粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

トルコの歴史問題と日本

2013-06-02 13:48:22 | 厄介な隣国

2020年の五輪開催を巡り、激しい誘致合戦を繰り広げている東京とイスタンブールだが、しかし当事国の日本とトルコは明治時代以来の友好関係だった。トルコは世界でも最も親日的な国のひとつといわれる。そのトルコは日本と同じように歴史問題で欧米諸国と時に激しく対立し外交問題に発展することがしばしば起こる。

アルメニア人虐殺問題といわれる19世紀末から20世紀初頭にかけて起きた紛争を巡る論争だ。当時トルコ帝国政府が国内に住んでいたアルメニア人を強制移住させてその過程で、彼らを大量に虐殺したとされる問題である。その後、独立したアルメニアからはこれはトルコによる「ジェノサイド」であり200万人を殺害したと非難され欧米諸国もそれに同調する動きを見せている。

これに対して、トルコ政府は戦時下の最前線の混乱における不幸な結果だとし、その死亡数も20万人程度だと反論している。当時、第一次世界大戦の最中であり、トルコはロシア、イギリス、フランス相手に戦争中であった。とりわけ、ロシアとはトルコ内のアルメニア人居住地を巡り激しい戦闘を続けていた。トルコはロシアに加担しキリスト教徒が多いアルメニア人を戦線から引き離す目的で強制移住を敢行したのであり、強制移住そのものは否定していない。

20万人と200万人という犠牲者数、そして虐殺の有無を巡って現在も論争が続いている。なにやら旧日本軍の南京事件を思い起こさせる。トルコは第一次世界大戦で敗北したように、敗戦国という点でも日本と共通している。

アルメニア人が欧米に住む同国人を使いロビー活動を行って当地の議会に虐殺を非難する決議や法律を可決させるよう働きかけているのも、日本の慰安婦問題における韓国系米国人の活動と重なるところがある。しかし、トルコ政府はこうした欧米諸国の動きには正面から抗議し実際報復にもでている。

とりわけ、アメリカでは2007年に合衆国下院議会の外交委員会で「虐殺はオスマン帝国の責任であり、犠牲者は150万人だ。」といった決議案を採択した。これにトルコ政府は「一方的解釈」と猛反発し、ワシントンポストにも意見広告を出した。さらにトルコ外相をアメリカに派遣して、決議案が通過すればトルコ内の基地を米軍に提供しないと警告した。イラク戦争の最中、その処理に追われるアメリカ政府はこの決議案には否定的な見解を示している。

その間トルコ政府は、一時駐米大使を召還させたり、アメリカ歴代の国務長官から議会に決議案反対の書簡を送らせたりして可能な限りの抗議活動を執拗に行っている。一方でアルメニア政府に歴史調査のための共同委員会を設けることも提案したりして、硬軟の巧みな戦術も見せている。

それに比べると日本は慰安婦問題では下手に出るばかりで防戦一方だ。問題が沸騰した当時の宮沢首相は日韓首脳会談で、韓国の一方的非難に調査もせずに何回も謝罪し、挙げ句の果ては河野談話でその強要性を認める声明をだしている。アメリカ議会の慰安婦非難決議にもほとんど厳しい抗議もせずに易々と決議案を通過させている。日本とトルコでは、アメリカとの緊密度や近隣国との関係に違いがあるとはいえ、あまりにも政府の対応に相違が見られる。一度相手方の見解を認知すると、さらなる新たな厳しい要求、非難が待ち構えていることは国際政治では普通のことだ。日本はトルコ政府の姿勢を十分に見習うべきではないか。