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進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

【AKB48】 AKB画伯なら佐藤夏希の独壇場

2012-01-10 18:27:36 | AKB48
まずは咲子師匠、おめでとうございます。

秋元康「咲子師匠、チャンスの順番が来ました。」(AKBまとめんばー)
http://akb48matome.com/archives/51796696.html

そして・・ぐぐたすで一部のメンバー同士で絵を描いてコミュニケーションとるネタが流行っていたのですが、そこに目を付けて「AKB画伯」をやるそうです。




私には、すぐある人物のことがピンときた。
AKB48には、天才がいる。

AKB画伯の話が出てから多くのメンバーが画を披露しているが、正直なところそれらの作品でイベントを開催しても、「AKBファンのためのイベント」以上のものにはならないだろう。
それで十分だ、という考えもあるだろう。
しかし、それで満足してよいのか?という議論をすることは可能だ。

でも大丈夫だ。
AKB48にはAKB48ファン以外の人にもきっと満足してもらえる画の表現力を持った人物がいる。
AKB48の天才理論家、佐藤夏希さんだ。
当Blogでは、彼女の画の才能について高く評価している。


佐藤夏希の新相対性理論 ~AKB48の天才理論家~


大変失礼ながら、佐藤夏希さんについては名前しか存じ上げなかったのでありますが、
偶然読んだブログの記事に感銘を受けました。
なんと哲学的なのでしょうか。


昨日の帰り


ゆかに今まで書いた絵を見せて


『ゆかの絵も書いてやぁ』


というリクエストをもらったので

描きました(*ノωノ)



第七弾

yuka...





正直、こんなにデザインに悩んだの初めてでした(笑)

ゆかとは不思議な関係で
近くにいるから
たくさんのゆかを知っていて
描きたいことがありすぎて

一枚の絵にするのが難しかった!!



で、描きたいことを箇条書にしてみたの!






歓声
カーニバル
マイク
スピーカー
時間



ありすぎる(`・д・´)
Wwwww



でも







これを一枚に














かけたんです!!






で、実はコレ





縦に見ると

砂時計になってるんです(*ノωノ)



ゆかから
ゆかの頭の中書いてって言われてたので


いろいろ考えて



時間の数え方が


1時間
一分
一秒



じゃなかったら
ゆかの中で



どうやって時間が過ぎてくのかな?と思ったら




音と涙かなぁって



ゆかってあんまり泣かないけど







泣くとね

必ず強くなる子なの






だから落ちる涙さえも音に変えちゃう?それが増田有華なのかな?…と



涙にリズムが出るような躍動感出すのが



大変だった(笑)











音にあふれるゆかちゃん(☆>∀




絵がではなく、絵で表現しようとしたものの背景にあるものが。

「時間」の本質を捉えようとしているその着眼点に驚きました。

多数のパラメータを音と涙に落として込んで、1枚の絵に展開してみせた。
素晴らしいセンスです!
純粋に感動しました。
彼女の目には本質が見えているということです。

決められた歌詞、決められたダンス、決められたポジションというものは彼女を縛り付けているのではないか。
きっと彼女は表現するものを創造する側の方が向いていると思います。
つまりパフォーマーよりもアーティストの方に適正があると言いたげなわけです私は。

この才能を生かす場がブログだけなのはあまりにももったいないと思います。
こういうのを考えるのはマネージメントの役割なのですが。



よかったです。

◆◆◆◆◆◆

しかし、SKEの松村香織さんは只者じゃないな。
相当デキるやつだぞ。
ぐぐたすやるまで名前すら知りませんでしたが。
ちょっと様子見です。

【AKB48】 やすすがついにぐぐたす(Google+)を理解したようだ

2012-01-10 17:27:25 | AKB48
ぐぐたすが面白い。
昨日(1/9)は、チームワタナベという新しい試みもあったし。
(ワタ鍋を基にしたメンバーとやすすのぐぐたす連携)


↓これよくまとまってるから読んでみて。面白すぎ。

Google+で起きた話題をピックアップ!【1/8分】(AKBまとめんばー)
http://akb48matome.com/archives/51796653.html


秋元康氏のぐぐたすの使い方が、Twitterで言うところの @masason(孫正義氏) チックになってきた(笑)
だいぶ小慣れてきたということだろう。

しかし、やすすにはさすがだと思わされる。
私は、やすすが使い始める前からぐぐたすをチェックしていたが、当初やすすの参加率が低かったことが私を混乱させた。
というのも、私はAKB48がGoogleと「AKB48 Now on Google+」をはじめたのは、当Blogでいう「面」戦略を推進するために違いないと考えていたからだ。
(参考:『Google+を自分色に変えやがれ』『やすす、それがソーシャル・ネットワークの力だ!』)
もし、そうなら、やすすは率先してぐぐたすを使いこなしていなければならないのだ。

だが、やすすは最初は様子見をしていた。
前向きに捉えれば、彼は「ぐぐたす」がどういうものなのか、はかろうとしていたのだろう。
説明された通りに信じ込むのではなく、自分の五感をフル活用して試してから考える。
観察者たる彼らしい行動かもしれない。

