進化する魂

フリートーク
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AKB48運営は失敗を認められるか ~危機管理の模範的教材:タイレノール事件~

2012-07-28 09:56:16 | AKB48_経営戦略・組織論系
調子が悪くて・・体調も悪くて余裕もないという状況です。

それでつい・・帰りのコンビニで買った「ストロングゼロ」をプシュッとしたところです。
ここずっと家では飲まないようにしてたのになー。


気分がネガティブだからというわけではないのですが、今日は少し趣向を変えて、リスク管理について語ろうと思います。

指原の件で、運営の対応はANNの時は最高だったが、その後の対応は最悪だと思ったから。

一貫性の無さに、スピード感の欠如。

みんなにいい顔をしようと形式にこだわりズルズルと引きずったがために、望ましくない結果を呼び込んだと個人的には思う。

(指原本人にではなく、AKB48全体に)

念のために言っておくが、私には誰かを責める意思はない。

(みんながんばっているのだろうし。)



さて、本題に入ろう。

リスク管理の教材として燦然と輝くジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)のタイレノール事件について。

今回の参考図書は、リチャード・S・テドロー『なぜリーダーは「失敗」を認められないのか』






長いし、とりわけ強く主張したいわけでもないので、単なる読み物として読んでもらえればこれ幸いです。


◆◆◆◆◆◆


■ある日、突如として事件は起きた


1982年9月29日。

イリノイ州シカゴ郊外のエルクグローブ村で事件は起きた。

12歳の少女が突如として原因不明の不慮の死を遂げたのだ。

さらに同じ日、エルクグローブ村のすぐ近くアーリントンハイツで、27歳の郵便局員が同じように、理由も分からないまま死亡した。

兄と義姉が見舞いに行ったところ、兄は突然死し、義姉はこん睡状態となり10月1日に死亡した。

さらにさらに、9月30日にはエルクグローブ村の近くに住む3人が亡くなった。

みな突然死だった。

原因が全く不明であったため、保健当局は事件が発覚した地域を隔離することも検討しはじめた。

そんな中、救急隊員が事件に共通する要因を発見した。

死亡もしくは危篤状態にある全員が、その直前に『タイレノール・エクストラ・ストレングス』というカプセルの鎮痛剤を服用していたのだ。

タイレノールはアメリカで最もよく知られる鎮痛剤で、当時1億人のアメリカ人が服用していた。

しかし、タイレノールを服用したつもりだった7人の被害者が口にしたのは、極めて毒性の強いシアン化合物だった。


■どうなった?


死亡事故の知らせがタイレノールの製造元マクニール・コンシューマー・プロダクツの親会社であるジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)の本社に届いたのは、9月30日のことだった。

多くの人が危険にさらされていることは、誰の目にも明らかだった。

J&Jの経営陣にとってこの問題は、多くの一般の人々が危険にさらされている重大な事件であると同時に、7万5千人もの従業員とその家族を守らなければならない問題でもあり、また何十万人もの株主に対する責任も負っていた。

しかも、情報も無ければ、参考となる前例も一切ない中で、迅速に重大な決断をしなければならなかった。


先に結果を述べておこう。

ご存知の人も多いが、『タイレノール』というブランドは生き残った。

今日、このときにJ&Jがとった行動は、危機管理の模範例として語り継がれている。


■J&Jは何をしたか?


