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経営の未来 ~未来を変えるための話をしよう~

2012-07-01 23:27:07 | AKB48_経営戦略・組織論系
『従業員』の誕生 ~時代遅れになった経営管理思想~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/3b47570c6eaf0e12ed74bac960e3f2d8

の続き。
今回も参考図書はゲイリー・ハメル『経営の未来』だ。




長いです。
(gooブログの制限ギリ)


◆◆◆◆◆◆



1968年のクリスマス・イブ、アポロ8号の司令船が人工物としては初めて月の軌道を周回した。

地球に向けての帰還飛行中に、地上管制官の幼い息子が父親に尋ねた。

「誰があの宇宙船を動かしているの?」と。

この質問が帰還中のクルーに中継で伝えられると、ビル・アンダース飛行士はこう答えた。

「今はアイザック・ニュートン卿がほとんど動かしていると思うよ。」




実に示唆深い言葉だ。

「誰があなたの会社(組織)を動かしているのですか?」と問われたらなんと答えるだろうか。「CEO」「幹部チーム」「中間管理層の全員」といった答えが思い浮かぶかもしれない。それらの答えは正しいのではあるが、真実のすべてではない。20世紀初頭に「近代」経営管理のルールや慣行を生み出した人びと、当の昔に亡くなった少数の思想家や実務家によって、今現在もほとんど動かされているのだ。

 これらの開祖たちの影響は極めて広く行き渡っているので、経営管理の技術は会社が違ってもごくわずかしか違わない。ほとんどの企業が、ほぼ同じような経営管理の階層を築いているし、似通った管理システムや人事慣行、計画策定プロセスを持ち、似通った報告体系や評価制度に支えられている。CEOが別の会社に移るのがきわめて簡単なのはそのためだ。

 だが、物理学の法則と違って、経営管理の法則は規定のモノでも永遠のモノでもない。そして、それは悪いことでもない。なぜなら、経営管理の仕組みは、今、背負うことを意図されていなかった重荷を背負わされて苦痛にあえいでいるからだ。変化のペースの速さ、束の間で消える優位、既存の技術を駆逐する画期的技術、従来の秩序を破壊する競争相手、細分化された市場、絶大な力を持つ顧客、反逆する株主・・・これら21世紀の挑戦が、世界中の組織の構造上の限界を揺さぶっており、時代についていけないでいる経営管理モデルの限界を顕にしているのである。


■近代経営管理


 経営管理の活気に満ちた革新的な青年期は100年近く前に終わっている。実際、近代経営管理の重要なツールや技法のほとんどは、19世紀の、南北戦争が終わって間もないころに生まれた人々によって発明されたのだ。それらの大胆不敵なパイオニアたちは、規格化された職務マニュアルや作業方法を開発した。生産計画や生産スケジュールの作成手順を生み出した。原価計算や損益分析の複雑な手法をマスターした。例外ベースの報告システムを設け、細かい財務管理の手法を開発した。インセンティブに支えられた報酬体系を編み出し、人事部を創設した。資本予算配分の精巧なツールを生み出し、1930年ごろには事業部制組織の基本構造を築くとともに、ブランド管理の原理を突き止めていた。

 近代経営管理は、その発展の過程で多くの難しい問題をねじ伏せてきた。複雑な作業を小さな反復可能なステップに分解すること、標準的な業務手順に従わせること、コストや利益を1セントに至るまで細かく計算すること、何万人もの社員の活動を調整すること、さらにはグローバル規模で業務をシンクロさせることなどに成功してきた。だが、これらの成功には高い代償が伴った。


■近代経営管理の副作用


 近代経営管理の仕組みは、気ままで独断的で、自由な精神を持つ人間を標準やルールに従わせはするが、それによって莫大な量の想像力と自主性を無駄にする。業務に規律をもたらしはするが、組織の適応力を低下させる。世界中の消費者の購買力は増大させはするが、同時に何百万人もの人々を封建的ともいえる上位下達の組織に隷属させる。おまけに、企業の効率を劇的に高めてきたものの、企業の倫理性を高めてきたという証拠はほとんどないのである。

