時間がなくていつ書き終わるかわからないから、ちょっとずつ書きます(笑)
しかも構想段階から。
自分にプレッシャーをかけるのと、まぁ永遠に終わらない可能性が高いから出来高で書くというのが一番大きいかな。
完成前にネタバレ必至・・
◆◆◆◆◆◆
さて、ニワカな知識でAKB48について語るシリーズの続編です。
当初の予定からどんどん解離していってます・・。
「変化」も重要だが、本質的な「絶対量」を忘れてはいけない。いつだって基本が大事。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdf7548f7139201858d41566e5880152
指原莉乃が背負ったカルマ ~優越性ルールの侵害~ [途中] ←途中のままだ・・
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/85e5b4bb6e4a707ea700e555bca5051c
人はおとりに釣られる。 相対性の前では全てが錯覚。 ~おとり効果~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/7fc79b658340efabf6fb9461cbf8231d
如何にして顧客の日常となり得るか ~ 「ゼロの力」とググタスの未来 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/4c9821ec2aceb2416ab5aa3af807c062
◆◆◆◆◆◆
一流とのクロスオーバー 非選抜アイドルなやかんに賭ける
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/531d9316b29bc5f3aa6d82e9a8ac8467
↑上のエントリに頂いた「ちんとも」さんからのコメント。
やっぱエンターテイメントは『加点方式』ですね。一般社会の「減点方式」とは違う。
だからこそ夢がある。
面白い着眼点だと思いました。
今回はこの話を膨らませたいと思います。
日本社会において、よく「減点方式」が問題になることがあります。
教育の世界でも、仕事の世界でも「減点方式」が幅を利かせています。
一方、エンターテイメントの世界では「加点方式」が採用されることが多いです。
(クラシック音楽のコンクールなどは「減点方式」ですが)
一芸に秀でることが高い評価を得る鍵です。
これはなぜなのでしょうか?
実は、しっかりとした理由があります。
今回も参考図書としてダニエル・カーネマンの『ダニエル・カーネマン教授 心理と経済を語る』を使います。

■ 決定効用と経験効用
(まだうまくまとめれていない・・ここは後で書き直す)
「効用」という言葉には2つの意味がある。
「決定効用」と「経験効用」だ。
「決定効用」は、なぜそういう選択をするのかを説明するために使われる用語だ。
一方、「経験効用」というのは、結果と結びついた快楽体験である。
この効用は、ジェレミー・ベンサムが提起したもので、19世紀の経済学者が「効用」という場合には、たいていこちらの意味だ。
たとえばエッジワースの『数理心理学』には、これが明白に示されており、「幸福とは瞬間的な経験効用の経時的な総和である」と定義されている。
しかし、効用が「決定効用」と解釈されるようになった20世紀の初めになると、経済学の論文で「効用」という言葉が経験の一面で使われることはほとんどなくなった。
以前の「効用」の解釈によれば、選択が効用を最大化するかどうかは「人は自分にとって最も好ましい選択肢を選ぶかどうか」とうことだった。
しかし、「経験効用」と「決定効用」の区別を無視する現在の「意思決定理論」では、問題のあり方は非常に異なる。
選好は、選好同士がお互いに、また合理的選択の公理に矛盾しないかどうか、ということが問題とされるのだ。
アレやエルズバーグの「パラドクス」から「フレーミング効果」に至るまで、長きにわたって続けられた効用理論に対する現代の一連の挑戦によって、選好は矛盾するということが明らかにされてきた。
選べる選択肢からどんな満足な結果が得られるかを、正確に、あるいは少なくとも先入観に左右されずに予想する経済主体の能力は、人間にはない。
人は必ずしも、自分の好みがわかっていないし、選択の結果としての未来の経験を予想するに当たって、系統的なエラーを犯すこともしょっちゅうで、その結果、経験効用を最大化するのに失敗してしまう。
未来において自分が経験するはずの結果の効用を予測することを、「快楽予測」と呼ぶことにする。