「製品として、ブランドとして、タイレノールは終わった」


当時CEOだったジェームズ・E・バークは、有識者やアナリスト、専門からの主張に屈せず、事実が何かを判断するために必要なデータを集め、徹底的に調べた。

事実ではないことを無批判に受け入れるのは、事実を拒絶するのと同じだと理解していた。

バーグは、被害者や遺族の苦しみを軽んじたり、覆い隠そうとすることは一切しなかった。

たとえ無実だとしてもJ&Jがこの事件に関わったことに対し、バークはこの危機の核心に、「人間性」という要素があることを理解していた。

危機が発生して最初の混乱に満ちた数時間の間に、J&Jが最初に出した指示は、「何がどのように起きたのかを正確に尽き止めよ」というものだった。

9月30日、バーグはタイレノールに責任を持つ部門であるマクニール・コンシューマー・プロダクツの会長ウェイン・K・ネルソンに連絡を取った。

ネルソンはオーストラリア出張中だったが、こう言った。

「工場の管理体制から考えて、毒物混入が発生したのは工場ではない。今年の給料を全て賭けてもいい。」

9月30日、事態は急展開を見せる。

当局が記者会見を開き、死因がシアン化合物であり、シアン化合物入りのカプセルがはいった瓶は、すべて製造ロットが同じものだった。

そのロットでは、合計470万個のカプセル、9万7千本の瓶が製造され、31の州に出荷されていたため、被害が広範囲に起きる可能性があった。

マスコミは大騒ぎだ。

ジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件以来の大騒動となった。

9月30日の午後、J&Jは殺到する消費者からの問い合わせに対応するため、フリーダイヤルを開設した。

問い合わせの電話を受けるための人員を確保するのも容易ではなく、社内でボランティアを募ったほか、従業員の家族も応援に駆けつけた。


■正直に事実を受け入れる


最初の数日間で、メディアからの問い合わせは2500件あったが、J&Jにも情報が無く、マスコミに対して、信頼できる情報があったら何でも知らせて欲しいと逆に頼んでいた状況だった。

最初に突き止めようとしたのは、工場の敷地内にシアン化合物があるか否かだ。

工場にいた全員がそれを否定したため、J&J本社に伝え、それはそのままメディアに伝えられた。

しかし、残念ながらそれは事実ではなかった。

工場には食品医薬品局のルールに基づいた品質検査で、タイレノールの原材料の純度を確認するために使用される少量のシアン化合物があったのだ。

その事実がわかると、工場からJ&J本社に伝えられ、またそれはそのままメディアに伝えられた。

当時、この事件はJ&Jの社内的な原因によって引き起こされた可能性が有力視されていたため、J&Jが工場にシアン化合物は存在しないと発表した後に、やはり工場内にシアン化合物があったと認めたことは非常に重要な意味があった。

シアン化合物の存在を認めたこと、しかもその迅速さによって、同社への信頼は一気に高まったのだ。

こんな事実を躊躇無く公表する会社であれば、間違いなく事実を明らかにすると感じたのだ。


■迅速な対応


9月30日の時点でタイレノールの宣伝は中止され、夕方には問題の起きたロットで製造された全ての瓶についての回収がはじまった。

小売店の棚から商品は姿を消したのだ。

さらに、同じ9月30日に、J&Jは医師、病院、小売業者に向けて詳細が明らかになるまでタイレノールの使用を中止するよう45万通のファックスを送った。

その上、問題のロットを製造していた2つの工場を閉鎖した。

事件の本質部分を特定し、限定しないままでは、どんな対策も効果を生まない可能性があったし、タイレノールがリコールになれば、犯人は意を強くし、他の製品に対しても犯行を企てるかもしれなかった。

何をすべきかは誰にもわからなかったが、バークは、この事件は「国家的危機」であるという結論に達した。

J&Jはロットに関係なくタイレノール全てについての全国的なリコールを決めた。

しかし、FBIはタイレノールを市場にとどめておく方が望ましいと主張した。

治安当局としては、変わり者達が増長する可能性があるための反対だった。

食品医薬品局の長官はそれ以上にリコールに反対した。

通常は行政機関が市場からの製品回収を要求するというのに、このときは反対だったのだ。

タイレノールの売れ行きは目覚しく、その年の業績は素晴らしいものになる予定であったが、J&Jはリコールを決めた。

さらに、FBIと食品医薬品局と協力し、800万錠のカプセルを調査した。

調査、回収、廃棄のコストは全てJ&Jが負担し、費用は総額は約1億ドルにもなった。


一番問題だったのは、犯人が逮捕されなかったことだ。

今日に至るまでタイレノール事件の犯人はわかっていない。

当時、タイレノール使用者のほぼ半数は2度とタイレノールは使わないと回答していた。

一方、ライバルたちは、タイレノールの回収によって生じた市場の隙間をうめようと画策していた。

10月7日、J&Jは問題がタイレノールというブランドにあるのではなく、「製品形態」にあるという認識に基づき、タイレノールをカプセルからタブレット錠にする計画を発表する。

(タブレットなら毒が混入できない)

10月11日、J&Jはタイレノール・ブランドの存続を決定した。

10月15日、食品医薬品局は毒物混入を巡ってJ&Jには一切の過失や不正が無かったと正式に発表した。

競合他社はタイレノールの災難に乗じることはできなかった。

事件発生から3週間あまりが過ぎた10月22日、タイレノールの新しいテレビCMが放映された。

CMは地味で単刀直入な内容だった。

「私たちを信じてください。」

というものだった。

151語の台詞の中で、「信頼」という言葉を5回も使った。


■問題の本質へ


バークは、「時間」がブランドの命運を握っていると感じていた。

市場からタイレノールを回収してしまった以上、できるだけ早急に再投入しなければ、顧客がライバルに乗り換えてしまう。

11月4日、食品医薬品局は医薬品の包装に関する新たな規制を発表した。

カプセル剤のような異物を混入されやすい形態の製品は、混入しにくく、また万一何かが混入された場合には、それが一目でわかるように容器に封入しなければならない、というものだ。

