした途端に愛着を感じ始める人間性の力なのかもしれない。


[2] 手に入るかもしれないものより、失うかもしれないものに注目してしまう

これは前に語った『プロスペクト理論』を参照して欲しい。
人は損失に近視眼的集中を起こしてしまう。

「変化」も重要だが、本質的な「絶対量」を忘れてはいけない。いつだって基本が大事。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdf7548f7139201858d41566e5880152


[3] 他の人が取引を見る視点も、自分と同じだと思い込んでしまう

どういうわけか、人間は相手が、自分と同じ気持ちや感情や思い出を共有していると思ってしまう。
しかし残念ながら、実際は必ずしもそうではない。

これは前に語ったミラーニューロンが関係しているかもしれない。

AKB48若手メンバーに贈る「創造的模倣」のススメ ~守破離~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/0b68de7ff3d86d1def6ac1907ebdedfc


■奇妙な所有意識


所有意識には奇妙な特性がある。

1つは、私たちは何かに打ち込めば打ち込むほど、それに対する所有意識が強くなる。
それどころか、所有しているという誇りは、打ち込む際の容易さと反比例している。
難しいものほど所有感が高くなるのだ。

(家具の組み立てが難しいほど所有効果が高まることから一部では「イケア効果」と呼ぶらしい・・)

別の奇妙な特性は、「仮想の所有意識」だ。

(「仮想の所有意識」こそ本エントリの本丸だ。)


■仮想の所有意識


実際に何かを所有する前に、それに対して所有意識を持ちはじめる場合があるのだ。
ネットオークションを用いた実験がある。


月曜日の午前中、腕時計に最初の入札をし、この時点であなたの入札額が最高だったとする。
その晩、インターネットに接続した時も、あなたは一番だった。
次の晩もそうだった。
そのうちあなたは、洗練された腕時計のことを思い浮かべ始める。
自分が腕にはめているところを想像し、人に褒められているところを想像する。
そして、オークションが終わる一時間前にもう一度接続してみると、どこかの輩があなたより高い額を入札しているではないか!
あなたの腕時計が他人に取られてしまう。
そこであなたは、初めに予定していた金額をオーバーしてまで入札額を上げる。


この部分の所有意識は、ネットオークションでよくあるように入札額が上がり続ける原因の1つである。
オークションが長ければ長いほど、様々な入札者が仮想の所有意識を強め、もっと高い金額を入札するようになる。
実験では、最も長いあいだ最高額の入札者だった人は、最終的に仮想の所有意識を最も強く抱いていた。
もちろん、最高入札者の立場は危ういものだ。
そのため、いったん自分が所有者だと感じると、その立場を失わないように、しかたなくどんどん高い額を入札していた。


「仮想の所有意識」は広告業の推進力の一つになっているのは言うまでもない。


幸せそうな夫婦が高級車で海岸線を走るのを見て、そんな自分の姿を想像する。
罠が仕掛けられているところに、私たちは喜んで踏み込んでいく。

そして、まだ何も手にしていないうちから、部分的な所有者になってしまうのだ。

「お試しパック」なんかは、この仮想の所有意識を巧妙に使ったマーケティングの一種だ。


■所有意識の適応範囲


所有意識は物質的なものに限ったことではない。
ものの見方にも当てはまる。
政治に関するものであれ、スポーツに関することであれ、なんらかの思想の所有権を得たら、私たちは大事にし過ぎるほど後生大事にし、ほんとうの価値以上に高く評価するだろう。
もっともありがちなのは、その思想を失うことに耐えきれず、なかなか手放せなくなることだ。


その結果、残るモノは何か?


頑なで柔軟性のないイデオロギーだ。


自分の所有物を過大評価してしまう傾向は、人の基本的な偏向であり、自分自身に関係のあるもの全てに惚れ込み、過度に楽観的になってしまうという、もっと全般的な性向を反映している。


■所有意識から上手に逃れるためには


所有意識という病を治す既知の方法はない。
所有意識は私たちの生活に織り込まれている。

(実はある。その方法論を解くものが宗教や哲学だ。仏教では解脱という。禅をするのもいいかもしれない。)

できることと言えば、あえて自分と目的との間に距離を置くことである。
できるだけ自分が「非所有者」であるかのように考える方法だ。


■AKB48と所有意識


ようやく本題まで来て、息切れしました(汗)
関わりが深すぎて簡単に述べられないので、後述することにします。

(とかいいつつ、他のもずっと作成中のまま・・)