 近代経営管理は多くのモノをもたらしてきたが、それと引き換えに多くのモノを奪ってきた。そろそろこの取引について考え直してもよいころだろう。


■マネジメント2.0


  「世界で最も高名な経営のエキスパート」「当代随一の戦略の大家」「世界屈指の事業戦略家」そう評されるのがゲイリー・ハメル。彼の名前を知らなくても彼の言葉を知っている人は多いだろう。「コア・コンピタンス経営(Competing for the Future)」がそれだ。2009年には、19世紀の南北戦争の終結からまもない時代に生まれた人々(代表格はフレデリック・テイラーやマックス・ウェーバー)の手によって考案された現代経営手法(マネジメント1.0)と別れを告げるべく「マネジメント2.0」を提唱している。

 彼が『経営の未来 マネジメントをイノベーションせよ』(The Future of Management)で主張するのは、まずイノベーションにはいくつかの種類があるというのだ。「経営管理イノベーション」「戦略イノベーション」「製品/サービス・イノベーション」「業務イノベーション」の4つだ。その中でも、彼は究極の優位を創り出す「経営管理イノベーション」の重要性を力説する。競争優位の劇的かつ長期的な変化を生み出す力が、他のイノベーションよりはるかに大きいというのだ。


■軍事力における持続的優位


 この主張は大げさに聞こえるかもしれないが、軍事力における持続的優位の原因を探求してきた軍事評論家たちの研究結果に支えられている。軍事力の場合にも、マネジメント・イノベーションがカギになるようだ。戦争では、ビジネスの場合と同様、ほとんどの勝利が短期間の一時的なものだ。だが、歴史の血塗られたページには、往々にして兵員や物資の面で不利な状態にあるにも関わらず、常に敵を打ち負かしてきた軍事体制が散見される。容易に想像できるように、これらの事例は、ビジネススクールの教授同様、競争優位の根本原因を明らかにすることに関心がある軍事学者にとって、大いに関心をそそるものだ。一部の軍隊が長期にわたって軍事的優位を保持しているのはなぜなのかと、彼らは考える。

 この問いを前にした時、一般の人は優れた兵器のおかげだと考えるのではないだろうか。主な論拠としては、次のような事実が挙げられるかもしれない。
 
・飛距離が長く、恐れられたイチイの木の長弓。14世紀にエドワード3世の軍隊が、この弓でイングランドの敵に何度も手ひどい打撃を加えた。

・15世紀にイベリア人が生み出した操舵性が高くスピーディなキャラベル船(3本マストの小舟帆船)。ポルトガルとスペインに、世界に跨る帝国を築く上で大きな優位を与えた。

・19世紀中ごろに完成された後装式ニードル銃。プロイセンの歩兵に敵国に対する大きな兵的優位を与えた。

・レーザー誘導方式や衛星誘導方式のミサイル。湾岸戦争とイラク戦争で、連合軍がサダム・フセインの軍事施設を正確に破壊することを可能にした。


 だが、マクレガー・ノックスとウィリアムソン・マーレイが『軍事革命とRMAの戦略史』にまとめているような軍事戦略の歴史を詳しく読んでみると、技術的優位はたいてい短期間で失われていたことがわかる。戦争では、一方が他方の武器を奪ったり、さらにはそれらの武器を製造した人間を捕えたりする。大金を積まれて職人が寝返ることもある。外国のスパイが設計図を手に入れることもあれば、同盟国に武器を売却したところ、その国が後に敵になるということもある。優れた戦時指導者が生み出す戦術的・戦略的優位は、技術的優位よりいくらか長持ちするものの、その差はごくわずかである。成功した作戦や新しい陣形は、たいていすぐに模倣されて効力がなくなってしまう。一度の勝利は、優れた技術や戦術の才や他のいくつもの要因のいずれかで説明できるかもしれないが、何度も繰り返される軍事的成功、戦争の大混乱の中から何度も勝利者として立ち現れる能力は、それらの要因では説明できないのである。

 高度な兵器や優れた指揮官ではないとしたら、では、長期的な軍事的優位を生み出すものは何なのか。ノックスとマーレイは、長期的な優位はたいてい軍事ドクトリンや軍事組織の重要な進歩によるもものだと主張している。歴史上の長らく勝ち続けた軍隊のほとんどが、過去に別れを告げて、兵士を鼓舞し、配属し、訓練し、配備する新しい方法を思い描くことのできた軍隊だった。これらの軍隊は、マネジメントのイノベーターだったのである。
 