アメリカ政府も事件に対するJ&Jの解釈を追認したということだ。

毒物混入は特定のブランドの問題ではなく、むしろ異物が混入されやすい製品全体の問題なのだ。

11月11日、J&Jは業界の先陣を切って、当局が義務付ける予防策の3倍にあたる、3重の密封構造をしたタイレノールを数週間以内に再び市場に投入すると発表した。

しかも、新たなパッケージのコストは販売価格には転嫁せず、J&Jが負担するとした。


■そして結果は


11月末には、タイレノールの市場シェアは事件発生前の55%に回復した。

ウォール・ストリート・ジャーナル紙は「マーケティングの奇跡」と称した。

奇跡はそれで終わらず、翌年の1983年には市場シェアは事件前の85%までに回復し、1984年には事件前の水準を超えた。

バークはこう言う。

「これまでJ&Jをつくってきた過去の経営陣は、”会社そのものに対する信頼”という最強の武器を我々に継承してくれた。たとえどれほど深刻な問題であろうと、100年にわたって築かれた信頼があれば、解決は不可能ではない。」



■なんとまた事件が・・


1986年2月7日、またタイレノールで事件は起きた。

しかし、ここでもバークはうまく乗り切るのだ。

(省略する)



■教訓


(省略してる部分があるので、伝わっていないかもしれないが)

『タイレノール事件』が教えてくれるのは、自らが向き合うべきものは官僚的な形式主義ではなく、人間の感情であるということだ。

結果うんぬんよりも、その瞬間が「決定的瞬間」であること、「事実を語るべき瞬間」であるということに気づくことだ。

現実否認を拒み、事実と正面から向かうことで、バークはブランドを守っただけではなく、アメリカの人々の日常に、忘れられない瞬間を刻んだのである。


■恋愛禁止条例という内輪の論理とAKB48ブランド


(指原の博多での活動が多くなり、ひと段落したところで個人的な見解を述べようと思う。)

『恋愛禁止条例』などというのは所詮、AKB48の内輪の論理である。

AKB48に興味がない人にとってはどうでもいい話題だ。

しかし、だからといって恋愛禁止条例にまつわるスキャンダルを内輪の論理で片付けていいかというと、それは別問題だ。

表面上の問題は「恋愛禁止条例が破られたこと」だが、本質的な問題は「AKB48への信頼が傷つけられる可能性があること」だからである。

以前より問題が起きる度に「恋愛禁止条例の是非」が論じられてきたが、それと運営が問題に対して取るべき対応策は別の話だ。

運営が考えるべきものは「どうやってAKB48ブランドへの信頼を守るか?」であった。

(AKB48ブランドは内輪の論理だけで語れるものではない。)

私は、今回の件で運営がそのような観点で迅速に行動をとったとは残念ながら思うことはできなかった。

一貫性およびスピード感に欠ける対応で、最後までメンバー個別の問題として、内輪の論理で処理してしまったと思う。

運営は顧客にどのようなメッセージを送ったのだろう?

タイレノール事件におけるJ&Jのようにメッセージを送れただろうか?


私自身27時間テレビでがんばる指原を応援していたし、これまでも指原を擁護する立場を表明してきた。

ただ、指原自身の問題と、AKB48の問題は関連はしていても同一のものではない。

指原は与えられた立場でがんばるしかできないし、彼女はよくやっているし、彼女のがんばりは評価されてもいいと思う。

だが、ANNでやすす先生が「AKB48のために」即日博多への引越しを命じたのにも関わらず、諸般の事情を優先し、命じられたものが後回しになってしまった。

短期的にはそれでいいだろうが、AKB48がそれによって失ったものは大きいと私は思う。

(感覚的な話だが、今回の件はボディーブローのように徐々に効いてくる可能性すらあると私は思う。)

一度傷つけられた信頼を取り戻すためには、何倍もの努力が必要だ。

「信頼など傷つけられていない」と主張する人もいるだろうし、私には自分の意見をより詳細に説明する気力も能力もないので、私の誤解ならそれ以上この話はしない。


さて、今回の件を「失敗」だと思っているのは私だけかもしれないが、果たして今後この失敗を生かすことができるのだろうか。