粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

慰安婦問題の本質

2013-06-01 08:54:06 | 厄介な隣国

櫻井よしこ氏の週刊新潮記事(5月30日)を読むと、慰安婦問題の本質は韓国の家族制度と貧困であることが痛感させられる。桜井氏は韓国系米国人C・サラ・ソウ教授(サンフランシスコ大学人類学は研究論文の一節を引用している。

当時、おびただしい数の朝鮮人女性が、父親または夫によって売春宿に売られたり、あるいは一家を貧困から救うために自ら進んでその道を選んだりしていた。朝鮮の儒教的父権社会にあっては、女性は使い捨て可能な人的資源として扱われたのだった」

韓国の大半の慰安婦女性が周旋業者に騙されて慰安所で売春を始めたのではない。まして、軍や官憲が強制連行して慰安婦狩りをしたなどというのはとんでもない事実誤認である。慰安婦は家父である父親や夫の意向により、家を守るために強制的あるいは自分の意思で敢えて犠牲になって慰安所に赴いたのだ。

その背景には女性蔑視ともいえる徹底した儒教制度がある。ソウ教授は女性が使い捨て可能にされたという厳しい表現をしているが、韓国での女性蔑視ともいえる家族制度が伺える。

同時に朝鮮半島特有の身分制度がある。両班制度といわれる高麗王朝以来の厳しい身分区分である。一部特権階級が社会を牛耳り、多くの農民やが底辺で困窮していた。19世紀末この身分制度は廃止されたが、実態は社会に根強く残っていた。

統治する日本政府は朝鮮に資本を投下したり日本の教育制度を導入したりして近代化に努めたことは事実であるが、なかなか進まず貧困は解消されなかった。日本へ富を求めて日本へ移住する朝鮮人は増えていく。決して強制的に政府が徴用したわけではない。

慰安所も、その貧困から抜け出すための食い扶持になったことは確かである。慰安婦の月給は当時300円とされ現在の基準では130万円ほどにもなるという。一般労働者の10倍前後にも相当する金額だ。

貧しい農家の女性たちは、家父の意向に従い自分の過酷な宿命を受け入れざるを得なかった。あるいは従容として受け入れたといえるのではないか。その現実を無視して日本の国家の責任を問題にするのは、理不尽極まりない。旧日本軍は、慰安所を利用し管理をしたが、その対価をきちんと払っている。管理はむしろ慰安婦の日常の待遇や衛生面の維持のためといってよい。慰安婦に私生児が全く出なかったのはそれが徹底した結果ともいわれる。

ともかく、これまで慰安婦問題で日本は不当な非難を受け続けてきた。今後はこの問題の本質をしっかりと世界に発信していかなければならない。


追記:韓国人慰安婦ばかりが問題にされるが、慰安所には多くの日本女性たちもいた。しかしこれまで、日本人慰安婦が日本政府を訴えて補償を求めたという話は聞いたことはない。彼女らは職業人としての自分の立場を自覚しているからだ。自分の過去に苦しみながらも他人に責任転嫁しようとは考えない。韓国の多くの慰安婦女性も実際は同じかもしれない。

この「問題」に取り組む韓国の市民団体が自分の「被害」を名乗り出るように求めたが、応じた女性たちには疑わしい者が多かったようだ。誰一として日本軍の強制連行を証明できる女性はいなかった。そんな女性たちが年齢詐称までして日本の国家を非難して補償を求めている姿は滑稽にさえ思えてくる。