 次に挙げる3つの事例は、この重要な点を理解する助けになるだろう。
 (かなり省略版)


(1)イギリス軍がインドで、18世紀半ばから200年後に撤退するまで成功し続けたのは、決して高度な兵器のおかげではなかった。インドの兵器はイギリスの兵器と少なくとも同等の性能を持っていた。現にウェリントン公爵は、1800年にインドに駐留していたとき、現地で製造された大砲の質の高さにいたく感心して、それを自分の砲兵隊で使うことにした。イギリスの東南アジア占領は、主として「連隊制の相対的優位」、組織イノベーションのおかげだったのである。
 
連隊制:
 近世以降の陸軍の部隊編制単位のひとつ。連隊は管理・行政用の単位で、そのまま一つの駐屯地・兵営に相当することが多い。

 王や女王は何千マイルも離れたところにいるのだから、連隊は兵士の忠誠心の身近な対象だった。そのうえ、半永続的な組織である連隊は、厳しい戦闘を通じて得た知識、以前は戦争が終わって軍隊が解散した時点でえてして失われていた知識を、次の軍事作戦に活かす理想的なメカニズムだった。


(2)ナポレオンの軍事作戦は世界中の士官学校で今なお分析されているが、彼の成功は主として軍事ドクトリンのイノベーションのおかげだった。フランス革命以前は、フランス軍は君主、はるか遠くにいる、たいていは士気を鼓舞してはくれない人物のために戦っていた。しかし、ナポレオンは革命後のフランスで、ナショナリズムの熱い残り火を煽って戦闘意欲の猛火に変えることに成功したのである。「フランスの栄光のために」は、封建制度では決して引き出せない勇猛さで市民を戦わせることができたようだ。結果は、プロイセンの軍事学者カール・フォン・クラウゼヴィッツが「国民全体の力に支えられた無敵の存在」と呼んだ協力な軍隊だった。


(3)プロイセン軍は、1806年にナポレオン軍に敗れたのち、やがて世界の大規模軍がこぞって模倣することになる一連の組織イノベーションを行った。一つは、何百年もの伝統に悲壮な決意で別れを告げて、将官の任命を厳密に能力主義による方式に変えたことだ。貴族の出だから昇進できるということは、もうなくなったのである。もう一つの重要なイノベーションは、参謀システムの構築だった。プロイセン軍の改革者ゲハルト・フォン・シャルンホルストは、軍隊が一人か二人の将軍の能力に頼りすぎるのは危険だと考えていた。必要なのは、指揮官に独立した立場からアドバイスを提供できる、専門的訓練を受けた、並はずれて優秀な将校の集団だった。こうして、事実上すべての近代企業で実施されてきた組織原理、「現場」と「本部」の概念が生まれたのである。



■余談:トヨタの優位を理解するのに20年もかかったアメリカ自動車産業


 アメリカの自動車メーカーは、20年も努力してきたのに、トヨタの超効率的な製造システムを真似することに、なぜいまだに成功しないのだろうか。とあるメーカーの上級幹部グループの発言からそれを探ってみる。

 財務部門のトップが「わが社はトヨタに関する20回目のベンチマーキング調査を終えたところだ」と言った。そこでこう問うてみた。「19年目にも18年目にも17年目にも、その前にもずっと学ばなかったけれど、20年目には学べるということがあるのですか?」と。気まずい沈黙の後、一人の幹部が口を開いてこう説明した。

 20年前、わが社はトヨタについて研究するために若手社員を日本に派遣するようになった。帰国した彼らはトヨタがどれほど素晴らしいかを説明したが、我々はそれを信じなかった。彼らはゼロを一つどこかに置き忘れてきたんだろうと思った。1台あたりの欠陥がそんなにすくないなんて、あるいはそんなに少ない作業時間しかかからないなんて、それで車が作れるはずがないと、決めつけていたわけだ。トヨタが多くの重要分野で本当にわが社より優れているのだと認めるまでに5年かかった。

 次の5年は、トヨタの優位はすべて文化によるものだと思い込もうとした。「和」や「根回し」など、トヨタが社員との間に築いている日本独自の協力と協議の精神によるものだとね。アメリカの労働者はこうした家族主義的な慣行は決して受け入れないはずだと、我々は思っていた。
 