こういうのも面白い

2012-07-10 15:36:25 | AKB48_軽ネタ
私は細かいことを気にするダメな大人です。










私の今日の目標は

誰に対してもどんな時でも明るく接する」ことです。



宮脇さん、らしくないね。


そんなことができるとも思えないし、まずもって意味があるとも思えない。


とりあえず何か言わずにはいられなかったのかな。

(公演中のMCでキレたとかいうスレが立ってたけど。)


こういう時は下手にアドバイスなどせず、じっくり考えさせるのが周りの大人のやるべきことです。


HKT48、とりわけ宮脇さんみたいな優等生が、これからどういう形で崩れていくか(良い意味でね)というのは、見どころの一つかもしれませんね。


ググタスは心の動きまでわかって素晴らしいなぁ~。

なぜBDで出さない?!

2012-07-10 14:26:00 | AKB48_心の叫び



前田敦子 涙の卒業宣言!in さいたまスーパーアリーナ
~業務連絡。頼むぞ、片山部長!~
スペシャルBOX 【特典ポストカード付き】 [DVD]

http://www.akb48-dvdcatalog.com/ssa2012/index_sp.html


ユーザ数の違いや費用対効果の観点からDVDなのだと思いますが、


AKB48として、それでいいのでしょうか?


映像作品としてのクオリティ云々はこの際どうでもいいです。


私が言いたいことはただ一つです。


AKB48みたいに大人数の場合、SD画質だと引きの映像がボケボケでメンバーを識別するのが大変なのです。


(超解像デフォですか?私はPS3でアップコンバートしてますけど限界というのがある)


センター付近はいいけれど、後列や端にいるメンバーについて


メンバー1人ひとりに光当ててやろうという気持ちを少しでも持って頂ければ幸いです。


それとも見られたくない何か理由でもあるのでしょうか。


ジブリみたいに「BDは映像が固い」みたいなコダワリでもあるのでしょうか。


北川さん、ブルーレイ検討するって言ってませんでした?


今さらDVDを買う気になれない・・
(だったら買うなと言われそうだけど、本エントリでは私が欲しい欲しくないという話をしているわけではありません。)




NHKプレミアで放送された選抜総選挙を録画したやつみたのだけど、いいですよね。


精細感が違います。


誰がどんな動きしているか見えますよ。



話は変わるけれど、EverybodyカチューシャEverydayカチューシャのNGOセンターよかった。


ちょっとセンターっぽくないところが初々しくていいよね。

「強み」と「逃げの正当化」の違い ~やすす先生が作詞をアウトソースしない理由~

2012-07-10 12:36:22 | AKB48_経営戦略・組織論系
広く読まれることに当Blogの価値があると思うので、前提知識なくても読めるVersionの文章も付け加えました。

チーム4について語りたいのだが・・今は我慢してこの話題を。
先に語るのにも、それなりに意味があると思う。



アンチに悩む人へ ~記憶に残る「幕の内弁当」はない~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/618ed3aee1b857694cbeb5370df658b3


↑の補足の


ググタスはコーヒーだ!
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/c42cdcc973803e5025345771e9de7bb6


↑の補足。

コアコンピタンス」という話題が出てきたので、関連でさらに補足したいと思います。
コアコンピタンスそのものの説明ではなく、関連する話です。


◆◆◆◆◆◆


戦略を考える上で「コアコンピタンス(競争優位の源泉となる中核的な能力)」は非常に使いやすい概念です。
(軍事の方の戦略論ではストロング・ポイントと言ったりするそうです。)
組織の「強み」を表現するのに適した言葉だからです。


コアコンピタンスの概念を広めたのは↓でも紹介したゲイリー・ハメルの『コアコンピタンス経営』です。


経営の未来 ~未来を変えるための話をしよう~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/328d1744aabb082fb4f42d8b04296071


しかし、使いやすい言葉なだけに、様々な使われ方をすることになり、誤解を生みやすい言葉にもなりました。
もともとは、企業の中核的な能力を構成する有形/無形あわせた経営資源全体を指す概念だったのですが、単純に「強み」の意味で使われることが多くなったのです。

(細かい話だが、SWOT分析だけ使うと嵌りやすいとは思う。)


このことについて、クレイトン・クリステンセン『イノベーションへの解』の中で警鐘を鳴らしています。
(不朽の名作『イノベーションのジレンマ』の次作が『イノベーションへの解』です)






