粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

右傾化を警戒する人々の本音

2013-06-15 13:55:42 | 国内政治

生活の党3人、みどりの風1人、社民党1人、共産党42人、これは今度の都議会議員選挙に立候補している少数政党の候補者数である。このうち現職は生活の党2人、共産党8人で127人定数の1割にも満たない。これらは、いわゆる護憲政党である。左翼政党といってもよい。こうした政党では、憲法改正反対、原発ゼロ、TPP参加反対、基地縮小・整理、消費税反対、君が代強制反対、元慰安婦支援、中国との関係重視などが共通した政策であろう。

しかし、これら政策が果たして多くの国民に受け入れられているかといえば、明らかに「否」である。理想に過ぎないといえるし、現在の日本の政治状況には時代遅れなところもある。福島瑞穂社民党党首が演説台で公約を滔々と述べるのを見るとイライラしてしまうのは自分だけだろうか。こんな言葉あまり好きではないが、「空気を読めよ」といいたくなってしまう。

こうした左翼政党はこの都議会議員選挙でどんな洗礼を受けるのだろう。おそらく、今の状況だと、多数政党間の激しい競争に弾き出されてさらに議席を減らすことが予想される。もはや選挙の話題にさえならないかもしれない。

そして1ヶ月後に迫る参議院選挙、これも弱小左翼政党には厳しい試練が待ち構えている。聞くところによると、東京地方区では社民党は自党候補を出さないばかりか推薦候補もいないようだ。あの反原発のトリックスター山本太郎君を支援するという。福島県民に「高濃度汚染地域の皆さん」と呼びかける勘違い人間を支援するなど社民党も落ちぶれたものだと思う。浅沼稲次郎氏や佐々木更三氏も草葉の陰で泣いていることだろう。

こうした左翼政党を支持するマスコミやジャーナリスト、文化人が最近は安部政権が「右傾化」していると盛んに騒ぎ立ている。自分自身現政権が右傾化しているとは実際は思わないし、おそらく多くの国民もそう考えているに違いない。憲法改正の行為が右傾化の象徴だとしたら誤解も甚だしい。こうした論議は戦後68年経って緒についたばかりだ。現憲法を絶対視することが異常だったに過ぎない。

おそらく、「右傾化」を警戒する人々は選挙の洗礼によって護憲に固執することが、一般国民から遊離することになるのを極度に恐れているのではないか。その疎外感は彼らにとって堪え難いことだろう。どこか異邦人扱いされるのではないかという恐怖感。それは彼らの活動も場を失うことになる。早い話「飯の食いぱぐれ」となる。

それを阻止するために、何とか安部叩きをして政権存続に待ったを掛けたい。表向きの政策では国民が支持しているので、安倍首相の歴史認識という抽象的な問題をことさら取り上げて批判する。挙げ句は海外のメディアに内通して安部批判を代弁してもらう。国民は右傾化批判という安部叩きの本質をもっと知るべきだろう。本当は自分たちの保身が強く働いているということを。