 その後、周知の通りトヨタはアメリカに工場を作り始め、アメリカでも日本と同じ結果を出した。そのため、文化云々という我々の言い訳は通用しなくなった。次の5年間は、我々はトヨタの製造プロセスに注目した。ファクトリー・オートメーション、サプライヤーとの関係、ジャストインタイム・システム、とにかく、あらゆるものを研究した。だが、徹底的なベンチマーキングを行ったにも関わらず、わが社の工場では同じ結果は得られそうになかった。トヨタの成功は社員の能力とリーダーの責任についての全く別の原理に支えられているのだということを、我々がようやく自分自身に認めたのは、ここ5年間のことなのだ。

 驚いたことに、アメリカの自動車メーカーがトヨタの優位を理解するには、20年近い歳月がかかったのだ。欧米の自動車メーカーとは異なり、トヨタは現場の社員が、魂のない製造マシンの歯車以上になれることを信じていた。適切なツールと訓練を与えられれば、問題解決者やイノベーターや変革推進者になれることを信じていた。トヨタは労働者の中に、終わりのないハイペースの業務改善に必要な英知を見て取っていたのである。それに対しアメリカの自動車メーカーは、現場の社員がなしうる貢献を見くびるきらいがあり、品質や効率の向上は本社の専門家の仕事としていた。ヘンリー・フォードはかつて「手を貸せと言ったら、どうしていつも頭もついてくるんだ」と、不満げに言ったとされるが、現場労働者の知性を侮る姿勢はそれほどひどかったのだ。

※トヨタは1年間に50万件を超える社員からの改善案を受け取っている


■未来を変えるための話をはじめよう


 まず、変革とか、イノベーションとか、社員参加といった大きな問題を一つ選び、それから10人ないし20人の同僚を集める。集まった同僚に自分が選んだ問題を示し、各人にその問題に関する正しい考えだと思うものを10個、書き出してもらうことにする。ポストイットを使って、1枚に1つずつ書き記してもらう。それから、集めたポストイットを壁に貼って、似通った考えをグループにまとめていく。どのグループにも入らないと思われる考えは、当面、脇に置いておく。最も深く吟味する必要があるのは、多くの人が正しいと思っている考えだ。これらの考えは異論の余地がないように見えるので、検証されることはめったいないからだ。

 あなたが選んだ問題が適応力だと仮定してみよう。あなたは同僚たちに、大企業における変革について、正しいと思う考えを10個、書き出してくれと頼んだ。集めたポストイットをグループ分けしてみると、多くの人が正しいと思っている考えのトップ3は次のモノだ。

1.根本的な変革を起こすためには危機が必要だ
2.変革を推進するためには強力なリーダーが必要である
3.変革はトップから始まる

 あなたはこれらの考えにどのように疑問を投げかけるか。悩ましい問題は、それらが経験的に正しいように思われることだ。大企業を変革するためには通常は確かに危機が必要だし、成功する変革プログラムはたいていトップから、通常は新任のCEOによって推進される。これらが正しいということは誰もが知っている。これらは事実であって、思い込みではない。だから、あなたが同僚たちにこれらの金言は本当に正しいのかと尋ねたら、彼らはずいぶんと戸惑うだろう。重力は本当にあるのか、それともあるとされているだけなのか考えてくれと言われた気分になるだろう。

 従来の思考の束縛から逃れるためには、世界は現在こうであるという考えと、世界は現在こうであり、永遠にこうであるはずだという考えを区別できなければならない。1900年に人間は空を飛べないというのは正しかったが、人間が空を飛ぶことはないと言ったとしたら、それは間違いだったということになる。人類をあれほど長い間、地上に縛り付けていたのは、重力の法則ではなく、才能の才の不足だった。経営管理についても同じことが言えるのだ。

 経営管理慣行で自然の法則に根差しているものはほとんどない。管理職は人間が本来持っているあらゆる行動本能と闘わなければならないが、これは多くの人が思うほど大きな束縛ではない。近代産業が農民や物売りや家事奉公人などをどのようにして従業員に変えたかを思い起こしてみよう。変革のペースと範囲を制限しているのは、人間の本来の性質ではなく、我々の未検証の考えなのだ。これらのことを説明したら、次に進んでもよいだろう。