驚くのはその後だ。
やすすは使い始めから、今のぐぐたすをフル活用する段階まで到達するのが異様に早かった。
これは、観察者としての洞察力が半端ないことを示している。


やすすを持ち上げたいわけではないが、私個人としてその様に純粋に驚いた。ということだけ言っておく。


さて、まえおきが長くなったが、本エントリの主旨は、やすす礼賛ではない。
ぐぐたすが動き出したことが、今後どういった意味を持ってくるのか。
それを解き明かす一つの材料として、今、社会にどういう変化が起きているのかについて、少し述べようと思う。

君はこの話についてこれるか?!(笑)

◆◆◆◆◆◆

近年、情報の伝わり方は変わった。
インターネットやIT技術の進化で情報流通基盤が大きく変わったのだ。

どう変わったか?

情報を伝達する主要なノードが「人」になった。
(いや、大昔から人だった。でも意味が変わった。人の属性に関係なく人に対する信頼が増しているのだ。)

それはインターネットやWeb技術、最近ではSNSによって「人」と「人」が繋がりやすくなったからだ。
これまでとは違った条件で、人と人が出会うようになった。
一方方向の出会いかもしれない。
方や情報を発信する側で、方や情報を受け取るだけの関係かもしれない。
だが、重要なことは、「人」と「人」が出会うようになって情報の伝達経路が劇的に変化した。
そして、人と人とが直接的にやりとりするコミュニケーション量が格段に増えた。

ここで、重要なことはコミュニケーションの質もまた変わってきているということだ。
(参考:『小嶋菜月と高橋朱里の感動小話』)

では、「人」が「人」に情報を伝達する際に、何が重要だろうか?

「共感」である。

「共感」といっても、たぶん幾つか種類がある。
共感の仕方もそうだし、何に共感するかもだ。

後者においては、情報そのものへの共感の他に、情報元への共感がより重要になった。
情報元というのは、人の他にブランドも含まれる。
ヴィトンだとか、最近だとAppleだとか、あと政府機関なんてものもブランドだろう。

情報元が重要になったのは、なぜか?

答えは簡単だ。
世の中には「人」以上に信頼できるものはないからだ。

神?新聞?TV?権威?インターネット?
いんや、結局は「人」である。

「何を言ったか」だけで物事を判断できるほど人は賢くない。
「誰が言ったか」これが重い。
もちろん、「何を言ったか」の積み重ねで「誰が言ったか」が重要になる。
これまたインターネットやWeb技術の進化で、人々の情報の取得経路も量も増えた。
だから、人々はある意味で賢くなった。
情報へのアクセスコストが低減したので、情報を確かめる選択肢が広がって、結果として疑い深くなったということだ。
人々は「誰が何を言ったか」について確かめる。
そして、信頼に足ると考えると、その情報元に共感するようになる。

この「情報元への共感」は、今を考えるのに非常に重要な項目だ。
なぜかといえば、インターネットやWeb,SNSの進化で、情報へのアクセスコストが"0"に近づくと、知識が自分のところに在る必要がない。
今も昔も、知識という引き出しをどれだけ多く持てるかは何においても重要だ。
しかし、引き出しを自分のところに持っておく必要が、必ずしもなくなった。

「知性の外部化」である。
知性が外部化されるとこれまた興味深い現象が現れる。

自分のアイデンティティを必ずしも自己完結する形で持つ必要がない。
知性が、物語の文脈を、外部に依存することが出来てしまうから。
よって、人のアイデンティティですらネットワーク化される。

この「アイデンティティ・ネットワーク」は、ネットワークの外から見ると、精神分裂的に見える。
例えば、ソーシャルネットワークの外からソーシャルネットワークの中にいる人を見ると、自閉的に見える。
ソーシャル・ネットワーク・サービス上には、脈絡がなく文脈のない言葉たちがやりとりされている。
これは、情報が、知性が、文脈が、アイデンティティが、ネットワーク上に偏在しているからだ。
外から見れば、それはまるで暗号のようだ。

その情報を理解するには、偏在する情報を統合するキー(鍵)が必要だ。
だが、そのキーは、とりとめがない。
本人にすら自覚のない、まるで空気のようなものだ。

(ちと面倒になってきたので、結論へ行こうか・・)

新時代の情報流通基盤の上で構築されるアイデンティティ・ネットワークは模倣できない。
各要素が連結されて始めて意味を持つネットワークこそが、実態だからだ。

我々は発想の転換を迫られるであろう。
「ネットワーク思考」が鍵だ。


「AKB48 Now on Goolge+」は有意義な社会実験となるであろう。
私は微力ではあるがこれを応援していく。


※言うまでもないことですが注意。
「君はついてこれるか?!」とかカッコいいこと言っちゃいましたが、基本的に私の発言はどこかで誰かが言った内容なので、オリジナリティは0でございます。
本エントリの場合は、タイラー・コーエンの『フレーミング』と、アルバート・ラズロ・バラバシの『新ネットワーク思考』と、たぶんどこかで読んだり聞いたりした内容の合わせ技です。