日本の製造業メーカーと台湾EMSを思い浮かべながら、次の話題を読んでみてください。



■コア・コンピタンスとROA最大化のデス・スパイラル (コア・コンピタンス経営の罠)


 コモディティ化の餌食となる企業は、すぐ下の階層のサブシステムまたは隣接するプロセスで、コモディティ化と同時に起こる、脱コモディティ化という補完的プロセスを見落とすことが多い。そのため彼らは、これから金が向かう場所に移動する機会を逸し、他社が脱コモディティ化の生み出した成長を捉えるうちに押しつぶされ、時には破滅に追い込まれることすらある。実際、総資産収益率(ROA:Retum on Asset)の改善を迫る投資家からの強く執拗な圧力は、組立て業者にとって、これから金が向かう場所から遠ざかる強い動機になる。そして、モジュール方式によるコモディティ化という状況を認識し損なった彼らは、属性に基づくコア・コンピタンス理論に救いを求め、のちに後悔することになる決定を下すのだ。

企業の株主はROA(どのくらい効率的に利益を上げることができているかを示す指標の一つ)を使って「もっと効率よく利益を上げろ!」と圧力をかけてくる。利益をうまく上げることができず悩む企業は「コアコンピタンス理論」に救いを求めるが、これが失敗の原因になることが多い。


 モジュール型製品の組立企業は、総資産収益率(ROA)や使用総資本利益率(ROCE)の改善を求める投資家の要求に、どうすれば応えられるのだろうか。ROAの分子を改善することはできない。製品を差別化したり競争相手よりも低いコストで生産したりすることは、ほとんど不可能だからだ。唯一の選択肢は、資産を処分してROAの分母を圧縮することだ。これは統合が求められる相互依存的な世界では困難だが、製品アーキテクチャがモジュール型であるような状況では、実際、非統合化が促される。そこで、これから架空の部品供給業者とモジュール型パソコン組立企業とのやりとりを通して、これがどのように起こるかを説明してみよう。この2つの企業を、それぞれ、コンポーネンツ社とテキサス・コンピュータ社(TCC)と呼ぶ。

「ROA = (利益/総資産) 」なので、ROAを上げるためには「利益を上げる」か「総資産を減らす」かどちらかだ。競争の激しい状態で「利益を上げる」ことは難しいので、企業は「総資産を減らす」方を選択しがちである。では、総資産の減らし方について例を使って説明する。


 コンポーネンツは手始めに、TCCに単純なサーキットボードを供給する。TCCがROA改善を迫る投資家からの圧力に苦しんでいると、コンポーネンツが興味深い提案を持ってやって来る。

「御社にはこれまでサーキットボードを提供させていただいてきましたが、コンピュータのマザーボード全体を納入させていただけませんか?社内で製造されるよりずっとお安いですよ?」

「おお、それは素晴らしいアイディアだ」とTCCの経営者は答える。

「サーキットボード製造業務はいずれにしてもうちのコア・コンピタンスではないし、きわめて資産集約的だからね。君たちに頼めれば、うちにとってはコスト削減になる上、バランスシートからあれだけの資産を取り除ける」

 そこでコンポーネンツは、新たな付加価値活動を請け負う。同社の売り上げは急増し、製造試算の稼働率が高まったことから収益性も向上する。株価もそれに合わせて上昇する。一方、TCCがこれらの資産を処分しても、収入線は影響を受けないが、純利益と資産収益率は改善し、株価もそれ相応に上昇する。

製品のすべて(部品から最終製品まで)を自前で開発すると、どこかに非効率的な部分が入り込んでしまう。たいてい企業には得意な分野と、不得意な分野があるからだ。不得意な分野は他に任せて、自分は得意な分野に集中するのが合理的である。そうすることで、収益性(利益率)が改善し、株価も上がり、ROAは上昇する。



------ [ 余談 ] ----------------------------------

たいていこんな計算を頭の中でしているからだ。

(営業利益:企業の取り分の総数)

= G

= (売り上げ) - (コスト)

= P・Q - C

= P・Q - V・Q - F

= ( P - V )・Q - F

= CM・Q - F

P:価格、Q:販売数量、C:総コスト
V:変動費、F:固定費、
CM:販売1単位当たりの貢献利益
G = 0:損益分岐点 (BEP:Break Even Point)