■さて話はクライマックスへ


「では、根本的な変革を起こすには、なぜ危機が必要なのか。タイムリーな適応を阻む障害は何なのか」と、尋ねよう。

一人が思い切って口を開いて「たいてい現実否認が元凶だ」と言う。

この発言に何人かが「その通りだ」とうなずく。

別のメンバーが割って入って「現実否認は人間の本性だ。我々の誰もがときに現実逃避をすることがある」と言う。

これに対しても同意の声があがる。「それで決まりだ」と。5,6人がほっとしたように椅子の背にもたれかかる。

「そう、それが原因だよ。人間は破壊的な変化に怖気づく。それだけのことだよ」と。



だが、そうではない。

大きな視野でみると、決してそれだけのことではない。正統派理論を解体する作業が本当にはじまるのはここからだ。


次の質問は、多くの人々にとって意外なものになる。

「少量の汚染されたホウレン草から大腸菌が爆発的に広がるように、現実否認は伝染するのだろうか。自己欺瞞のウィルスは社内のすべての人間にとりつくのだろうか。それとも通常は、感染せずにすむ人間、現状しがみつくことの危険性を熟知している人間が何人かいるのだろうか」

これを聞いた人は考え始め、しばらくすると誰かが突然声を上げる。

「そうだよ。通常は危機の前兆に気づく人間がいるんだ。たいてい何人もね。だけど、誰も彼らの言うことに耳を傾けないんだ。」

まもなく、耳を傾けられなかった預言者について、また避けられていたはずなのに避けられなかった惨事について、口々に語りだす。


議論が熱を帯びてくるにつれて、参加者が主導権を握り、彼ら自身の問いを投げかけるようになる。

「預言者がたいてい殉教者になるのはなぜなのか」「未来への改革の志を持つ者たちが、経営陣が行動を起こすのをただ待っていなければいけないのはなぜなのか」「将来ビジョンを持つ人間が、新しいビジネス・モデルを生み出すために行動していなければいけない時に、まだ提案書やブログを書いているのはなぜなのか」というような問いである。



みんなに「なぜ」と問い続けたら、彼らはやがて、大きな変革のためには危機が必要である本当の理由に辿り着くだろう。



(ここから先の答えは自分で出すのだ。さて、あなたの答えは?)

『従業員』の誕生 ~時代遅れになった経営管理思想~

2012-07-01 22:59:16 | AKB48_経営戦略・組織論系
まったく時間をつくれず・・
今ようやく落ち着いたところ。

ふぅ・・いろんなものが手に余る。
はたしてどうしたものか。
急に疲れた。

・・などと考えていると時間だけが過ぎる。
もし人生をシミュレーションすることができたなら、自分の都合のよい道だけを選ぶのだろうか。

もし私が望むものが結果なのだとすればそうだろう。
だが、人が心の奥底で望んでいるものが、結果などではないということは、ほとんど立証されている。

だから、もし私が遠い未来のことまで見通す能力を持っていたら、未来に目を閉ざす道を選ぶだろう。

まぁ・・こんな話はおいおいするとして、


AKB48宮澤佐江がチーム4に苦言(AKB48まとめんばー)
http://akb48matome.com/archives/51829537.html


当Blogでも何回かチーム4について語ってきたけれども、今一度語り直そうかなという気持ちになっています。
この件は語り甲斐のある話題であることに間違いありません。

ただ、その前に準備も必要かなと思います。
やはり議論するにも、ある程度に認識なり言葉を合わせておくとスムーズになります。

そこで事前知識として、数回にわけて「次世代の組織論」についての導入をやりたいと思います。

参考図書はゲイリー・ハメル『経営の未来』です。
「当代随一の事業戦略家」と名高いゲイリー・ハメルの言葉をお届けしたいと思います。




この件は、私の中でも旬なトピックでありまして、いろんな人に説いて回っては様々な壁にぶち当たっています。
その内容が、多くの人の頭の中に刷り込まれた常識に挑戦するものだからです。
実に多くの人たちのね。

こびりついた常識を疑うところからはじめたいと思います。
(何度か語ってきている内容ではありますが、今回は違う視点から述べます。)


