当Blogの誇るべきものは、皆様の良識だと思います。
私の意見に肯定/否定もしくは中立に関係なく、どちらの立場からのコメントであっても良識あるものばかりで、いつも楽しいし、勉強になることも多いです。
匿名ブログ・匿名コメントにも関わらず、こうして意見交換できることは、これは本当に素晴らしいことだと思っています。
いつもありがとうございます。
(NGO推しの方からのコメントも絶賛募集中です!いろいろ教えてください!)
さて、最近コメント欄にて少し盛り上がったと思っている話題に、「メンバーに対する負荷についてどう考えるか」といったものがありました。
負荷をかけてくるのは運営であったりファンであったり、事務者やメディア、家族、友人にスポンサーなど様々だと思います。
それぞれに対してどう考えるべきか、という話がメインだと思いますし、私自身の考えも述べてきましたが、ふと今日はそこから離れて、ちょっと違う側面から語りたくなってしまいました。
こういうのも面白い
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/7eb4cca6d140556a50a6fd213dc83b47
↑こちらにムーさんから頂いたコメントを読んで、コメントへの回答とは別にあることを想わずにはいられませんでした。
>「高校生が怪我を押して試合に出ること」とか「過呼吸になってもファンに向き合うこと」とか全面的に賛成することはどうしてもできない
ムーさんの想いはよくわかった気がします。
1つの意見として尊重されてしかるべきだと思います。
大事なことです。
それとは別に、ムーさんのコメント読んでいたら、ふと戦争のことに想いを馳せてしまいました。
今日も東京は暑いですね。
なぜか夏が来ると、太平洋戦争のことを考えるんですよね。
終戦記念日が夏にあるのと、祖母から戦争体験の話を何度も聞いて育ったからかもしれません。
たとえば、若者が神風特攻隊として太平洋に散っていった話。
哀しい話です。
二度とこういうことを繰り返してはならないと、切に思います。
若者を特攻隊として戦争に送り込んだ大人たち、許せません。
でも、特攻していった若者たちを否定する気にはなれません。
そもそも、大人たちが特攻隊を組織しなければ、馬鹿な意思決定をしなければ、命を無駄にすることを防ぐことができました。
「特攻隊などやるべきではなかった。」全くもってその通りです。
しかし、「若者たちは特攻などやるべきではなかった。」と思えるかどうか。
今なら思えます。
断固として反対するべきでした。
でも当時なら?
彼らは何のために特攻していったのか。
国、家族、恋人、友人、未来の日本人、大切な人たちのため?
思いつく選択肢がそれしかなかったのだとしたら。
思い悩みながら、内心複雑な心境で、特攻していったのかもしれません。
それが自分にできることだと考えたから、ではないかと私は思うのです。
戦争などしなければ、戦争をしても泥沼の長期戦をしなければ、そんなことを悩む必要はなかった。
大局的な視点より構造的問題として問題を解かなければならないのは間違いありません。
でも時間は刻々と流れては、現実を突き付けてきます。
全ての人は当事者で、現実から逃れることはできないのです。
話を極端に振り過ぎかもしれませんが、似てる気がするのですよね。
答えを提示しようという気は全くありません。
答えを提示するには、あまりにも多くの問題を解かなければならないから。
「答えのない話だ。」
などと言って今日も遠い景色を見る自分がいる。
海にでも行きたい。
泳ぎにではなく、遊びにね。