快楽予測による効用の予測は、明白なこともあるし、はっきりとは示されないこともある。
はっきりと示されない場合、現時点での主体の選択か推測しなければならない。
恐ろしく空腹な状態の買い物客が、食料の買出しに出かけたとしよう。
彼は予測エラーを犯し、それによって間違った選択をしてしまう可能性が高い。
こうした予測エラーは、様々な理由で起こり得る。
快楽予測のほとんどは、注意深く考え抜いた結果ではなく、むしろ直感的なものなのでバイアスの影響を受けやすい。
直感的思考を支配するヒューリスティックスの多くには、置き換えプロセスが関わっている。
人は難しい問題に直面すると、それに関連する別の問題の答えが先に心に浮かんでくることがよくある。
違う問題に答えているなどと思いもせず、アクセスしやすい答え(直感的判断)が、必要な答えの代用として採用される。
たとえば、お腹を空かせて買い物に行き、美味しそうな食べ物をみてヨダレを流す人は、特別お腹が空いていない明後日の夜のことについて冷静に予測する代わりに、今現在の空腹状態で決定を下すかもしれない。
こうした代用は、聞かれてもいない質問に対して非常にアクセスしやすいという理由だけで応えてしまうという「アンカリング」といわれる方向性のバイアスに繋がる。
つまり、将来の快楽や感情の状態の予測は、現在の感情や動機の状態にアンカリングされているということだ。
この結果は「投影バイアス」と呼ばれる。
消費者が現在の自分の精神状態を、将来の精神状態に投影しているように見えるからだ。
ローウェンスタインは「熱情と冷静の共感性のギャップ」という現象を証明している。
空腹、性欲、怒りなおdによって興奮している時、人は、自分が「冷静な」時にどんな行動をするかを見誤る。
逆に、冷静な時には、興奮の影響を見誤る。
どちらの状況でも、現在の状態からの変化が与える影響の大きさを見くびっているわけだ。
投影バイアスは、効用最大化に反している。
効用最大化の観点では、来週おやつを食べる時の楽しみが、それを選んだ時点の空腹の度合いに左右されることなどほぼ有り得ないからだ。
■ ピーク・エンドの法則
我々には自分自身の過去の経験を「喜びや悲しみのピーク」と「終わり(エンド)」がどうだったかで判断する癖がある。
直感的に納得する人もいるかもしれないし、納得できない人もいるかもしれない。
ただ、実験では「ピーク・エンドの法則」は確かめられている。
(ここでダニエル・カーネマンの実験の話。手術の件かな。図もね・・)
これは、我々の知覚特性が、平均値を直感的に求めることができても、合計値を直感的に求めることができないことから来ていると思われる。
我々は、過去の出来事に対する評価を「総満足度」ではなく、他の指標で判断するのだ。
実験によれば、過去の出来事について考える時、我々の思考は「ピーク」と「エンド」にアンカリングされているという。
指原莉乃が背負ったカルマ ~優越性ルールの侵害~ [途中]
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/85e5b4bb6e4a707ea700e555bca5051c
■知覚の特性:足し算をすべき時に平均値を求めてしまう
私達は平均値を直感的に求めることができるのですが、合計値を直感的に求めることができません。
なので、ある一組のグループの価値の判断を直感的に行うと、エラーを犯す傾向が強くなります。
合計値ではなく平均値を使ってしまう極めて強いバイアスがかかってしまうのです。
私達のする判断が平均値に「アンカリング」されているからだといわれています。
※
アンカリング効果:ある初期値が錨(いかり:アンカー)のような機能を果たし、思考が縛り付けられること。
■ 失敗の許されない世界
いわゆる「加点方式」がよいのか「減点方式」がよいのかは、仕事の特性による。
目的次第ということだ。
(行政機関の話なんぞする)
■ エンターテイメントは感動を追い求める
「ピーク・エンドの法則」のところで説明したように、人々の心に残るものを創るためには「ピーク」と「エンド」が重要になってくる。
ここで一つの例を考える。
AKB48のコンサートを2通りの方法で演出する。
[1] 中盤と終盤に盛り上がるよう演出する
[2] 初めから終わりまで程よく面白くなるよう演出する
この2つのコンサートに鑑賞にきたある観客の満足度をリアルタイムに観測することにすると、下図のようになった。

どちらがより観客の思い出としてより強く残るであろうか?
