進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

入山杏奈の素敵なクイズ投稿を支持する。みんなでファンの理解を引き出す方法論を探求するべき

2012-07-13 11:19:45 | AKB48_メンバー
出遅れたけれども、あんにん(入山杏奈)さんのググタスでの試みは面白いと思う。

自分で考えたの?
誰かからのアドバイス?

前にHKT48のメンバーもやっていたらしいけど、あまり印象に残っていない。
グループに関係なく宿題の話題で問題が出されたりというのはあるけれど、それも印象に残っていない。
目的が違うからだと思う。















◆◆◆◆◆◆


ググタスやBBQ松村に関して何度か主張したのだけど、ファンに考えさせる方法論」を開発することは、基本的に良いことだと思う。

たまたま先日↓書いたのだが、人は人に「理解させる」ことはできない。



世に正義が存在すると信じる偽善、だがそれは人間の性 【リメイク】
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/ac8cd9dbee06389b1a672c076d7cd0b8


彼はアウシュビッツの極限状態においても、最終決定権は他者にはないことを説明している。


人は、人に対して財産を剥奪し、尊厳を喪失させ、命を奪うことも、人に過酷な環境を与えることはできるが、しかし、その環境の中で、その場でどうふるまうか、という最終意思決定について強制することはできない。



よって、ファンの理解を引き出す」ことが重要だ。



AKB48が挑戦している難しい問題 ~社会的複雑性(多様性の高まり)~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/81af48ec44ccac04b031909ccd3327c3


いつの時代にも悩みは尽きない。

おそらく、いつの時代にも繰り返されてきた問題提起はこうだ。

変化のスピードが速くなった。

問題は動的で複雑になった。

あらゆる多様性が高まった。


[中略]


社会的複雑性だ。

問題に関る人たちが価値観や認識、見解が大きく異なるということ。

アダム・カヘンは、この問題を解決するための方法論として「参加型プロセス」を提案している。

いろんな価値観の人をインクルージョンして(巻き込んで)、対話によって問題解決を図る方法論だ。


[中略]


各人の理解を引き出し、各人の考えを研ぎ澄まし、各人の無駄な駆け引きを抑えこみ、全体としてよりよい発想を生み出し、信頼を獲得し、さらなる学習を促し、みなが一つひとつの活動について迅速に反応できるようになる効果を期待できる方法論を開発するべきだ。

私が問題を難しく考えているように見えるかもしれないが、そうではない。

AKB48がそれだけ難しい問題に挑戦しているということなのだ。




Google+ での投稿の仕方を教えよう (メンバー向け)
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/d0dc3e73a2d409d9b962dea81e279215


情報は、属性情報よりも状況情報がよい。


たとえば「私の趣味は○○です。」といった情報では顧客から浅い理解しか引き出せない。
趣味が何かなどいうのは、言葉で言わなくても、本人の行動でわかるものだ。
「△△が見てるが、面白い。」「□□を買った。」といった情報から、本人が本当に興味関心を寄せているものが何かわかる。
そういった状況情報の積み重ねによって顧客は本人のことを本当の意味で理解しようとする。
また、顧客が理解しようとすることによって、顧客の関心や時間を奪うことができるのだ。

他にも、たとえば「今日は忙しかった」という情報からは、顧客は浅い理解しかできない。
もし午前中に「○○のリハーサル」、午後に「△△の撮影」、夜に「□□の収録」という情報があったら、顧客は本人が「忙しい」と言わなくても、本人が忙しいことを理解し、先回りして関心を向けるであろう。

「○○と仲が良い」という情報も不要だ。
「今日は○○と△△した。」「昨日□□と~~した」そういう情報があれば、いちいち人間関係について説明する必要は無い。




やすす先生! さすがです! ググタスの私的利用、万歳! メンバーもどんどんやりなさい!
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/a47ee36b3fe7f8b85e01bfb20be899ae


