粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

公明党、共産党躍進と最近のヒット曲

2013-06-24 10:04:49 | 国内政治

昨日行われた東京都議会議員選挙は、明暗がくっきり分かれた。自民党、公明党の完全勝利、共産党の大躍進、民主党の惨敗、哀れを留めたのは日本維新の会だ。今回の一番の敗者かもしれない。もはや社民党、生活の党、みどりの風は話題にすらならない。人から無視されることほど屈辱はない。悲劇を通り越して喜劇かもしれない。

それにしても公明党、共産党のこの「躍進」はなんなんだろう。両党に「風が吹いた」とはとてもいえない。いうまでもなくこれら政党は組織政党である。支持する組織ががっちり固まっている。公明党は、創価学会という「鉄の結束」の組織が強力に支えている。こうした組織政党は、投票率が低ければ威力を発揮する。今回はそれがもろに出たということだろう。選挙の「風」も吹かず無風選挙で、その威力を遺憾なく発揮した。

思えば公明党、共産党の議席獲得は最近のヒット曲のようなものだ。オリコンのヒットチャートに登場する曲の多くは初登場でいきなり上位に入る。特定のファンが発売日に合わせてCD店に殺到する。固定ファンが万単位の歌手は堂々のトップを飾る華々しさだ。しかしその後が続かない。あっという間の急降下、トップ100の圏外に落ちるのも早い。ファンの内輪だけその曲は知られることはあっても世間一般に記憶に残ることは少ない。これを義理にも「ヒット曲」とは呼べない。AKB然り、嵐、エグザイル然り。

公明党も共産党も特定の「購買力」しかもたない歌手のようなものだ。全体的にCDが売れている時期は目立たないが、最近のようなCD不況の時代は、特定の購買力による成果が比較して際立ってみえるのと一緒である。早い話が広く「国民」の支持を得ていないということだ。

政治にはそういう支持組織は確かに必要であろう。しかし、国民の風という力を得てプラスアルファが膨らまなければ、党の力を拡充していくことはできないのも現実だ。両党が常に脇役に甘んじているのもそのためだ。

ただ、全体の投票率が上がらなければ、こうした政党は一定の影響力を行使できる。彼らが国民の声を反映させますと建前ではいいながら、内心は投票率が下がってもらうことを望んでいるというのが本当のところではないか。

民主党にしても、維新の会にしても組織としての基盤が脆弱であり、それが一つの大きな原因として今回もろに結果として現れたといえるだろう。特に維新の会は、石原慎太郎、橋下徹の2大看板で何とか党勢を維持してきたが、その片方がメディアから批判を浴びては(不当な扱いにも思えるが)劣勢は如何ともしがたい。せめて公明党の結束力の1割でもあったら、こんな惨敗もなかっただろう。