 営業利益を上げるための単純な方法は、売り上げを上げることだが、販売数量(Q)が伸びずに価格(P)が小さくなっているので、コスト(C)を下げないといけない。コストは変動費(V)と固定費(F)からなるので、基本的戦略は変動費を下げて貢献利益(CM:P-V)を大きくしつつ、固定費を下げることを考えることにになる。

しかし、この式で考えると、人の頭は次のように自然と脳内変換してしまう。

「"利益"を上げるには"売り上げ"を上げるか、"コスト"を下げるしかない。」
「"売り上げ"を上げる(下げない)ために、"価格"を上げるか、"数量"を伸ばすか、しかない。」

これはちょっと古い考え方で、今は「顧客価値」という観点で「WTP(Willingness to Pay)」を使う(べきだ)。

(顧客との取引によって創造される価値)

= Value

= ( 顧客価値:顧客の取り分 ) + ( 利益:企業の取り分 )

= ( 顧客の支払い意欲 - 価格 ) + ( 価格 - コスト )

= ( WTP - Price ) + ( Price -Cost )

= WTP - Cost

※Value >= 0

「Value」がマイナスになるということは、その取引に価値がないということなので、その取引自体が存在できない。
よって、Value がマイナスになる場合は、Valueが"0"に近づくよう力が働く。

式を見たら一目瞭然だが、「利益を上げたければ、WTPを上げるか、Costを下げるか、またはどちらも」の3択しかない
注目すべきは、上げなければならないのは「WTP」であって「価格」ではない。
価格を上げるためには、WTPを上げないといけない。でないと左辺(WTP-Price)がマイナスになってしまうからだ。


参考:川上 昌直『ビジネスモデルのグランドデザイン―顧客価値と利益の共創』




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 ほどなくしてコンポーネンツは、TCCの経営者に再び話を持ちかける。

「ご承知のように、マザーボードは実際、コンピュータの心臓部なんです。御社のためにコンピュータ全体を組み立てさせてください。製品組立業務はどのみち御社のコア・コンピタンスではないのですし、社内で組み立てられるよりずっとお安いですよ」

「ふむ、それは素晴らしいアイディアだ」とTCCの経営者は答える。

「どっちみち組立業務はわが社のコア・コンピタンスではないのだし、君たちが製品組立をやってくれれば、あれだけの製造資産をバランスシートから取り除ける」

 コンポーネンツがまたもや新たな付加価値活動を請け負うと、売り上げは急増し、製造資産の稼働率が高まるために収益性も改善する。株価もそれ相応に上昇する。TCCは製造資産を排除しても、収入線は影響を被らない。だが、純利益と資産収益率は改善し、株価もそれに応じて上昇する。


 しばらくしてコンポーネンツは、TCCの経営者に再び申し入れる。

「あのですね、わたしどもが御社のコンピュータを組立させていただいている以上、どうして御社が厄介な物流のインバウンド、アウトバウンド業務を処理される必要があるのでしょう?業者との交渉やお客様への完成品のお届けは、お任せください。サプライ・チェーンの管理はどのみち御社の本当のコア・コンピタンスではないんですから。それに御社が管理されるよりずっとお安くできますよ」

「うーむ、それはいい考えだ」TCCの経営者は答える。

「そうすればあれだけの流動資産をバランスシートから除ける」

 コンポーネンツは新たな付加価値活動を請け負い、売り上げは急増する。また、ビジネスモデルに高付加価値活動を引き入れたために、収益性も改善する。一方、TCCは流動資産を処分しても収入線に影響を受けない。だが、収益性は改善し、株価ももうひと跳ねする。



 しばらくするとコンポーネンツがTCCの経営者にまた話を持ってくる。

「えーとですね、御社のサプライヤーと取引させていただいていることですし、今度は御社のためにコンピュータの設計をやらせていただけませんか?モジュール化された製品の設計は、実際には業者の選定に毛の生えたようなものですし、わたしどもの方が御社よりも業者と密な関係がありますので、設計サイクルの最初から彼らと手を組めば、価格と納期についてよい条件を引き出せますよ」

「いやは、それはいい考えだ」とTCCの経営者は答える。

「そうすれば固定費と変動費まで削減できる。それにうちの本当の強みはブランドと顧客管理にあるのであって、製品設計ではないからね」

 コンポーネンツがさらなる付加価値活動を請け負うと、売り上げはさらに増え、高付加価値活動をビジネスモデルに引き入れるために、収益性も改善する。株価もそれに応じて上昇する。一方TCCがコストを削減しても収入線は影響されない。だが収益性は改善し、そして株価もまたポンと跳ね上がる~