あくまでも、ググタス用に配布されたスマフォで「Google+での投稿と関係のないアプリの使用を禁止」なのであって、「Google+を私的利用してはならない」ということではない。
断じてない。

極端な言い方をすれば、ググタスはメンバーに私的利用してもらうためにある。


[中略]


また、ググタスは、AKB48のソーシャル部分を強化するために登場したのであるからして、その意味では、ググタスの狙うところの一つは、メンバーのソーシャル・グラフをAKB48の活動の上に載せていくことである。
つまり、ググタス上に、メンバーのソーシャル・グラフを載せるのだ。
なぜなら、それがメンバーの生活の実態だからである。
生活をさらけ出せという意味ではない。
メンバーの人となりを表現して顧客の理解を引き出すためには、属性情報ではなく状況情報が有効だという話なのだ。


[中略]


それと、マネジメント側から見れば、ググタスの利用に制約を与えすぎると、出てくる情報の幅が狭まり得られるものが少なくなるし、メンバーがグレー・ゾーンに足を踏み入れることで生まれる新しい何かの可能性を捨て去ってしまうことになってしまう。
それは有り得ないことだ。


やすす先生(秋元康)にとってのググタス(Google+) ~歩き回るマネジメント~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/2d14a072d051e907939baabfe9a9e2f1


[中略]


検閲問題の時と同じように、メンバーが萎縮してググタスでの投稿に主体性や積極性が失われることだけは避けなければならない。
ググタスの使い方に何かの枠をはめてしまうのはやめた方がいい。
どんどん新しいググタスの使い方を模索し、発見し、開発していくべきなのだ。


[中略]

メンバーのみなさん!
ググタスの私的利用は大歓迎なのでございます。(権利の問題だけ気をつけて)

両親、兄弟、親族、友達、先生、スタッフ、関係者、etc...

メンバーのあなたが悩んでること、考えていること、思っていること、楽しいと思っていること、悔しいと思っていること、悲しいと思っていること、怒っていること、それが分かるなら何でもOKなのです。

どんどん私的利用して、チャレンジしてください!!



◆◆◆◆◆◆


「お前は一体どんな立場で語っているのか?」と言われそうですが、語らせてください。

私の知る限り、マネジメントに関する議論は、ついつい「仕組み論」が主題になりがです。

「根本的問題を解決する」的な論法に説得力がありますし、何よりもカッコいいのです。

ですが、もう何年もそんな議論を繰り返していると、いい加減飽きてきます。

(単純に私が疲れただけです。)

(リーンスタートアップやアジャイルなどの話を聞くと、マネジメント思想への反動なんだろうな~という気がします。)

結局、仕組みだけじゃ人は変わらないと思うのです。

もちろん、人が環境や仕組みから受ける影響は大きいものがあるのは間違いないでしょう。

しかし、フランクルの例で書いたように、最終意思決定者が「自分」である以上、最後は「人」なのです。

学生の時、ある講義で教員にこう言われたのを何かにつけて思い出します。

(教師や設備が1流でも学生が3流じゃどうしようもないということを言いたかったようですが)

「馬を水飲み場に連れて行くことはできるが、最後に水を飲むかどうかは、その馬次第だ。」

仕組みや構造はものすごく重要です。

でも、主役は人間なのですね。

主役である人間が変わるために、どういう仕組みが必要か。

AKB48は、ファンの理解を引き出す方法論を探求していくべきです。

封建領主たるメンバー個人でこういう活動をやるのは大変に素晴らしいと思います。


マス時代の終わりとアイドル戦国時代、そしてAKB48ネットワーク
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/46ac6f1a1c4f937a34a0d1ed5d2e64ae


(ちょっと時間ないのでかなり適当なまとめになってしまいましたが・・あとで書き直そう・・でも今日時間ない)