◆◆◆◆◆◆


「自己管理するする社員についての知識を誰に対して説くのだろう。管理職に対してか?」

参りましたというしかない。

(ゲイリー・ハメル)



■顧客との分離


工業化以前は、農民や職人は顧客と密接なつながりを持っていた。常連客から日々与えられるフィードバックは、タイムリーで間に人を介さないものだった。だが、産業組織の規模が拡大していく中で、何百万人もの従業員が最終顧客とのつながりを失っていった。直接的なフィードバックを奪われた彼らは、顧客により近いところにいる人々に、自分の努力の有効性を測定してもらい、どのようにすれば顧客をより満足させるかを教えてもらわなければなくなったのである。


■最終商品との分離


企業が部門や職能グループに分かれていく中で、従業員は最終製品からも切り離されていった。仕事がより狭くなり、より専門化されたため、最終製品との感情的つながりを失ったのである。その結果、製品の品質や効能に対する責任感は低下した。労働者は誇りある職人ではなくなり、自分たちの力ではほとんど制御できない産業マシンの歯車と化した。


■仲間との分離


規模の拡大は従業員を仲間の労働者からも切り離した。それぞれが半ば孤立した部門で働いているため、彼らはもはや生産プロセス全体を見渡すこともできなくなった。そのシステムが最適ではなくても、それを知る術も、是正する術もなくなったのである。


■事業主と労働者との分離


工業化は労働者と事業主の隔たりも拡大した。19世紀の見習い工は自分の考えを事業主に聞いてもらえただろうが、20世紀のほとんどの従業員は低レベルの監督者に報告するだけとなった。組織の規模が拡大したことで、何十年もそこで働いているのに、重要な方針決定を行う権限を持つ誰かと1対1で話したことは一度もないという下っ端社員も見受けられるようになった。


■情報との分離


その上、業務の複雑さが増したことで、従業員が入手できる情報は細切れになった。小さな事業所では、財務記録は単純かつリアルタイムで、会社の業績についてわからないことはほとんどなかった。工業化時代の大企業では、従業員に与えられるデータは部分的なものになった。そこからは自分自身の業績は把握できるが、会社全体の業績はほとんど読み取れない。会社の財務モデルを節穴から除くことしかできなくなり、結果に対して負わされる責任が極めて小さくなったことから、従業員が会社の業績について心から責任を感じるのは難しくなった。


■創造性との分離


最後の、そして最悪の点として、工業化は従業員をおのれの創造力から切り離した。工業化された世界では、作業の方法や手順は専門家が決めるようになり、いったん決められたら簡単には変えられなくなった。従業員がどれほど創造力豊かだろうと、その能力を発揮する範囲は厳しく制限されたのである。


■意欲の喪失


簡単に言うと、規模や効率の追求は、労働者を工業化以前には彼らがほぼ自己管理できていた基本的な情報から切り離し、そうすることで管理職クラスの拡大を不可避にしたのである。従業員に管理職が必要なのは、13歳の子供に親が必要なのとほぼ同じ理由からだ。つまり、自己管理できないからなのだ。成長ホルモンの為に頭が混乱し、おまけに限られた人生経験しかない少年期の子供は、一貫して賢明な選択を行うだけの認識力に欠けている。だから賢明な父母は彼らの自由を制限するわけだ。それに対し従業員は、知恵や経験は不足していないが、えてして顧客や同僚、最終製品や事業主や財務の全体図から切り離されているので、情報と背景知識は間違いなく不足している。自ら管理する力を奪われているがゆえに、上からの管理を受け入れなければならないのである。その結果は、意欲の喪失である。


■ついには


そしてついには、13歳の、あるいはそれ以下の子供のように扱われることを喜ぶようになるのである。


■歴史を変える、これまで行われてきたように


意欲のない社員。抑圧されているイノベーション。柔軟性のない組織。新しい世紀になったにも関わらず、我々は依然として、ほぼ100年前に生み出された経営管理モデルの副作用に悩まされている。だが、歴史は代えられない定めである必要はない。過去に遡って、他の多くの人が今なお何の疑いも持っていない遠い昔の選択を評価し直す気があるなら、間違いなく変えられるのだ。