株主からの圧力に従ってROA(効率的に利益を上げる)を最大化しようとし、自社に「強み」の部分だけを残して「弱み」の部分を外に出すようにすることは合理的な行動であり、やればやるほど効果が出る。しかし・・


しかしそれも、アナリストがゲームが終わったことに気づくまでのことだ。



 皮肉にもこの悲劇の中で、コンポーネンツは最終的に、悪循環が始まる前のTCCよりも高度に統合されたバリューチェーンを持つことになる。だが、バリューチェーンの各構成要素が再構成されているため、コンポーネンツは新しい競争基盤にうまく対処できる。この場合の競争基盤とは、製品化のスピードと、はるかに小さな市場分野の顧客向けに製品を機敏に構成する能力である。TCCは資産やプロセスをコンポーネンツに押し付けるたびに、その決定を彼らの「コア・コンピタンス」という観点から正当化した。問題となっている業務が、コンポーネンツにとってもコア・コンピタンスではない、ということは、彼らの思いもよらないことだった。ある業務がコア・コンピタンスか否かといことは、これから金が向かう場所に滑走していく能力の決定要因ではないのである。

他社の「弱み」を引き受ける企業は、引き受ける際に、応用できる形で引き受けるために、他社の「弱み」を自社の「強み」に変換する形になる。一方は、コアコンピタンス理論に従って「強み」ではないものを外に出したわけだが、もう一方の引き受ける側にとっても、それは「強み」ではない。だが、引き受けた側は「弱み」を引き受けていき続ける中で、「弱み」を「強み」に変換することができる。「強み」「弱み」という基準だけで、判断すると、利益を上げる能力を掴み損ねる可能性が高い。


 この話は、非対称的なモチベーションをよく表す例でもある。モジュール組立企業が手を引きたがっていた、まさにその付加価値活動を、部品供給業者は前方統合する意欲を持っていたのだ。これは無能力を表す話ではない。収益最大化のための、完璧に合理的な決定に関する話なのだ。だからこそ、モジュール製品を「十分に良い」世界で組み立てる企業の多くが、ROA最大化のデス・スパイラルという罠にかかるのである。

「弱み」を吐き出す企業は「弱み」に対してモチベーションが低いが、「弱み」を引き受ける企業は「弱み」を引き受ける活動に対してモチベーションが高い。どちらかの能力が低いということではなく、お互いに合理的に行動した結果、こうなるという話だ。競争が激しく、製品そのものの差異化が難しい状況下でROAを最大化しようと合理的に行動すると、このような問題に遭遇しやすいのだ。


■デススパイラルにはまらないために


ROA最大化のデス・スパイラルはわかった。
では、我々はどう考えるべきなのか。クリステンセンはこう言う。

「コア・コンピタンスは、多くの経営者が用いる用法において、危険なまでに内向き思考の概念だ。競争力とは、単に得意だと自負する業務を行うことではなく、むしろ顧客が高く評価する業務を行うことから生まれる。」


そう、さきほども出てきた「顧客価値」である。
自分が得意かどうかではなく、顧客価値の高いかどうかで判断することから競争力は生まれるという意味である。
(クリステンセン自身は「顧客価値」という言葉ではなく「用事」という言葉を使っているが、ここでは気にしないことにする。)


田野しいやつらが引き起こす創造的摩擦 ~イノベーションのジレンマを超えるバリュープロポジション~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/cfdd89f383a05dfda9d5ac8a934d4b7c


クレイトン・クリステンセンは、既存の枠組みの中でWTPを上げることは不可能に近く、ゆえにコストを下げるしかないが、その時、コアコンピタンスの名の下に「ROA最大化のデススパイラル」に嵌ることに注意すべきだと述べている。


■やすす先生が作詞をアウトソースしない理由


(前にも書いたことがある話題&一部メンバーに投げているのは知っています。)

なぜ忙しいのに、やすす先生は作詞活動を他の人に任せないのか?

第一義的には「作詞家」だからだと思う。

しかし、それとは別に「ROA最大化のデススパイラル」に嵌ったしまうことのリスクに感づいているからだ。

作詞は楽曲全体のコンセプトを決める作業でもあるため、作詞だけをモジュール化して水平分離することはできない。

まさにそれこそが「コアコンピタンス」だからだ。