価値を決めるのは顧客である、現実を決めるのは顧客ではない

2012-07-13 00:29:50 | AKB48_イノベーション
昨日久しぶりに新宿行ったのだが、ロシア料理を食べるつもりが途中にあった居酒屋の誘惑に負けてしまい・・まだ調子が悪い(笑)

何も考えられない・・今日は早く寝よう(--;)


◆◆◆◆◆◆


乗り遅れた感があるのだが、BLOGOSで元AKB48アシスタント・プロデューサーの岩崎夏海さんが面白いことを書いていた。
コメント欄も盛り上がっていたようなので、私もちょっと反応したい。

(書きたいネタがどんどん後回し・・)


面白さを決めるのは読者ではない
http://blogos.com/article/42575/


絶対的な「笑いの法則」
http://blogos.com/article/42712/


2つ目の補足記事はいらないような気がするけど・・話がわかりにくくなっている



まず、最初に明らかにしておくべきことは「面白さ」の意味である。

一般的に「面白さ」は「効用(満足度)」であるので、主観評価にあたる。

この意味では、多くのコメンテーターが批判しているように「面白さを決めるのは読者」である。

しかし、岩崎さんは、一般用法としての「面白さ」を「満足度」に置き換えているわけなので、主観評価としての「面白さ」を前提とした批判は、この場合は批判として成立しない。

「面白さ」という言葉をそのまま使うことを批判するのは有りだと思う。

誤解を招かない為には、例えば「面白さ」ではなく「真・面白さ」「面白さ定理」といった言葉を使うことが有効だろう。

(自分のネーミングセンスの無さに嫌気がさす・・orz )



では、ここでの「面白さ」とは何なのか?が一つの重要なテーマになる。

岩崎さんはこう言っている。


それ(面白さ)は、この世にすでにもともと存在している、先天的なものなのだ。この世には、ピタゴラスの定理みたいに「面白さの公式」というのがあらかじめ在って、ゆるがせにしがたい。


この宇宙には「面白さ」に関する公理のようなものがあるという。
コメント欄の中に、プラトンの「イデア」を持ち出して説明するものがあったが、そんな形而上の話を持ってこなくても簡単に説明できる。



こういう場合は比喩を使うのが手っ取り早い。


たとえば、ここに高層ビルがあるとする。
さらに、このビルは震度7の揺れにも耐える最新の免震構造を持っているとする。

このビルは「安全」だろうか?

安全かどうかは主観である。
安全基準が定義されていようとなかろうと、最終的に「安全かどうか」を判断するのは人間の仕事だからだ。

しかし、「安全」かどうかを判断するにあたって参照するであろうこのビルの震度7にも耐える免震構造は主観ではない。
免震構造そのものは「安全」ではないけれど、安全と判断されるべきモノとしてそこに存在するわけだ。

これは「現実」だ。



たとえば、予防注射をすることを考える。

注射は「痛い」のだろうか?

痛いかどうかは主観である。
しかし、痛いという判断の基になる注射針が身体に刺さるというコトはそこに存在するわけだ。

これも「現実」である。



当Blogのいつもの主張になるのだが、価値を決めるのはいつだって顧客である。

だが、その価値判断の基となる現実を決めるのは作り手である。

現実によっては価値が変わってくるが、でも価値判断は現実だけによって決まるわけではないのでやや面倒だ。

「価値」と「現実」は違うものだという、極当たり前の話である。


たぶん、岩崎さんが言いたかったのは、それとは別に、この現実から価値への変換経路(主観評価)上に「面白さの定理」があるという話だと思うが、あるとも言えないし、ないとも言えない。

当Blogの行動経済学シリーズで人間の主観評価が如何にいい加減か説明してきたが、人間のその時々の心理状態も含めた上での統一理論的なものがあるとは言える段階にない。



細かいこと言い出すときりがない。
「認知されない現実は存在していると言えるのか?」とか
「現実はありのままの存在で、認知した現実は事実だ。認知したものを現実と呼ぶなら、現実を決めるのも顧客だろ?」とか。