『ピークエンドの法則』によれば [1] になるはずだ。
そして、これがエンターテイメントが万能型のタレントではなく、一芸に秀でたタレントを求める理由だ。
「ピーク」を求めて、それゆえに「加点方式」の評価が必要になる。
■ 思い出というアンカリング
(冗長かも。期待効用と経験効用の話をしているのだから不要かな。)
■まとめ
しかも構想段階から。
自分にプレッシャーをかけるのと、まぁ永遠に終わらない可能性が高いから出来高で書くというのが一番大きいかな。
完成前にネタバレ必至・・
◆◆◆◆◆◆
さて、ニワカな知識でAKB48について語るシリーズの続編です。
当初の予定からどんどん解離していってます・・。
「変化」も重要だが、本質的な「絶対量」を忘れてはいけない。いつだって基本が大事。
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/bdf7548f7139201858d41566e5880152
指原莉乃が背負ったカルマ ~優越性ルールの侵害~ [途中] ←途中のままだ・・
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/85e5b4bb6e4a707ea700e555bca5051c
人はおとりに釣られる。 相対性の前では全てが錯覚。 ~おとり効果~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/7fc79b658340efabf6fb9461cbf8231d
如何にして顧客の日常となり得るか ~ 「ゼロの力」とググタスの未来 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/4c9821ec2aceb2416ab5aa3af807c062
◆◆◆◆◆◆
一流とのクロスオーバー 非選抜アイドルなやかんに賭ける
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/531d9316b29bc5f3aa6d82e9a8ac8467
↑上のエントリに頂いた「ちんとも」さんからのコメント。
やっぱエンターテイメントは『加点方式』ですね。一般社会の「減点方式」とは違う。
だからこそ夢がある。
面白い着眼点だと思いました。
今回はこの話を膨らませたいと思います。
日本社会において、よく「減点方式」が問題になることがあります。
教育の世界でも、仕事の世界でも「減点方式」が幅を利かせています。
一方、エンターテイメントの世界では「加点方式」が採用されることが多いです。
(クラシック音楽のコンクールなどは「減点方式」ですが)
一芸に秀でることが高い評価を得る鍵です。
これはなぜなのでしょうか?
実は、しっかりとした理由があります。
今回も参考図書としてダニエル・カーネマンの『ダニエル・カーネマン教授 心理と経済を語る』を使います。

■ 決定効用と経験効用
(まだうまくまとめれていない・・ここは後で書き直す)
「効用」という言葉には2つの意味がある。
「決定効用」と「経験効用」だ。
「決定効用」は、なぜそういう選択をするのかを説明するために使われる用語だ。
一方、「経験効用」というのは、結果と結びついた快楽体験である。
この効用は、ジェレミー・ベンサムが提起したもので、19世紀の経済学者が「効用」という場合には、たいていこちらの意味だ。
たとえばエッジワースの『数理心理学』には、これが明白に示されており、「幸福とは瞬間的な経験効用の経時的な総和である」と定義されている。
しかし、効用が「決定効用」と解釈されるようになった20世紀の初めになると、経済学の論文で「効用」という言葉が経験の一面で使われることはほとんどなくなった。
以前の「効用」の解釈によれば、選択が効用を最大化するかどうかは「人は自分にとって最も好ましい選択肢を選ぶかどうか」とうことだった。
しかし、「経験効用」と「決定効用」の区別を無視する現在の「意思決定理論」では、問題のあり方は非常に異なる。
選好は、選好同士がお互いに、また合理的選択の公理に矛盾しないかどうか、ということが問題とされるのだ。
アレやエルズバーグの「パラドクス」から「フレーミング効果」に至るまで、長きにわたって続けられた効用理論に対する現代の一連の挑戦によって、選好は矛盾するということが明らかにされてきた。
選べる選択肢からどんな満足な結果が得られるかを、正確に、あるいは少なくとも先入観に左右されずに予想する経済主体の能力は、人間にはない。
人は必ずしも、自分の好みがわかっていないし、選択の結果としての未来の経験を予想するに当たって、系統的なエラーを犯すこともしょっちゅうで、その結果、経験効用を最大化するのに失敗してしまう。
未来において自分が経験するはずの結果の効用を予測することを、「快楽予測」と呼ぶことにする。
