粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

大切な合成写真

2013-06-12 11:56:47 | 震災全般

親にとっては、子どもの成長で大きな節目の一つは、小学校入学だろう。そしてそれを象徴するものがランドセルだ。昨日(6月11日)NHKニュースウオッチは東日本大震災の津波で母親と息子を失った父親と娘のことを紹介していた。息子の涼斗くんは当時1ヶ月後に小学校入学を控えていた。何よりも父親の辰哉さんは息子のランドセル姿を楽しみにしていたことだろう。

娘の風音ちゃんは震災当時は3歳で、母親や兄の死をよく理解できない。自分一人でいる時は何時間も家族のビデオを見る。しかし父親がビデを見ようとするとスイッチを切ろうとする。おそらく、いつも父親がビデオを見ては悲しむ姿を知っていて風音ちゃん自身幼いなりに何かを感じていたのだろう。

つらい気持ちになることが多い息子の記録に新たな「成長記録」が加わった。息子の最新の写真にランドセルが背中に合成された。涼斗くん自身も入学を楽しみにしていたのでその思いを写真でかなえさせたかった。同時に父親への強い期待と願望が込められている。

今も息子はランドセルを背負って「ただいま」と家に戻ってくる気がする。心の中では父子は今も繋がっているのだろう。そんな涼斗くんの写真を見ると辰哉さんも励まされて頑張ろうという気持ちになるという。

以前、伊達直人と称する人物が、児童施設に置き手紙を添えて沢山のランドセルをこっそりを置いて去っていった話を思い出す。子どもは教育を通していつか社会に生きていく。

辰哉さんは風音ちゃんに本当のことを今だ話さずにいる。しかし、来年には小学校に入学してランドセルを背負う時期には、兄のあの写真の意味することが少しずつわかってくるだろう。子どもの成長を何よりも望んでいた父親のつらい気持ちと熱き思いを。