快楽予測による効用の予測は、明白なこともあるし、はっきりとは示されないこともある。
はっきりと示されない場合、現時点での主体の選択か推測しなければならない。
恐ろしく空腹な状態の買い物客が、食料の買出しに出かけたとしよう。
彼は予測エラーを犯し、それによって間違った選択をしてしまう可能性が高い。
こうした予測エラーは、様々な理由で起こり得る。
快楽予測のほとんどは、注意深く考え抜いた結果ではなく、むしろ直感的なものなのでバイアスの影響を受けやすい。
直感的思考を支配するヒューリスティックスの多くには、置き換えプロセスが関わっている。
人は難しい問題に直面すると、それに関連する別の問題の答えが先に心に浮かんでくることがよくある。
違う問題に答えているなどと思いもせず、アクセスしやすい答え(直感的判断)が、必要な答えの代用として採用される。
たとえば、お腹を空かせて買い物に行き、美味しそうな食べ物をみてヨダレを流す人は、特別お腹が空いていない明後日の夜のことについて冷静に予測する代わりに、今現在の空腹状態で決定を下すかもしれない。
こうした代用は、聞かれてもいない質問に対して非常にアクセスしやすいという理由だけで応えてしまうという「アンカリング」といわれる方向性のバイアスに繋がる。
つまり、将来の快楽や感情の状態の予測は、現在の感情や動機の状態にアンカリングされているということだ。
この結果は「投影バイアス」と呼ばれる。
消費者が現在の自分の精神状態を、将来の精神状態に投影しているように見えるからだ。
ローウェンスタインは「熱情と冷静の共感性のギャップ」という現象を証明している。
空腹、性欲、怒りなおdによって興奮している時、人は、自分が「冷静な」時にどんな行動をするかを見誤る。
逆に、冷静な時には、興奮の影響を見誤る。
どちらの状況でも、現在の状態からの変化が与える影響の大きさを見くびっているわけだ。
投影バイアスは、効用最大化に反している。
効用最大化の観点では、来週おやつを食べる時の楽しみが、それを選んだ時点の空腹の度合いに左右されることなどほぼ有り得ないからだ。
■ ピーク・エンドの法則
我々には自分自身の過去の経験を「喜びや悲しみのピーク」と「終わり(エンド)」がどうだったかで判断する癖がある。
直感的に納得する人もいるかもしれないし、納得できない人もいるかもしれない。
ただ、実験では「ピーク・エンドの法則」は確かめられている。
(ここでダニエル・カーネマンの実験の話。手術の件かな。図もね・・)
これは、我々の知覚特性が、平均値を直感的に求めることができても、合計値を直感的に求めることができないことから来ていると思われる。
我々は、過去の出来事に対する評価を「総満足度」ではなく、他の指標で判断するのだ。
実験によれば、過去の出来事について考える時、我々の思考は「ピーク」と「エンド」にアンカリングされているという。
指原莉乃が背負ったカルマ ~優越性ルールの侵害~ [途中]
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/85e5b4bb6e4a707ea700e555bca5051c
■知覚の特性:足し算をすべき時に平均値を求めてしまう
私達は平均値を直感的に求めることができるのですが、合計値を直感的に求めることができません。
なので、ある一組のグループの価値の判断を直感的に行うと、エラーを犯す傾向が強くなります。
合計値ではなく平均値を使ってしまう極めて強いバイアスがかかってしまうのです。
私達のする判断が平均値に「アンカリング」されているからだといわれています。
※
アンカリング効果:ある初期値が錨(いかり:アンカー)のような機能を果たし、思考が縛り付けられること。
■ 失敗の許されない世界
いわゆる「加点方式」がよいのか「減点方式」がよいのかは、仕事の特性による。
目的次第ということだ。
(行政機関の話なんぞする)
■ エンターテイメントは感動を追い求める
「ピーク・エンドの法則」のところで説明したように、人々の心に残るものを創るためには「ピーク」と「エンド」が重要になってくる。
ここで一つの例を考える。
AKB48のコンサートを2通りの方法で演出する。
[1] 中盤と終盤に盛り上がるよう演出する
[2] 初めから終わりまで程よく面白くなるよう演出する
この2つのコンサートに鑑賞にきたある観客の満足度をリアルタイムに観測することにすると、下図のようになった。

どちらがより観客の思い出としてより強く残るであろうか?
『ピークエンドの法則』によれば [1] になるはずだ。
そして、これがエンターテイメントが万能型のタレントではなく、一芸に秀でたタレントを求める理由だ。
「ピーク」を求めて、それゆえに「加点方式」の評価が必要になる。
■ 思い出というアンカリング
(冗長かも。期待効用と経験効用の話をしているのだから不要かな。)
■まとめ